第252話 完全な静寂

おいおい、嘘だろ。


俺は目の前が真っ暗になり、しばし、呆然と立ち尽くしてしまった。

後頭部を鈍器で殴られたかのような衝撃に、心が揺さぶられ、思わず息をすることも忘れてしまっていた。


そして、ハッと我に返り、メッセージボードに並んで張られている写真を慌てて確認してみた。


亀倉英雄かめくら ひでお青山勝造あおやまかつぞう大城謙児おおしろ けんじ一条小百合いちじょうさゆり佐久間稔さくまみのる藍原日葵あいはらひまり


そして、眼鏡の人は、小野耕一おのこういちっていう名前だったんだ……。


イチロウとセツコ婆さん以外の全員の写真がそこにはあった。


俺は、急に腰が抜けたように立っていられなくなって、その場にへたり込んでしまった。


俺たち全員、死んでた?


俺は、必死で異世界に転移した直前の状況を思い出そうとしたが、その部分がすっぽり抜け落ちていることに気が付く。

少なくとも脱線事故に巻き込まれたみたいな記憶は一切ない。


「……嘘だろ? 嘘だって、誰か言ってくれよ……」


そうだ! ここが本当は本物の地球じゃなくて、≪魔界の神≫グラヴァクが作り出した幻覚や仮想空間のようなものである可能性は十分にある。


この広い地球上で、こんなにピンポイントでこの場所に着くのはどう考えても不自然だ。

奈落神の次元回廊アビス・コリドール≫だっけ?

なんて悪趣味な幻覚を見せやがるんだ。


俺は自分のほっぺを力一杯つねり、悪夢から覚めようと考えたが、一向にそうした変化は現れない。


ほっぺは痛いし、何よりこの場所の空気というか、肌や匂いなどで感じられるすべてが、ここが本物の地球であると強く主張してきた。


涙があふれてきて、思わず視界が滲んできた。


「ちょっと……、あなた、大丈夫? 」


おばちゃんが屈みこんで、心配そうな顔をしている。


涙を拭いて、「大丈夫」と答えようとしたのだが、その時、辺りの様子に思わぬ変化が起きた。


ありとあらゆる音が止まり、完全な静寂が訪れたのだ。


何が起きたのかと周りを見渡すと、すべてのものが動きを停止していた。


おばちゃんもお爺さんもまるで蝋人形にでもなったかのように瞬きひとつしない。

車も、歩行者も、その場でぴたりと止まって、動き出す気配もない。


風もやみ、雲まで流れを止めてしまっている。


「ちょ、ちょっと。ねえ、どうしちゃったのさ?」


おばちゃんの肩を揺さぶろうとしたが、地面にがっちり固定されたかのようになって、びくともしない。


そして、すぐにただならぬ気配がして、それを感じた辺りの空を見上げると、そこがギザギザにひび割れて、まるで口を開いたかのように空間が裂けて、広がった。


その空間の裂け目には、見たこともない異形いぎょうの何者かがふたつ居て、じっと俺の方を見ている。

その異形たちは、アンバランスな体形の赤と青に色分けされた鬼のような見た目で、あごからは牙が突き出て、頭には角も見える。


鬼とか、まさかここは地球じゃなくて地獄かよ。


「外来危険生物の存在を確認。微生物及び地球外物質の付着はほぼゼロ。汚染率は数値上は低いな。見た目は人間のようだが、……驚いたな。オヅヌさまの空間保存術の中で動いてやがる」


青い瘦せ型の、腕が異様に長い方の鬼が口を開いた。

それは日本語だったので、当然に意味は分かる。

髪が長く乳房があるので女性なのだろうか。


「東北の死にかけの方に回った方が正解だったかもな。まあ、いずれにせよ、地球に悪影響を与える外来種は処分するのが決まりだ。さっさとやっちまおう。帰って、見たい動画があるんだ」


赤い鬼の方は、足がものすごく長い。

ヤンキー座りのような姿勢でその脚に肘を乗せて、俺の方を眺めていたが突然、そこからぴょんとこっちに向かって飛び降りてきた。


やばい。明らかな敵意が感じられる。


俺は慌てて、コマンド≪どうぐ≫から≪ヒノキの長杖≫を取り出そうとしたが、いつもの半透明のメッセージウィンドウが出ない。

≪世界樹の長杖≫は、ヒマリを≪奈落神の次元回廊アビス・コリドール≫から引き揚げるときに、うかつにも向こうの世界に置いてきてしまったし、他に武器は無い。


……何か、この空間内に満ちている力が、コマンド≪どうぐ≫の発現を阻害している様な独特の感覚がある。


コマンド≪まほう≫も同様だ。

ウィンドウが出ないので、魔法を選択できない。


「くそっ、どうなってんだよ」


俺は、仕方なく赤鬼の襲撃を徒手で迎え撃つべく構えた。

ムソー流には長杖が手元に無いときのための格闘術も備わっている。


「はっ、いっちょまえに戦う気だぜ。ほいっと!」


空中から迫りくる赤鬼の前蹴りが加速度的に一気に伸びてきた。


それは凄まじい速度になって、気が付いたときには胸のあたり全体がガードごと蹴り抜かれてしまった。


何もできなかった。


一瞬で首だけの状態にされ、視界の端には俺の下半身が地べたに転がっているのが見える。


やばい。ロードしなくちゃ……。


だが、相変わらず不思議な力に阻まれて、メッセージウィンドウが出ない。

記帳所セーブポイントの部屋にも自分の意思で戻れない。


セーブポインターの力がこの空間に封じられてしまっているのだとすると、この俺はいったいどうなってしまうんだろう。


まさか、このまま死んじゃうんじゃ……。


「いっちょ上がりっと」


赤鬼が俺の髪をつかんで、頭部を持ち上げた。

そして、空いている方の左の手のひらに火球を出現させた。


「待て、ゼンキ。そいつは、この空間内で動けていたから、邪神側の侵略者インベーダーの可能性もある。その首は調査用のサンプルとして持ち帰るぞ。出所をつきとめねばならん」


いつのまにか、青鬼もそばに来ていた。


「かー。じゃあ直帰は無しかよ。ついてねえ。でも、こっちは要らねえよな。外の世界から来た汚染物は、基本、速やかに処分するのが原則だ。持ち帰るのも面倒だし、なにより掃除するのが大変だぜ」


赤鬼は、左手に持った火球を俺の下半身や他の断片が落ちている辺りに向けて放ち、一瞬で焼き尽くしてしまう。

強くなった今の俺の体があんな風に燃えてしまうあたり、魔王の黒炎ダーク・フレイム以上の火力であることは一目瞭然だった。


だが、それほどの火力であるにもかかわらず、周囲には焼け焦げた跡もなく、燃えたのは俺の肉体の残骸だけだった。


「それにしてもこの人間すごいな。どこの惑星の人種ひとしゅかわからんが、この状態でもまだかろうじて意識がある」


「……こいつが何者なのかは、上の連中が考えることだ。さあ、その首を貸せ。そろそろオヅヌさまの術が解ける。一応、凍結して持ち帰ることにしよう」


赤鬼が俺の生首を宙に放り投げ、青鬼がそれを脚のように長い腕で器用にキャッチする。


そして、次の瞬間、俺の意識は途絶えた。

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