第193話 絶望の女神

それは深夜遅くのことだった。


自分の代わりに女神としての仕事を全部肩代わりしてくれる≪複製神コピーゴッド≫の設計に行き詰まり、あきらめて呪術バトルが売りの新しい漫画本に手を伸ばしかけたターニヤは、そのままの姿勢で固まってしまった。


「あんた……、誰?」


玄関のドアが勝手に開いていて、そこに見知らぬ若い男が立っていたのだ。

手に長い杖の様な棒を持ち、気が抜けたような顔でこちらを見ている。


ターニヤは大音量の音楽が流れるコードレスタイプのヘッドフォンを外し、慌てて近くにあった鉛筆の尖った先を若い男に向けた。


「あの……、一応、百回くらいノックしたんだけど……」


「ノックしたら、勝手に入っても良いっていうわけ? 信じられない。あんた、いったい誰よ」


「おい、ユウヤよ。やはり勝手に入るのはまずいんじゃないか」


若い男の背後から、かなりの老齢と思われる男の声がした。

仲間がいる。扉の向こうに感じる気配は二つ。片方は女性のようだった。


見た目からすると、強盗団の類には見えないけど、こんな地下深くに一体何の用なのかしら。


「あっ、えーと、一応、初めましてかな。俺はユウヤって言います。地球という場所から召喚されてきた異世界勇者です」


「異世界勇者? なに言ってるのよ。私は、あなたなんか召喚してないわよ」


「いや、まあ、とりあえずそこはどうでも良くて、今日はちょっと聞いてほしい話があってきました」


どうでもよくはないでしょ。

一応念のために、ユウヤと名乗った男の簡易ステータスを確認してみる。


名前:ユウヤ・ウノハラ

職業クラス

スキル:


「なによ、無職ノークラスのスキルなし。ただのクソザコじゃない。ビビッて損した。無職の異世界勇者なんているわけないでしょ。あなた、とんでもない大ウソつきね。こんな場所までよくやって来れたわね。扉の外の六刀流剣士像ガーディアンはどうしたの?」


「いや、嘘じゃないんだけど……」


「まあ、いいわ。きっと、外にいる二人が相当の手練れなのね。せっかく、ここまで来たんだから、話だけは聞いてあげる。でも、貴方の連れは駄目よ。まずはドアをちゃんと閉めて、鍵をかけなさい。チェーンもね」


ユウヤは、大人しく言われたとおりにして、さらに敵意が無いことを証明する気なのか、武器を静かに床に置いた。


「いいじゃない。聞き分けの良い子は好きよ。それで、何の用だったの」


よく見たら、わりと可愛い顔してるかもしれない。

見た目的にも乱暴とかしそうにないし、何より無職ノークラスの人間なんて、腕っぷしは最低クラスの神である私もさすがに怖くはない。


気を付けるべきは外にいる仲間の方だ。

一応、中に入られないように結界で室内の空間を隔離しておこう。


「あのさ、今日からだいたい890日くらいたった日に、この世界が滅亡しちゃうんだけど、それってターニヤの力で防げないかな?」


「は?何言ってるのよ。この世界が滅びる? なんで?」


ユウヤは私の問いに対して、詳しく事情を話し始めたが、それはまったく荒唐無稽なもので、信じるべき要素は一つも見当たらなかった。


世界中に設置した監視のための装置や超小型巡回ロボットが何か異常を感知すれば、FAXで知らせてくる仕組みになっているが、御覧の通り、一枚も報告は入っていない。


……入ってない。


……入ってないけど。


「あー! うそっ、紙切れのランプ点いてるじゃない!」


ターニヤは慌てて、予備のロール紙を取り出し、新たにそれをFAXにセットする。


「うそ、やだ、いつから紙が無くなってたの? 無くなったなら言ってよ」


そうだ。

次世代機には音声でお知らせする機能もつけなきゃ。


紙を補充されたFAXは勢いよく動き出し、瞬く間に部屋中が報告書だらけになったが、再び紙切れを起こしてしまった。


それから三本分のロール紙を交換したがそれでも紙切れが続いた。


「紙、もう補充しなくてもいいの?」


「……もう予備の記録紙がないのよ。こんな時間だし、取り寄せには時間がかかる。この山の様な報告書を読む気も起きないし……」


「あのさ、世界の危機の話だけど、あれマジだから。ちゃんと対策してよ」


「はいはい。一応、胸に留めてはおくわ。見ての通り、私はこれから、このすべてのレポートに目を通さなきゃないから忙しいのよ。用が済んだら、もう帰ってくれる?」


「それともうひとつ。俺にはよくわからないんだけど、なんかたくさんの人間の魂の権利が、誰か他の神様に勝手に譲渡されているみたいなんだけど、思い当たる節はないかな?」


「ふぅ、やっぱり人間は愚かね。世界滅亡の妄想の次は、それ? そんなこと、このニーベラント世界の支配神たるこの私以外にできるわけないでしょ」


「≪代表神印だいひょうしんいん≫とかいうハンコあるんでしょ。それって、今、どこにあるの?」


ターニヤは思わずユウヤの顔を見つめ直してしまった。


こいつ、頭のおかしいただの変質者だと思ってたけど、なんで≪代表神印だいひょうしんいん≫のこと知ってるの?

しかも、よく考えたら異世界勇者のことまで知ってる風だったし、神の世界の事情について詳しすぎる。


「……≪代表神印だいひょうしんいん≫ね。あるわよ、もちろん。ええと、たしか最後に使ったのいつだっけ? そうだそうだ、カップラーメンの蓋を押さえるのに使って、そのあとこのカラーボックスの引き出しの中にしまったんだったわ。大丈夫、それはばっちり覚えてる……」


ターニヤは引き出しを開け、そこにあるはず≪代表神印だいひょうしんいん≫が無いことに気が付き、目の前が真っ暗になった。


「ねえ、あのさ……」


「なによっ! あんたまだいたの。私はもうあんたにかまってる場合じゃないの。さっさと帰ってよ」


絶望のあまり、目の奥から涙があふれて止まらない。

どうしよう。

いつから、失くなっていたんだろう。


怖い。

そのことを考えるのが怖い。


支配神としてもっとも大事な≪代表神印だいひょうしんいん≫をこの部屋から持ち出したことはない。


そうであるなら、必ずこの部屋にあるはず。


この目障りな人間を追い返したら、はやく見つけなきゃ。


FAXのレポートを読むのはそのあと、何より≪代表神印だいひょうしんいん≫が先だ。


アレが無くなったら、私が支配神であることを証明するものが無くなってしまう。


「いや、マジでごめんなさい。最後の質問にするから」


「ぐすっ、本当にもう帰って。わかるでしょ、取り込んでるのよ!」


「これは、俺からの質問じゃないんだけど、ペイロンって神さま、知ってる? たしか、ターニヤとリーザの元カレなんだよね?」


えっ、こいつ、今、なんて言ったの?


なんで、私とペイロンが付き合ってたこと知ってるのよ……。

お姉さまにバレたら大変だから誰にも秘密にしていたはずだったのに、どうして。


ターニヤの脳裏に烈火のごとく怒り狂う姉のリーザの顔が浮かんだ。


駄目だ。

このユウヤとかいう人間、あまりにも不都合なことを知りすぎてしまっている。


このまま、帰してしまってはあまりにも危険だ。


それにこうなってくると、世界の滅亡の件も、人間の魂の不審な譲渡の件も妙に真実味を帯びてくる。

こいつが、頭のおかしい不審者でないなら、相当の危険を覚悟でやってきたことになるし、もしこれらの話が全部、本当だったなら、もはや私一人では償いきれない不祥事になってしまう。


FAXの紙切れという不運が原因ではあったものの、世界の危機に何の対処もせず、しかも≪代表神印だいひょうしんいん≫まで紛失したとなると、実の姉とはいえ、リーザは私を許さないかもしれない。


ペイロンの件は、その駄目押しだ。


これも同時に知られたら、強く、恐ろしいあの厳格な姉は、私をどう処するのだろう。


ターニヤは、あの救いようのないダメ男の顔を思い浮かべ、八つ裂きにしたい気持ちでいっぱいになった。


姉にフラれて傷心のペイロンに、つい同情してしまい、気が付いたら同棲のようになってしまったのだが、この男は酒と博打にだらしなく、仕事もせずに、部屋と賭場を往復するような生活を日々、送るようになっていった。

賭け事に負けると猫なで声で、小遣いをせびるようになり、頭に来たので、ついには追い出してやったのだ。


交際期間はそれほど長くはない。

ほとんどがお家デートだったから、それが誰かに発覚する可能性などなかったはずなのだが、どうしてこのユウヤはそれを知っているのだろう?


「あ、ああ、そうだわ。ユウヤ君だっけ。私の方からもちょっと話したいことができちゃったんだけど、靴脱いで、こっちに来てくれる?お茶を入れてあげるから、そのテーブルのところに座って!」


ターニヤは、ユウヤの背後に回り込み、その背を押して、床の上の折り畳みテーブルの方に誘導した。


ユウヤは言われたとおりに靴を脱ぎ、テーブルに着いた。


この油断しきった今なら殺れる。


お茶に毒を入れるか、それとも背中を何かでぶっ刺すか。


ターニヤは仕掛ける前にもう一度、ユウヤのステータスを確認しようとして、その内容に絶句した。


先ほどの簡易ステータスには表れてなかった能力値が異常なほど高い。

それはもはや人間というレベルを超越しており、異世界勇者だと名乗っていたことが嘘ではない可能性が急浮上してきた。


能力値に異常に特化した無職ノークラス

それが、このユウヤなのかも。


やばい。

こいつが話していたこと……、ぜんぶ本当のことだったのかもしれない。


これだけの高さの≪たいりょく≫とHPを持つ相手を確実に殺せる毒は、ターニヤには思いつかなかったし、何より手元には無かった。


あれを使うしかない。


ターニヤは床に腰かけて、部屋中をきょろきょろ見回している無防備な背中を凝視しながら、目の前の空間に、あるひと振りの包丁を召喚した。


これは、万が一、ペイロンが居座って出て行かなかったときのために用意した≪神殺しの包丁マゴロク≫だ。

高名な鍛冶神の手によるもので、非力なターニヤには長く重い刀は扱いきれないので、包丁の形をとった。


ターニヤは生唾を呑み込みつつ、刃に冴え冴えとした輝きを持つマゴロクを手に取った。


「ねえ、あそこに積んである漫画読んでも良い? 俺、まだ途中までしか読んでないんだよね」


「ええ、いいわよ」


ターニヤは背後に包丁を隠し、にっこりと作り笑いを浮かべた。


そして、ユウヤが再び背を向けた瞬間、一気に駆け寄り、心臓があると思われる辺りに突き刺した。


「死んでっ!おとなしく、私の平穏のために死んでぇー」


そして、そのままテーブルに押し倒し、無心で何度も背中を刺し続ける。

その傷は数十か所に及び、やがてユウヤは動かなくなった。


「はぁ、はぁ。死んだ……。動かなくなった……。あなたが悪いのよ。私のこと絶望させるようなことばかり言うから」


血まみれになったターニヤはよろよろと立上り、そして固く閉ざされたドアの方を見た。


「……完全に隠滅しなきゃ。ユウヤの仲間も、ユウヤに情報を提供した奴も、みんな探し出して、一人残らず始末しなきゃ。さあ、私の可愛いベイビーたち、出番よ。目を覚ましなさい。異常事態発生、緊急出動よ」


ターニヤは、自らが設計、構築した世界の危機管理システム≪MAGEマゲ≫、正式名称≪MARUNAGEマルナゲ≫を本格起動させるべく、念を送った。


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