第201話 十羅刹女

自分にもこんな一面があったんだな。


雄叫びを上げて、激昂したすぐ後に俺は思わず恥ずかしさがこみあげてきた。

そして、それと同時に俺の中に珍しく湧いて出た怒りの熱は、意外なほどあっさり醒めていってしまった。


何を初めてもなかなか長続きしない。

どうやら怒りも同様のようだ。


この敵は倒さなければならないという決意だけが残り、俺の頭の中は不思議なほど冷静さを取り戻していた。


ムソー流杖術の三大秘奥義のひとつ、≪十羅刹女じゅうらせつにょ≫。


なぜ、この技を選んだのかというと、それはこの王都の他の地域に被害を拡大させることなく、つ、イチロウを殺さずに無力化できそうな可能性を持った技だからだ。


中途半端な技では通用しないであろうし、他の二つの秘奥義は威力がでかすぎる。

王都を俺の手で壊滅させかねない可能性があったのだ。


今や災厄そのものと言っても過言ではない危険人物のイチロウを生かしておく意味があるのかと自分でも思うが、それでもやはり人殺しはできればしたくない。


後味が悪いし、あんな奴のために夜中、うなされたくはないからね。


十羅刹女じゅうらせつにょ≫は、ゴンノスケ・ムソーが晩年に自ら描いた十羅刹女絵図に着想を得て、編み出した秘奥義だ。

膨大なMP消費と、豊かな≪想念そうねん≫を必要とするため、それを再現するに至った継承者はほとんどいなかったそうだ。

ちなみに十羅刹女というのは、仏教の天部における十人の女性の鬼神のことであるらしい。


簡単に言うと≪十羅刹女じゅうらせつにょ≫という技は、≪想念そうねん≫によって≪理力≫による自分の分身体を複数創り出し、それらと自分本体による多重コンビネーション技をめるというものだ。


分身体は一体に付き消費MP25。

完全バージョンの≪十羅刹女じゅうらせつにょ≫を発動するには全部で250も消費してしまう。

連発できるような技ではないのだ。


だが、およそ十数秒しか維持できないその分身体には、自分が習得しているもののうち消費MP25以下の技をそれぞれ一回ずつ使わせることができるばかりか、具体的な指示を与え、同時進行で動かすことができる。その組み合わせ次第では消費MP以上のコスパを発揮できるというものなのだ。


だが、複数の分身体を無駄なく動かすには相当の集中力と≪想念≫が必要となる。

俺は聖地ホウマンザンでの修行でそのための修業をやり遂げたのだ。


俺の体が、≪理力りりょく≫の光で幾重にも輝き、十体の分身体がにわかに周囲に飛び出してくる。


俺と同じ顔、同じ姿の分身体たちを見て、さすがのジブ・ニグゥラも驚きの表情が浮かぶ。


藍婆らんば毘藍婆びらんば曲歯きょくし華歯けし黒歯こくし多髪たほつ無厭足むえんぞく持瓔珞じようらく皐諦こうたい、そして奪一切衆生精気だついっさいしゅじょうしょうけ

分身体たちにはそれぞれ十羅刹女の個別の名前が割り振られていて、それを各自の記号として俺は識別している。


まずは曲歯きょくし多髪たほつにジブ・ニグゥラの左右から同時攻撃を仕掛けさせ、他の分身体たちにはコンビネーション技のための配置につくように≪思念≫を飛ばす。


そして、間髪入れずにすべての分身体に連携攻撃を開始させる。


「馬鹿な。これは……、質量を伴った多重攻撃か!ウグッ、これらをすべて同時に動かしているのか」


そう。

しかも、この分身体たちは、動作の精度が少し劣るものの、俺とほぼ同等のパワーとスピードを持ち合わせている。


入れ替わり立ち代わり攻撃を仕掛けてくる俺の分身たちに、ジブ・ニグゥラは次第に押され始め、対応しきれなくなる。

両手に持つ長短二振りの刀がことごとく空を切り、多方面からの長杖による打突や体術による蹴りなどで体勢が崩される。


「この小僧、やはりただの人間ではない。入り混じった匂いの中に、あの憎きリーザの痕跡を感じる!イチロウッ、起きろ。いつまで気を失っているのか」


ジブ・ニグゥラは狼狽した様子で独り言のように言った。


ここで俺は気が付いた。

ジブ・ニグゥラはイチロウほど上手くこの肉体を扱えていない。

イチロウから完全に肉体を奪わってしまわないでいるのはおそらくそれができないからではなく、その方が都合が良かったからなのだろう。


剣士としてみると、ジブ・ニグゥラはイチロウにさえ劣っている。


懐に入り込んだ藍婆らんばがジブ・ニグゥラが宿ったイチロウの顎を蹴り上げ、空中に浮かせる。


「よし、一気に決めるぞ!」


分身体たちが間髪入れず空中で様々な技を繰り出していき、それを終えると淡雪のように消えてなくなる。

ジブ・ニグゥラは邪眼刀、特に持ち手の部分を庇うような動きをすることがあり、そのせいもあって、凄まじい連続攻撃にイチロウの体はあっという間にボロボロになっていく。


生かさず殺さず。

分身たちの微妙な力の加減はしたつもりだ。


それでもに両手に持った刀を手放さないのを見て俺は思わず舌打ちしつつ、≪十羅刹女じゅうらせつにょ≫の仕上げのために、跳躍した。


くそっ、あの刀さえ手から離れれば、イチロウの奴をジブ・ニグゥラの支配から解き放てると思ったんだけどな。


最後の一体となった奪一切衆生精気だついっさいしゅじょうしょうけが俺の方に八卦衝はっけしょうという技で、イチロウの肉体を俺の方に飛ばしてよこした。


「仕方ない。方針転換だ」


突かば槍、払えば薙刀、持たば太刀。


夢想槍突むそうそうとつ≫の二連撃でどうだ!


俺は、想念そうねんによって、槍の鋭さと貫通力を込めた≪理力≫を杖先に宿らせ、間髪入れずに左右に撃ち分けた。


マルフレーサの≪氷柱牢獄アイス・プリズン≫を砕いたときは連発できなかったが、今の俺ならそれも可能だ。


俺が放った二連の≪夢想槍突むそうそうとつ≫は、イチロウの両腕肘関節部分を一気に撃ち抜いた。


ちょっと残酷だが、かたくなに刀を手放さないようにしているところを見ると手首近辺や刀本体を狙っても回避される可能性があり、それよりも警戒心が薄い部位を狙った方がいいと思ったのだ。

下手をすると刀を守るために、イチロウの体を盾にしようとすることも考えられた。


「グガァア……」


両腕を失ったイチロウの体と大小の邪眼刀はそのまま、きりもみ状に吹き飛び、そのまま地面に墜落した。


俺は、邪眼刀の落ちた先を見失わないように注意し、素早くそれに駆け寄る。


こんな状態になってもイチロウの手は邪眼刀を握り締めていて、柄にくっついたままだった。


「うえっ、なんかグロいな」


俺は脇差わきざしの方を持った前腕部分を長杖で弾き飛ばし、本差ほんざしの位置に寄せた。


おっ、ナイスアプローチ!


そのまま本差ほんざしがある方に歩いていくと、邪眼刀の閉じていた瞳の装飾が再び開き、生き物のように動いていることがわかる。

キョロキョロあたりを見渡し、状況確認でもしているのだろうか。

そして俺の存在に気が付いたのか、恨めしそうな視線を送って来る。


「そんな目で見ても駄目だよ。たぶん、所有者がいなきゃ、お前は何もできないんだろ?」


俺は、本差しと脇差し、両方の瞳を、いつの間にか深い亀裂が入っていたザイツ樫の長杖クオータースタッフの杖先で砕き潰した。


封じられていた刀から抜け出れるのであれば、とっくにそうしていただろうし、そうしなかったのはおそらく、この刀無しでこいつは存在できない状態なのだと俺は推理したのだ。


『ぐぉおお、おのれ……。あと少しで宿願、叶ったものを……』


辺り一面におぞましい断末魔の声が鳴り響き、刀から抜け出てきたエネルギーの塊のようなものがもだえ苦しむように蠢き、そして爆散した。








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