第191話 カルバランの思惑

端の方に火が着いて、一気に燃え広がる証文の火をただ茫然と見つめていたのだが、それが何を意味するのか、すべてが燃え尽き消えるまで、正直俺は何も想像できていなかった。


魂の生前譲渡。


魂を譲渡したら、その人はいったいどうなってしまうのだろう。


「……あのさ、さっきの紙に名前書いてた人たちってどうなるの?」


俺が口にした疑問に、マルフレーサたちは何とも言えないような微妙な顔をした。


「ユウヤ、魂を生前に譲渡するということは、自らを供物とし、その生を終えるということなのだ。すなわち、それは死を意味する」


「えっ、そうなの?」


「なんだ、お前、宗教団体を立ち上げておきながら、そんなこともわかっていなかったのか」


カルバランが逆に驚いたような顔をした。


「いいか、我ら人が神々を思い通りに動かすにはそれなりに見返りがいる。例えば、私の体に住まわせている≪視えざる獣神けものがみ≫ダロースは、毎年2人の信者の魂を捧げるとともに、私自身の魂も死後に譲渡する約束を交わすことで、その力を自在に使わせてもらっている。かつて山野を彷徨う弱り切った土着神であったダロースは、供物として捧げられた魂を得て、今や本来の力を取り戻すに至った。このように人間の魂は、神々がその存在を保つうえでも貴重なエネルギー源であり、価値ある何かを手にするためにも欲してやまぬ財貨のような役割を果たすものであるのだ。連中は、人間の魂を手に入れるためならどのようなこともする。わかるか? 交渉用の人間の魂を多く調達できる者が、この世の支配者となり得るのがこの世界の現実なのだ」


「いや、でも、自分の願いをかなえるために他の人を犠牲にするっていうのは……」


「何を言い出すかと言えば、くだらん。いいか、ユウヤ。お前は頭は悪いが、発想自体は悪くない。いかなる知略や策謀も無視できるほどの力も持っているし、見どころはあると私は評価している。ゆえに、未熟なお前に教えてやろう。何かを成し遂げたいなら、他人のことなど考えるのはやめろ。そんなものは自分の足枷にしかなりはしない。考えてみろ。証文により魂を奪われなくても、世界中の至るところで今も人は死んでいる。お前も無償の治療活動をしていたならわかるだろう。人は簡単に死ぬ生き物なんだ。知恵もなく、力もなく、貧しくて弱い者は、強い者の庇護下になければ生きていくことができない。放っておいても死ぬ。簡単に死ぬんだよ。我ら人の上に立つ強き者は、その弱き者らを庇護する見返りに、それ相応の対価を要求する権利がある。どうだ? 私は何か間違ったことを言っているか?」


カルバランの言葉の勢いに俺は反論することができなかった。


話の内容は受け入れがたいのに、それを跳ね返す言葉が出てこない。


「ユウヤ、このままでは世界は滅亡してしまうのだろう? そうなれば、私も君も、皆死ぬ。今さら、十人や二十人、いや、それが百人でも千人でも同じことだ。全滅するよりはよほど良い。さきほどの≪半ズボンが似合う少年を愛で守る神≫ヨタコーンとの会話からこの世界の神々が、滅亡の直接の原因であることは考えにくいということが、お前にも分かっただろう。目立った異変は、現時点では起こっていない。そうであるならば、滅亡をもたらすものは、この世界の外からやって来ると考えるのが自然だろう。そして、防ぐ方法はただ一つ。お前が言う残り890日前後頃に、リーザ教団が所有している人間の魂すべてを使って神々に世界の滅亡を止めさせるよう交渉する。これでおそらく解決だ。当教団としても、すべての魂の権利を手放すのは痛いが、なに、失ったものはまた新たに集めればいい。その時にはお前にも当然協力してもらうつもりだ。神の力を借りずしても奇跡にも等しいお前の回復魔法は、教団の広告塔としては最適だからな。しっかり働いてもらうぞ」


なんだか、ずるずるとカルバランの思惑に乗せられつつある。


だが、確かにあの天変地異は人間の力では解決不能だと思われるし、代替案を出せと言われてもまるで思いつかない。

不本意だし非人道的だが、カルバランの救済案は妥当というよりもそれしかないように、今の時点では思われる。


「だが、私のこの解決法には大きな問題もある」


「問題?」


「そうだ。確保している魂の権利が何者かによって、仮差押えされているという前代未聞の現象。このような現象は長い教団の歴史でも起こったことはないはずだ。もし、この現象が現在もなお進行しているのだとすると、滅亡を防ぐために使用する予定の魂の権利が確保できない状況に陥る可能性がある。これは実際、由々しき事態だぞ。我らは全く打つ手がなくなってしまう」


「確かに……。ところでカルバラン殿、その差し押さえは現時点では仮のものであろうが、その執行が為された場合には、どうなってしまうのだ?」


何か考え込むような様子だったマルフレーサがようやく口を開いた。

いかに賢者とはいえ、神や魂の話となると、大神官であるカルバランの知識には及ばないのか、彼女にしてはずいぶんと大人しい。


「その人間は死ぬ。現在は、その権利のみがその何者かに移動している状態だが、その者が、それを求めれば、魂は肉体から抜きでて、正しい権利者のもとへと飛んでいく。それを防ぐ術はない」


「なぜ、その権利者は仮の差し押さえなどという回りくどいことをしているのであろうか。権利があるのなら、さっさと自分のものとして魂そのものを確保した方が安心できるのではないか?」


「それは私も考えていた。このような手順を踏むメリットは何であろうかとな。だが、いずれにせよ、この謎の現象の再発を防がねば、我らが所有する証文はただの紙切れになってしまう。私の推測では、この世界の支配神であるとされる女神ターニヤ、またはそれを継ぐ別の神などがいずこかの神と何らかの取引を行っており、無駄にこの世界の人間の魂を浪費するような行動を起こしている可能性がある。それをつきとめ、直ぐにそれをやめさせなければ……」


女神ターニヤか……。

あの駄目そうな感じの女神が、この世界で一番偉い神様だとは俺には思えなかったけどな。


「しかし、その女神ターニヤは音信不通なのだろう?」


「そうだ。この秘宝庫の神器を用いても呼びかけに答えてくれたことは一度としてない。神々の方から、この神器からの受信を拒絶する方法がおそらくあって、先ほどのペイロン神もその方法を取っているのかもしれん。しかし、彼の神については、我らとの連絡を絶ったとて、貴重な魂獲得のための手段を失うことになるし、何もそうする利点は無いように思えるのだがな……」


「居場所も不明で、交信もできないとなると完全に打つ手なしだな」


その場にいる俺以外の全員が困り果てた様子で、沈黙してしまった。



さて、俺は一体どうすべきなんだろうか。


女神ターニヤのポンコツぶりと、頭ごなしに無理矢理人を使おうとするときの高圧的な態度が頭に浮かんでくる。


俺としては二度とあの女神には会いたくなかったのだが、神さまたちに世界の滅亡を防いでもらうなら、あんな駄目女神にでも一応、声をかけておく意味はあるかもしれない。

そして何より勝手に人の命を誰かに渡したりしてるなら、それをやめさせなくては……。

リーザ教団の証文に名前を書いた人以外の魂だって、勝手に同じようなことをされているかもしれないし、やはりもう一度、話を聞く必要があると思う。


「あのさ、ターニヤの居場所なら俺が知ってるけど……」


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