第209話 脱兎のごとく

後に「伝説の一夜」と呼ばれることになるゼーリック一家との間で行われた賭け魔雀まじゃんの対局によって、裏世界の博徒として華々しくデビューした俺はその後も勝ちに勝ちを重ね続けた。


失意の再ロードから83日目。


魔雀だけでなく、ありとあらゆる賭け事で無敵の強さを誇る俺は、同業の博徒たちに「賭博神の申し子」とおそれられ、対局を避けられることも間々あるようになった。

その一方で、王都界隈のだんな衆に絶大な人気を博すようになり、幸運を分けてもらおうとでもいうのか、俺が顔を出す賭場はいつも人だかりができる始末で、博徒としてはやりにくいことこの上ない状況になってしまった。


よその組織の賭場でも顔が割れてしまっている状況だったので、博打に費やす時間はだいぶ減少気味だ。


だが、それでも別にいいやと俺は最近思い始めている。

実は、あれほど夢中になっていたギャンブルに対する熱がどこか冷めてしまっていたのだ。


正直、俺は勝つことに飽いていた。

不確実性こそが最大の魅力である賭け事が、こうも勝ちばかりに偏って来ると、それが損なわれてしまう。


それでもこのアーレント一家に世話になり続けているのは、ここが居心地がいいからだ。

強面で通っている組織の仲間たちも、外で見せる顔とはまるで違って、身内には気さくで親切だ。

新参者の俺に対しても、一目置いている様な、そんな敬意ある態度で接してくるし、博徒としての実力などから特別扱いしてくれているのだと思うが行動を束縛してきたりはしない。


時折、一家の縄張り内で厄介ごとが起きて、その解決に駆り出されることはあるがそんなことは今の俺にとっては些末さまつなことだ。


そして何より、このアーレント一家にはヴィレミーナがいる。

俺のギャンブルへの熱は、いつしか魅力的なヴィレミーナに移りつつあったのだ。


理知的で、クール。

男を寄せ付けない凄みとそっけない態度をとる氷のような女というのが第一印象だったのだが、一緒に行動するうちにそれが彼女の本質ではないことに俺は気が付いていたのだ。


「ちょ、ちょっと。駄目よ。何を考えているの? 私は人妻なのよ……」


アーレント一家のアジト内にある彼女の仕事部屋に呼び出された俺は、ヴィレミーナからこの先、一か月の代打ちとしてのスケジュールについて説明を受けていたのだが、つい魔が差して、テーブルの上に置かれた彼女のしなやかな手を握ってしまった。


実は、あのゼーリック一家との勝負から、時折、ヴィレミーナと不意に目が合ったり、二人っきりで食事をしたりする機会が何度かあって、その都度、彼女も俺のことが気になっているのではないかと思われる場面が結構あったのだ。


拒絶されたら、大人しく手を引こう。


そう決めて、秘めていた思いを態度に表してみたのだが、ヴィレミーナの顔には嫌悪感のようなものは浮かんでいないと思う。

頬は珍しく赤らみ、意外なことにその表情には恥じらいと戸惑いのような物も感じられた。


「……人妻でもいいよ。俺はヴィレミーナが好きだ」


「何を言っているの? 正気なの?アーレントを怒らせたら、あなた王都にはいられなくなるわよ。あの男は、とても執念深いし、裏切りを許さない。逃げても地の果てまで追ってくるわ」


「いいよ。どこまででも追ってくればいい」


手を振りほどくそぶりを見せないので、俺はそのまま身を寄せ、彼女の唇にキスしようと顔を近づける。


これは遊びなんかじゃない。


やがて来る世界の破滅の時につらくなるから、本当の恋なんてもうしないって決めてたけど、やっぱり俺はヴィレミーナのことが好きだ。

彼女のことを考えると胸の奥が熱くなってきて、本当の自分を抑えられなくなる。


この気持ちに気が付いてからは、他の女性に手を出したりしてないし、今後も浮気なんか絶対にしない。


世界が終わるその時まで、ヴィレミーナだけを大事にする。


覚悟を決めたのか、あきらめたのか、ヴィレミーナの肩の力が抜けたようになった。


そのまま、あと少しで、唇同士が重なり合うかに思えたその時……。


いきなりドアを叩く音が聞こえて、ヴィレミーナと俺は慌てて離れてしまった。


「……どうしたの?」


「あっ、ヴィレミーナさん、すいません。兄貴、いやユウヤさん来てないっすか?」


扉の向こうから聞こえたのはオシムの声だった。


この野郎。あと少しだったのに……。


俺は大きくため息をつくと、扉の方に歩いていき、オシムを部屋の中に入れてやる。


「オシム、お前、まだ組に出入りしてるのか? こんな稼業は向いてないから、宿屋とか食堂でもやれって言っただろう? そのために渡した金はどうした」


「……賭場で全部、すっちゃいました。それで、ユウヤさんの名前を出して、なんとか住み込みでこの組で働かせてもらってるんです。今は使いっぱしりですけど、オレもユウヤさんみたいに……」


「もういいよ。それで、どうしたわけ? 俺を探してたみたいだったけど……」


「そ、そうだ。急がなくちゃ。オレが今お世話になってるヤン兄貴のところに、とんでもない賭場荒らしが現れて……」


「賭場荒らし? 」


「ピエトさんでも全く歯が立たなくて、なんていうか、その……、ユウヤさんみたいな勝ち方する野郎で、連戦連勝。イカサマだと思うんすけど、それも見抜けなくて。それで、ヤン兄貴がユウヤさんのこと呼んできてくれって」


ピエトはこのアーレント一家の顔とも言える博打打ちで、俺がやってくる前はその名を裏社会に轟かせていた強者だ。


そのピエトが為す術もなくやられる相手。


久しぶりに、俺の中の賭博に対する関心と熱がちょっとだけ戻ってきた気がした。




オシムに案内させ、ヤンの賭場に向かった。


賭場は異様な熱気に包まれていて、ただ事ではない事態に陥っていることが見て取れた。

客たちは大いに盛り上がり、その視線は一人の男に注がれていた。


ぼさぼさの頭に、無精髭。

眼光は鋭く、目の下には濃いくまがあった。

何かに憑りつかれでもしているようにやつれており、なにか小声でぶつぶつ呟いている。


「……そうだ……普通にやれば、この俺さまが負けるわけないんだ。これまではちょっと調子を崩してただけ……やれる、俺はやれるぞ。俺は賭博の神なんだ」


賭博の神?

相当な自信だな。


俺は呆れつつ、その自称≪賭博の神≫に対面しているピエトの方に目をやる。

やはり、相当にやり込められているのか表情に精彩が無い。


俺はギャラリーをかき分け、ピエトのもとに行き、「代わろうか?」と声をかけた。


「すまねえ。粘ったが、……限界だ。後を頼む」


ピエトは憔悴した様子で、場を開けた。


賭け事の種類は、庶民相手のいわゆる丁半博打だ。

鉄製の筒に賽子さいころを二つ入れて、その出目を予想する単純なものだ。

ピエトは筒振りで、自称≪賭博の神≫はその正面の差配人の列に座っていた。


俺はピエトが空けた場所に腰を下ろし、相手の顔を見つめる。


「お、お前……。まさか……」


筒振りが俺に交代したことに気が付いた自称≪賭博の神≫の顔が曇り、その口からうわ言のようなつぶやきが漏れた。


そして、次の瞬間、なぜか脱兎のごとく逃げ出したのだ。

勝ち得たコマ札もそのままに、見物人を押しのけて、賭場を出て行こうとした。







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