第264話 背後に潜む巨悪

俺は自分自身に嘘をついてしまっていたようだ。


命を奪うことも辞さない覚悟を決めたつもりであったのに、無抵抗の、しかも自分より弱い人間を殺すことができなかった。


バルバロスに対しては、これと言って恨みなどは無く、また悪党だという確証も無かったため、あと一歩を踏み切れなかったのだ。


間違って偶然に死なせてしまうのと、明確な意思を持って殺人を犯すというのは、本質的にまったく異なるという当たり前のことを俺はまだ理解できていなかったようだ。


ロードすれば、全部元通り。


そう何度も自分に言い聞かせてみても、バルバロス殺害の実行は難しかった。


そして、尋問にしても中途半端だった。

心を鬼にして、それを続けようと思ったのだが、自分が最悪のことをしているという意識が少しずつ膨らんできて、気持ちが萎えてきてしまった。


元は人間であるらしい蛸魔人ピスコーや虫魔人ライドを始末しに行った時は、気が滅入ってしまったものの、放置することで増えるであろう深刻な被害と犠牲者たちのことを想い、これは仕方ないことなのだと割り切ることができた。

それで、俺はもう目的のためなら、私心を押さえ、一線を越えることも厭わない人間になったのだという気になっていたのだ。


だが、それは間違いだった。


理屈では、滅亡回避のために、この検証と確認が必要だと納得していても、心が拒絶してしまう。


何も成長していない。


大人にはなりきれていない。


俺の心と意志は、相変わらず弱いままだったのだ。


その一方で見事だったのは、バルバロスの方だった。


「……愚かな奴だ。おのれが一体、何者に対峙しているのかもわからずにこのような愚かな行動に出るとは……。しかもそんな生半可な覚悟で……さっきから、手が震えているぞ」


「うるさい! 黙れ」


「フフッ……まあ、良い。いずれ、お前も思い知ることになるだろう。人間には、決して踏み込んではならない領域が存在するのだ。その禁忌を犯した人間に訪れる末路をとくとその身で味わうがいい。地獄で、……待っているぞ」


バルバロスは、指や腕の骨を折られても、まったく口を割らず、殺す殺すと口だけの俺の本心を見透かしたかのように捨て台詞を残して、自爆して果てた。

その自爆が、何らかのアイテムによる自爆なのか、はたまたバルバロス自身のスキルによるものなのかは今となってはわからない。


バルバロスは、閃光を伴った大爆発を自身の肉体を中心に引き起こし、砦ごと俺を道連れにしようとしたのだ。


その背後にいる何者かに対する忠誠によるものなのか、俺が予期できないくらいあっさりした幕引きだった。

バルバロスほどの高い地位にある人間が、その恵まれているであろう人生を少しも惜しむことなく簡単に手放す行動をとるなどとは、まったく予想もしていなかった。

命乞いをし、簡単にすべてを白状してくれるだろうと、頭のどこかで甘く考えていたのだ。


黒幕の正体を明かすくらいなら、自ら死ぬ。


バルバロスにそう決断させるほどの黒幕の存在とは、どれほどのものであるのか。


俺はますます黒幕Ⅹの正体を知りたくなるとともに、背筋が凍り付くような気持になった。



砦の上部を吹き飛ばしてしまうほどの威力であったバルバロスの自爆は、俺には傷一つ与えることはできなかった。

理力りりょく≫を隅々まで行き渡らせていたので、衣服なども無事で、ちょっと埃っぽくなってしまっただけだ。


自分で決めたことをやり通すことができなかった己の意思の弱さに失望し、落ち込んだ気分になってしまった俺だったが、その一方で、人を自らの手で殺めることにならずに済んで、どこかホッとしていた。

俺が起こした行動が原因で、人間がひとり自死を決断し、その巻き添えに多くの兵士が死んでしまったであろうことを考えれば、何という偽善者であることか。



黒幕の正体を聞き出すことはできなかったのだが、バルバロスの自爆のおかげで思いがけずに最低限の目的は、果たすことができた。


もし、尋問で何の収穫も得られなかった場合、当初はバルバロスの殺害を考えていたのだが、それは、ジブ・ニグゥラの消滅同様に世界の破滅を即座に引き起こしかねない要因に当たるのかを確認したかったのだ。


臆病風に吹かれ、結局は自らの手を汚すことはできなかったのだが、ともかくこれで、バルバロスの死が世界滅亡の時期に影響を与えるのかを確認することができる。


俺は、力なく立上り、見晴らしが良くなった瓦礫と死体だらけの砦跡を≪場所セーブ≫を使って、瞬時に去った。



やって来たのは、事前に≪おもいでのばしょ≫に記録しておいた、王都の路地裏だ。


そこを出て、人の往来がまばらな通りに出ると、少し小腹が空いた気もしたので、まだ日も高かったが、どこか酒場にでも入って軽く食事でもとろうと思い立った。


飯を食いながら、酒でも飲んで、世界の滅亡がやってくるのかをしばらく待ってみることにしよう。

何も起きなければ、バルバロスは白。

≪ぼうけんのしょ≫の二番を再ロードして無かったことにする。


タクミの召喚の件も気になっていたので、俺はその情報が得られそうな客の多い繁盛店を探した。


この王都の街並みも、もうずいぶんと見慣れたものになっていて、思い当たる店も、二、三ある。

通りにいる人々の様子を眺めながら、その一番近い店に向かって歩いていると、背後から妙な視線と気配とは違う何かを感じた。


なんだろう?


今までに経験したことのない感じだ。


≪理力≫だとか、≪神気≫だとかは不自然なほど感じない。

それなのに、振り返るのを躊躇ってしまうほどの異様な存在感があるのだ。


何か、ヤバい。


俺は、コマンド≪どうぐ≫の一覧から、ザイツ樫の長杖を呼び出し、そして右手に持った。


そして、ゆっくりと振り返る。


その視線の先に立っていたのは、見知らぬ男だった。


この異世界では見かけることのない上品な柄物の黒いスーツ姿で、背丈は中肉中背、年の頃は五十代半ばくらいに見えた。

髭を綺麗に整え、紳士的な装いではあったが、どこか垢ぬけていて、裏社会の親分さんたちを思い起こさせる危険な雰囲気も微かに覗かせているような感じがした。


目立つ格好なのに、往来の人々はその男の存在にはまるで気が付いていないようで、見向きもしていない。


「……バルバロスが殺しそこねたのは君だね」


男は、俺の目を静かに見つめ、そして尋ねてきた。

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