第210話 自称賭博の神
自称≪賭博の神≫の逃げ足は驚くほど速かった。
ギャラリーと化していた他の客を押しのけ、あっという間に建物の外に出て行ってしまったのだ。
「おい、ちょっ!待てよ」という声も無視して、必死の形相で逃げる自称≪賭博の神≫を俺は追うことにした。
賭場としては、換金用のコマ札を置いて逃げて行ったのだから、無理に追う必要はない。
イカサマが発覚したわけでもなく、賭けは一応成立していたので咎める理由もないのだ。
俺が気になったのは、なぜ逃げたのかという理由だ。
自称≪賭博の神≫は、あきらかに俺の存在に気が付いて、態度が変わった。
普段から≪
俺のことを知っている奴なのか、そうでないのか。
あるいは、何か他に理由があるのか。
それを知りたくて、気が付くと俺は自称≪賭博の神≫の背を追っていた。
裏路地を出て、大きな通りに出ても自称≪賭博の神≫に追いつくことはできなかった。
少しずつ背中は近づいてはいる。
だが、自称≪賭博の神≫は器用に通行人の間ををすり抜け、直線の勝負にならないルートを取って、なんとか逃れようとしている。
俺の≪すばやさ≫74をもってしても、捕まえるのにこれほど手間取るのは、この自称≪賭博の神≫がただ者でないことを証明していた。
「何もしないから……大人しくしろよ!」
ようやくのことで、自称≪賭博の神≫の服の襟首をつかみ、その場に引き倒す。
気が付くとずいぶん遠くまで来ていて、俺たちは王都郊外を流れるセモール川のすぐそばまで来ていた。
セモール川は水路のように整備された川で、用水路の役割を果たしている。
自称≪賭博の神≫は青息吐息といった状況で、荒い息を整えることもできず、地面に四つん這いになったまま動けないでいる。
「……どうか勘弁してください。はあ、はあ、期日には利息分だけでも必ずなんとかします。だから、どうか……、はあ、はあ、殴らないで……」
「そんなことしないよ。俺は、あんたがなんで逃げたのか知りたかっただけで、それ以外に用はないよ」
「…………本当に?」
自称≪賭博の神≫はようやく体を起こすと今度は仰向けになり、なんとか呼吸を整えようとしている。
「本当だって。別に、あんたが逃げなかったらあのまま賭場で一勝負するところだったんだから。あんた、賭け事強いんだね。うちの代打ちがあんなにへこまされてるところを初めて見たよ」
「はあ、はあ……、ふぅー。殺されるかと思った……」
「ねえ、それでさ、なんで俺のことを見て逃げたの?」
「……そりゃ、逃げるだろ。微かにだけど、大丈夫だと思ってた人間の賭場に神の気配を漂わせた奴がいたら、そりゃあね」
「神の気配?」
「ああ、でも気のせいだったかもしれない。色々とビビりすぎて、張りつめてたから、お前を見た瞬間、なぜかヤバいって思ったんだよ。不思議な気配だけど、冷静によく見たら、神のものではなかったわ。なあ、今度はこっちから聞くけど、お前、いったい何者なんだ。ただの人間にしては足、速すぎだろ」
「俺はユウヤ。あの界隈で博打打ちやってる普通の人間だよ」
まだ相手の素性もわからないし、別の世界から来たことは伏せておこう。
「嘘こけっ。こいつで、力を封じられてはいても、一応、俺は神だぞ。ただの人間が俺のことを捕まえられるかよ」
自称≪賭博の神≫はそういうと右手を挙げて、その手首に隙間なく取り付けられた
こいつ、神を自称してるけど、確かに普通の人間ではない気がする。
これまで見てきた他の神様のような、あの
何よりあの素早さは、ジブ・ニグゥラという神に憑依されていたイチロウに匹敵するものだった。
「そんなこと言っても、本当のことだし……」
「忌々しいのは、この腕輪だ。こいつのせいで、俺はこのゼーフェルトを無断で離れられないし、本来の力のほとんどを封じられてしまっている。他の神との≪念話≫も遮断されてしまうし、まったくついてない」
「へえ、外してあげようか」
俺が歩み寄り、腕輪に触ろうとすると、自称≪賭博の神≫は過剰なほど反応し、「やめろぉ!」と大声を出して飛び上がった。
「ど、どうしたの?」
「この腕輪は、いわば逃走防止のための
「そうなの……」
なんか、この自称≪賭博の神≫は、とてもややこしい状況に陥っているようだった。
アーレント一家を含めた複数の組織に借金して、返済できなくなった人を目撃したことがあったが、その人と同じような切羽詰まった様子がどこか感じられる。
「しかし、まあ、あれだ。確かにお前は、取立神には見えないな。脅かしおって。人間よ、肝を冷やさせられたぞ……。おっほん、我は偉大なる神ぺ、違う……イップだ。通訳と旅人を守護する神。畏れ多いぞ」
自称≪賭博の神≫は突然、衣服の乱れを直し、ふんぞり返って偉そうにしだした。
いまさら
「賭博の神って、賭場では言ってたじゃん」
「そ、それは汝の聞き間違いだ」
「それで、その通訳と旅人を守護する神イップさんは、あんな場所でどうして博打に興じてたりしたわけ?」
「旅人を守護する神だからな。危険な賭場かどうか、視察しておったのだ」
「ふーん、視察ねえ。なんか随分と思いつめた様子だったけど」
「……」
「あのさ、あんた、ひょっとしてペイロンでしょ?」
「……なぜ、それを!」
「いや、だって賭博の神だって最初から自分で言ってたし、賭場であれだけ連戦連勝してたら、誰でも普通気が付くでしょ」
「……それがしは、ペイロンなどという者ではない」
ペイロンは顔を背け、また声色を変えた。
偉そうな神さまキャラも、さっそく崩壊しちゃってる。
「ふーん、まあ良いけどさ。それより、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、神さまなら、これから二年ちょっと先で起こる世界の滅亡について何か知らないかな?」
「世界の破滅だと? 貴様、新手の新興宗教の勧誘か。よりにもよって、神をたぶらかそうとするとはけしからん。天罰が下るぞ」
「そっか、知らないのか。じゃあ、俺の方はもう用はないや。あのさ、賭場に置いてきた山のようなコマ札はもういらないよね。無かったことにしていい?」
「それは構わんぞ。人間の世界の金など、我には必要ない。我に必要だったのは勝負勘のリハビリと勝ち癖をつけるための練習だ。これから大勝負が控えているのでな」
「大勝負?」
「……どうやら連中とは、本当に関わりが無いようだから、真実を明かすが、お前の推察通り、俺は≪賭博の神≫ペイロン。お前たち博徒が、シビれ、憧れる賭場において至高の存在だ」
今度は、イケボな感じで遠い眼をした。
「だが、俺とここで出会ったということは誰にも言わないで欲しい」
「なんで?」
「スーパースターというものは、人知れず努力するもの。≪賭博の神≫である俺が、人間に扮して、あんな鉄火場でスパーリングしてたなんて知られたら、信者たちを幻滅させてしまうだろ?」
「まあ、そういうものなのかな。俺には、よくわからないけど……」
「もう用が無いなら、俺は行くぜ。こんなところでうろうろしてると、本物がやってくる恐れがあるからな」
ペイロンはそう言い残すと、肩で風を切りながら、堂々とした足取りで街の雑踏に消えていった。
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