第190話 神は語る
「ねえ、それって何なの?」
祭壇の上に置かれたその紙にはずらっと名前のようなものが書き連ねられていて、血判まで押されていた。
俺の問いかけに、カルバランは少し面倒くさそうな顔をしたが、しぶしぶ口を開いた。
「これは、自らの魂を当教団に捧げるという、いわば誓約書のようなものだ。お前たち世俗の者たちは知らないであろうが、神々の間の取り決めで、人間の魂には所有権とも言うべきものが設定されている。生きている間は、その魂は本人のものだが、死後は、その世界を管轄する支配神のものになるのだ。これは言わば、生きている間に、その所有権を他者に譲渡する権利書のようなもので、神々との契約や交渉には必須のものだ」
「魂? 神さまって、そんなの欲しがってるの?」
「人間の魂は神々にとって貴重な資源であり、さらに我らで言うところの金銭のように取引に使われるものでもあるらしいのだ。さきほども言ったが、死後の人間の魂はすべて、その世界を管轄する支配神のもの。他の神々がその貴重な魂を得るには、その支配神に眷属として仕え、俸給として魂をもらうしかない。だが、これは人の世でもそうだが、そうした状況に必ず抜け穴を考える者が現れる。その抜け穴が、この証文などを使った魂の生前譲渡の方法だ。リーザ教団では、高額のお布施や治療費などを支払う代わりに、こうした証文を取ることで、それを免除したりしている。まあ、他にも口には出せぬ方法で多くの人間の魂を譲り受ける約束を取り付けているのだが、えふん……まあ、その話はこの際どうでもいいことだろう。話が長くなるからな。さあ、我らには時間が無い。儀式の邪魔をするな」
祭壇の前に立った大神官カルバランが鬼気迫る様子で何かを唱え始めたが、なかなか目に見えるような変化は起きない。
「ミッザーラ!エゼ・イッツベ・スドジ・ペイ・ペイロン・コメバッ!シャンポーナ……」
そのうちカルバランの様子がおかしいことに気が付く。
同じ文言を繰り返し、額に汗を浮かべている。
「……妙だ。ペイロン神の応答、いや気配そのものが無い……。」
珍しく取り乱した様子で、カルバランが振り返った。
「トイレでウンコでもしてるんじゃないの。時間をおいて、また呼びかけたら?」
「ペイロン神は、何か事情を抱えているらしく、いつも人間の魂を欲していて、呼びかければすぐに応じてくれる神格の高さの割にはチョロい神なのだ。しかも、この祭壇に置かれている≪交神の宝珠≫はかつて女神リーザの地下神殿から持ち出されたという秘宝で、この世界の眷属神たちがどこにいてもすぐに
「あのさ、≪詐欺と賭博の神≫だっけ?どう考えても嘘とかつきそうだし、別の神様でいいんじゃない? そうだ! なんか個人的に契約してる神さまがいるって、カルバラン言ってたじゃない。獣神ナントカって……」
「……それは無理だ。≪視えざる
「えっと、じゃあ、ヨタコーンだっけ? なんか変な二つ名の神様いたよね」
「それは論外だ。まだ声変わりしていない少年限定の守護神で、ペイロンやリーザと同じような我ら人間に近い性格と姿を持つ神ではあるが、性情と気質がひどく偏っていて、扱いにくい」
「そうなのか、じゃあやっぱりペイロン待ちなのね。……あのさ、素朴な疑問なんだけど、神さまたちって、支配神とかいう神様から一応、給料的なものをもらってるんだよね。なんで人間のカルバランに使われたりなんかしてるの?」
「それは、今現在の支配神であるターニヤが眷属神たちとの契りをすべて破棄してしまったからだ。しかも、その後、音信不通となったそうで、この世界の神々は人間の魂を安定的に得る術を失ってしまったというわけだ。この世界に住む人間の魂はターニヤの総取り。他の神々は、困窮した状態にあるというわけだ」
ああ、なるほど。
たしかあの駄目女神が、オートメーションがどうたらって言ってたっけ。
自分のこと≪合理化と物作りの女神≫って名乗ってたし、コストカットの目的で他の神様を全部リストラしちゃったってわけか。
その後、時間をおいて何度も呼びかけたが、≪詐欺と賭博の神≫ペイロンは応答してはくれなかった。
気配すらも消えていて、まるでこの世界からいなくなってしまったかのようだとカルバランは言っていた。
他に手はないということで、仕方なく≪半ズボンが似合う少年を愛で守る神≫ヨタコーンとの交信を図ることにした。
ヨタコーンを
美人だし、おっぱいも大きい。
『カルバラン、相変わらず可愛い男の子たちをたくさん
「ヨタコーン様、我の様な下等な存在の呼びかけに応じていただき、誠に恐悦至極」
『本心にもないことを……。ですが、まあいいでしょう。魂の入手が困難な今の状況では、貴方のようなものに使われるのも致し方のないこと。それで、今日は如何なる様で
カルバランが俺の聴力で辛うじて拾えるような小声で、「今日はヒステリ起こしてない。運が良いぞ」と呟き、小さくガッツポーズした。
「はい。実はお尋ねしたいことがあり、こうして信者10人分の証文を今日は用意しました。どうか、我が願い、お聞き届けくださいますよう、伏してお願い申し上げます」
『……10人分と申しましたか?それは何かの間違いでしょう。その証文がにある魂の権利は、7人分です』
「そ、そんなはずは……」
カルバランは慌てて身を乗り出し、証文に書かれている名前の数を数え始めた。
『名を連ねている者の数はたしかに10名。ですが、そのうちの3名は、もはや別の何者かに、魂の権利を譲渡済みであるようです。未だ、取り立てられてはいませんが仮の差し押さえが為されているようですよ』
「で、では追加で」
カルバランが目くばせすると、アーマディが慌てて別の証文を取り出し、それも祭壇の上に重ねて置いた。
『いいでしょう。さらに追加で5名分。合計で12名分の魂の権利を確かに受領しますよ。願いを聞き届けるのに十。余った2名分は私への貢物ということでいいですね?』
「ちょっと、お待ちを!」
『何です?』
女神像から、ヨタコーンの苛立ったような声がした。
「今、重ねたのは10人分の証文です。この新たに置いた証文も半分は権利を失効していると仰られるのですか?」
『私が、嘘を言っていると?……お前はそう言っているのか!』
威圧的な感じのする何かが女神像から発せられたが、カルバランが例の獣神の力を使って、それを押しとどめた。
秘宝庫の全体が微かに揺れ、天井から埃の様なものが石材の隙間から落ちる。
アーマディが思わず腰を抜かしてしまっていた。
「どうか、お許しください。我ら愚かな人の子には、何が起きているのかわからぬのです。今も尚、生きていて、こうして証文にまでしているにもかかわらず、勝手にそのような仮の差し押さえなどが起きているのか……」
『そのようなことは、私の同期の下級女神だったターニヤにでも聞きなさい。魂の生前譲渡は、そもそも神の法の抜け穴をつくような行為。神々が欲に眩んで、人間たちを滅ぼしてしまわぬように定めた神聖なる協約を侵す恐れがある禁忌なのです。……あ、あのバカ女が支配神になどならなければこんな惨めな思いをせずに済んだのに!』
感情を押さえられなくなったのか、女神像からヒステリックな叫びと共に、何かを壊す音がした。
「ヨタコーン様、どうか心を追鎮めください。つまり、この証文から魂の権利が失われている異常な現象は、音信不通の女神ターニヤによるものだと考えてよいのですね」
カルバランは、アーマディの持つ箱から、再び同じくらいの太さの巻物を取り出し、それをさらに祭壇に載せた。
『……この世界の人間の魂は、最終権利者である支配神ターニヤのもの。おそらく、支配神の証たる≪
「お教えくださり、ありがとうございます。あと二つ、質問がございます」
「なんでしょう? 神の世界の事情をこれ以上聴かせるには、いささか供物が足りぬ気もしますが、まあいいでしょう。言ってみなさい」
「はい、それでは。まず一つ目が……」
カルバランは、俺から聞いた、これから起こるであろう世界の滅亡の状況を語り、何か知っていることはないかと尋ねた。
「世界の滅亡……。それについては私にはわかりません。ですが、この世界に住まう神たちの中で、そのようなことを望む者は皆無と言っていいでしょう。功績を積み上げ、上位神として引き上げられたリーザ様のような例は別として、我らはこの世界で生きていくほかは無いのです。この世界の滅亡は、我らの滅びをも意味します。もし、そのような事態になればすべての神がそれを阻止しようと動くはずです。銀河にいくつかある神々の勢力のいずれにも属していない
うーん、なんか話が壮大すぎて、俺にはちんぷんかんぷんだ。
カルバランたちは理解できてるのかな?
「では、最後にもう一つ。何度呼びかけても、ペイロン神と交信が叶わぬのですが、彼の神に何があったか、何か知りませんか?」
「……ペイロン。あの口が上手い女ったらしのことです。おそらく、何かトラブルでも起こして、雲隠れでもしているのではないですか? リーザ様の伴侶であったものを、その信頼を裏切り、数々の不祥事をおこしたあの男神……。ここだけの話ですが、リーザ様に捨てられた後、しばらくその妹のターニヤと隠れて交際していたという噂まであるのです。やはり、成人した男というものは、おぞましく許しがたい生き物ですね。私は、やはり穢れ無き少年がこよなく愛おしい。さあ、そろそろ報酬に見合うだけの時間は話しました。頂いたこの魂で、地球の薄い本でも買うとしましょうか。私は、少年は少年でも特に二次元が好きなのです」
≪半ズボンが似合う少年を愛で守る神≫ヨタコーンは、どこか嬉しそうな様子で交信を一方的に断った。
三重に重なった証文は煤も残さず、いずこかに燃えて消えた。
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