第188話 メッセンジャー

妙な気配。


それは、誰かにじっと見られている様な、そんな気配だった。


そして、その気配のする方に目をやると、壁際の薄暗がりにじっと体育座りをして、俺の方を見ている透き通った小柄な老人がいた。


リーザ教団の高位司教たちが着ているものよりもずっと飾り気がなく質素ではあったが聖職者が着るような服の上に血に塗れた白い厚手の布を羽織っており、それで顔を除く頭部全体から肩にかけてを覆っている姿だった。


俺とその老人は偶然にも目が合ってしまい、互いにそのことを驚いた顔をした。


そして俺はそっと目を逸らした。


『……待て。そなた……わしの姿が見えるのか?』


「……いや、見えてません」


『驚いた……。声まで聞こえているのか』


老人は立ち上がり、そして俺のすぐ前まで歩いてやってきた。


俺よりも頭一つ以上低く、少し腰が曲がっていた。

染みだらけの顔は青ざめており、頭部分の布にある赤黒い染みがなんとも気味が悪い。


「じいさん、誰? こんなところで何をしてるの?」


どうやら、カルバランたちも俺の異変に気が付いたようで、怪訝な顔をして俺の方に集まって来た。


「おい、ユウヤ。どうした? 何を一人でぶつぶつ言っている」


「ああ、ごめん。みんなにはたぶん見えてないんだよね? ここに半透明なじいさんが立っているんだけど……」


俺が指さした辺りを見て、一層、みんなは変な顔をした。


「何を言っている? そこには何もないぞ。ほれ、ほれっ……」


ウォラ・ギネがその空間を手で探って見せるが、半透明なじいさんの体をすり抜けてしまっている。


「ゴーストの気配などは無いが……」


そうした分野の専門家であると思われるカルバランとアーマディが顔を見合わせている。


『無駄じゃよ。もう何百年とここを訪れた者たちに話しかけたり、注意を引こうとしたが、わしの姿に気が付く者はおらんかった。わしはデルガド、リーザ教団の首座、大神官だ。そなたは、セーブポインターだな? そうなのだろう?』


驚いた。


このじいさんも廃都リーザイアの地下宝物庫にいたラバンタール公爵と同様に「セーブポインター」という単語を口にした。


「なんで、それを?」


『やはりか!やはりそうなのだな。待ちわびたぞ。何の因果でこのような場所にいつまでも留まり続けなければならぬのか、おのが宿業を恨み、後悔だけが募る日々であったが、それも今日で終わる!セーブポインターよ、おおいなる女神リーザのめいにより、わしはお前がここを訪れるのをずっと待っておったのだ』


デルガドを名乗るこの幽霊じいさんは大きくガッツポーズをして、大げさなくらいの喜びを全身で表現して見せた。


「待ってた……。あのさ、似たような人に別の場所であったんだけど、その……じいさんたちはいったい何なの? なんか幽霊ゴーストとは違うみたいだし、なんで俺にしか認識できないの?」


『それはわしらが、セーブポインターのためだけに存在する≪意思情報体メッセンジャー≫だからだ。わしらは魂魄から自我と必要な記憶、知識などを抜き取り、それらを使って再構築された、いわば神の手からなるアーティファクトの一種だ。死の間際の後悔、怨嗟、未練などのエネルギーでこの場所に固着されておる。わしらはこの世界の各地に点在しており、その個体によって機能と役割が違う。おぬしが以前に出会ったという≪意思情報体メッセンジャー≫がどのような者であったのかはわからぬが、体験した事実をありのままに語る者、ある事柄を詳しく説明する者、道案内などをする者など、その態様は様々であるはずだ。多くは、この場所のように古く、この先も長く存続するような場所に配置されているはずだ』


「いや……、ちょっと待って。話が予想の斜め上過ぎて、ちょっと混乱中。じいさんたちって、俺と話をするためだけに、何百年もこんな場所で待機させられてたってこと?」


『そうだ。わしの役目は、訪れたセーブポインターに≪意思情報体メッセンジャー≫というものの存在を教え伝えること。それゆえに、女神さまに直々の説明を受けている』


「わからないな。なんだって、そんな回りくどいことを?」


『それはセーブポインターという存在がそれだけ特別なものだということだ。女神様は仰られていた。セーブポインターは人類の、いやこの世界全体の最後の希望。切り札なのだと。そのセーブポインターが不自由なく活動するための状況把握を助けたり、この世界の予備知識的な情報を補完する目的で、わしらは各地に設置されたのだそうだ。自らが去った後の備えのひとつとしてわしらを残したのだと聞いている』


「いや、そういう目的だったら、どこか安全な場所一か所で用が足りるようにしておいてくれたら良かったのに……。行く先々で、こんな訳が分からない疑似心霊体験させられたら、たまったものじゃないよ」


『それは仕方のないことだ。悠久の時を越えて、≪意思情報体メッセンジャー≫の存在を維持するためには、その情報量もある程度、限定せざるをえなかった。何せ、わしらの存在をこの世に留まらせているのは人間の心から生み出された強い負の感情にすぎないのだからな。何より経年劣化や災害などで、その場所自体が失われてしまう恐れもある。設置数と耐用年数の兼ね合いで仕方がない措置であったようなのだ』


「あのさ、じいさんは女神リーザによって、この場所に留め置かれているんだよね。つまり、じいさんが生きていた時代って、まだ女神が去る前の時代だったの? もしそうじゃないならさ、女神の連絡先とか、話をする方法とか教えてくれないかな。実は今、世界がとんでもないことになりそうでさ。助けてもらえるように直接、お願いしたいんだけど」


『……残念だが、それについての情報は持ち合わせていない。それに、わしが生きていたのは女神様がこの世界を去った後の時代だ。初代から、さらに二代を経た後の大神官がこの私だ。その頃までは後継となったとある神のことが心配で時折、この世界をお忍びで確認しに来ていたらしく、わしはちょうど、そうした機会に造られたようだ』


「そっか、無理か。ところでさ、なんで、その頭から血を出してるの? ここで誰かに殺された?」


『うむ、いつそのことを聞いてくれるのか、ずっと待っておったのだ。実は、わしは次の代の大神官に据えようと思っていた男に殺された。油断しているところを背後からガツンとな』


「うわっ、やっぱりそうだったんだ」


『まったく予想だにしておらなかった。幼き頃から手塩にかけて育ててきた愛弟子に、まさか殺されることになろうとは……』


「原因は何だったの?」


『……うむ。恥ずべきことだが、罪の告白も、消滅のための一要件として設定されているため、あえて話させてもらおう。実は、わしを殺した男ゾーラとは、長年、恋人関係にあったのだ。幼き頃よりわしが愛情をもって育てあげ、ゾーラは教団を率いていくに相応しい人物になったのだが、恋人としては次第に倦怠感が募ることとなった。その時出会ったのが、トラヴィスという美少年だった。頬はほのかに赤らみ、あどけないその眼差しにわしは心を奪われてしまった。男としてはもうすでに機能しなくなっていたが、美しい少年を愛でたいという欲望は、老いたりとはいえ、決して消えなかった。ゾーラへの愛情も当然残っていたし、大神官の地位は予定通り、ゾーラに譲ると決めていた。だが、情愛に狂ったわしがトラヴィスのもとに毎夜通い詰めていたことをゾーラに知られてしまっていたようだった。嫉妬に狂ったゾーラは、大神官の地位について間もなく、この秘宝庫の中で引き継ぎの説明をしていた日に、その手でわしを殺めた。わしの未練は、ゾーラに自らの口で謝罪できなかったこと。そして、ゾーラをそこまで追い詰めてしまった自分自身の至らなさゆえの悔悟によるものだ。ゾーラが去り際に残した、『僕だけを愛してくれているのだと信じていた』という言葉が、今も頭から離れん……』


うーん。

話が長いな。


しかもじいさんとおっさんと少年の恋愛模様を聞いてもどうしようもない。


死因を尋ねたのは自分だったけど、聞くんじゃなかったな……。


『おお、どうやら≪意思情報体メッセンジャー≫としての使命は果たせたようだ。これで、楽になれる……』


いにしえの時代に大神官だったというデルガドは、最後にそう言うと光の粒子となり、色褪せた石の天井に吸い込まれるように消えてった。

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