第187話 闇の奥底にあるもの

マルフレーサは、大神官カルバランの許しを得て、設立以来の膨大な記録や書物の眠るリーザ教団の書庫に足を踏み入れ、調査を開始した。

そうした分野にはまったく役に立たない武力担当である俺とウォラ・ギネは、マルフレーサの手伝いをし、あれを持ってこい、肩を揉め、茶を入れてこいといった指図のもと、大いにこき使われることになった。


カルバランは、「先人たちの恥と教団の罪が記されているが、それらは私のものではない」と一般信者はおろか幹部でさえ閲覧が認められていない禁書の類もすべて開示してくれた。

過去に異端審問により捕らえられた者たちの拷問により得られた供述書や、古代の聖職者たちの神秘体験などの記録。

そして、教団の存続を図るために為された悪事の数々がそこには残されていた。


そうした秘匿されてきた情報の中から、なにか世界の破滅に繋がり得る手がかりが無いかと期待したのだが、そこに繋がるような情報は何も得られなかった。


わかったのは、リーザ教団が信者向けに発信してきた建前と実態の乖離かいり


もはやこの世界に存在しない女神リーザから、信者たちの心が離れて行かぬようにするための様々な工作や真実を知ってしまった者たちの口封じの徹底などがなされていたことなどが克明に記されていたのだ。


代々の大神官に受け継がれてきた教団の闇。

俺たちはその一部を垣間見ることとなった。



調査開始から十日後。世界の滅亡を引き起こす原因は、ここにはないとマルフレーサがそう結論付けた後、俺たちはカルバランの私邸にある応接室に集まり、救世会議の最大の後援者である彼と今後の方針を話し合うことにした。


カルバランのもとにも、各地の協力者たちからかんばしい報告や有力情報は届けられておらず、ある程度予想したことではあるが、原因の追究の段階で、完全に難航してしまっていた。


「これだけの人が動いてくれたら、すぐに手がかりくらいは出てくると思ったんだけどな……」


「うむ、カルバラン殿から開示された禁書の類も、読み物としては非常に興味深かったが、直接の原因になりそうなものは無かった。教団の権威を守るために、女神リーザに代わって奇跡を起こしてくれる他の神を探したり、その事実を公表しようとした聖職者を毒殺して口封じするなど、おおよそ常識では考えられないことが克明に記されていただけだった」


美老女姿のマルフレーサだけはその知識欲が満足したらしく嬉々としていて、その一方で散々、あごで使われて大変だった俺とウォラ・ギネは落胆の色を隠せなかった。


「ユウヤよ、そんなに肩を落とすでない。収穫が無かったわけではないのだぞ」


「えっ、そうなの?」


「ああ。原因がこのリーザ教団や各地の協力者たちが調査した範囲内には無さそうであることが分かっただけでも収穫であろう。遠回りなようでも、こうして一つ一つ潰していくしかない」


「少し、いいかな?」


マルフレーサが話し終えるのを待って、カルバランが口を開いた。

カルバランは、昼近くの遅い朝食を取りながら話を聞いていて、ちょうど食事がひと段落したようだ。


「私一人、高みの見物をしているような状況で申し訳ないのだが、救世会議に集まった者たちの活動状況を見るに、そうした草の根的な調査方法はどうにも無駄であるようにしか思えなくなってきた」


「それはどういう意味であろうか?」


マルフレーサが眉をひそめる。


カルバランは救世会議後も自堕落かつ優雅な生活を改めることなく、この私邸に籠りきりだったし、この場所を前に訪れた際も美しい少年たちを侍らせ、愛でるような姿を俺たちに隠そうともしていなかった。


「気を悪くしたなら、謝罪するし、皆の努力は認めているよ。しかし、ユウヤが体験した終末の光景とその破壊の規模から推測するに、やはりこれは人間のなせる業ではありえない。そうなると、視点を変えて、逆に疑わしいものに重点的に的を絞った方がいいのではないかな? 時間は限られている。もう残り900日を切ってしまったことだしな」


「ほう、ではカルバラン殿にはその心当たりがあるというのだな。その上で、われらに、何の関りもないと自身が考えておられる書庫の開放を許した。随分と人が悪い話ではないか?」


「賢く、疑り深そうな貴女のことだ。そうでもしなければ、まっさきに我を疑っていたであろう。書庫に出入りする傍ら、当教団の施設を密かにあちこちを調べて回っていたようだったからな」


「そんなことしてたの?」


「……」


「魔法で姿を消し、この私邸にも何度か忍び込んでいただろう? すべてお見通しだったよ。だが、それを責めているわけではない。かえって、私の身の潔白が証明されて良かったと考えているよ。迷える子羊たちと夜のとこで仲睦まじくしているところを覗き見されるのはいささか困ったが、まあそれもまたなかなかに刺激的ではあった。君の目から見た我がリーザ教団はどうだった?感想を聞きたいね」


「見事なまでの拝金主義。ただそれだけの団体だったよ。そして、皮肉なことに、そのおかげで多くの人間が生計を立てることができているようだった。現世利益の飽くなき追及と蓄財。世界の滅亡を望む団体には、この男も含め、とても見えなかった」


「それはどうも。しかし、マルフレーサ殿。貴女をもってしても、当教団の敷地内に一か所だけ侵入できなかった場所があっただろう。今から、その場所に案内しようと思う。ついて来たまえ」


カルバランは、ナプキンの端を持ち上げ、中面で口元を拭うと、それを折りたたみ、席を立った。




枢機官のアーマディを従えたカルバランが案内してくれたのは、この私邸の地下だった。


地下に降りる階段の出入り口は、重い鋼鉄製の扉で塞がれており、さらにマルフレーサの話では魔法では解除できない力場が発生していて、通り抜けできなかったようだ。


「ダロース・ウドゥーラ・アル・アドゥヒ・グォ・プラヴァンザーラ!」


カルバランが高らかにそう唱えると、扉は自ら重々しい音を立てて開き、その下に地下階段が現れた。


カルバランの全身を、≪理力りりょく≫とは異なる別の不思議な力が包み込んでいて、それと同様の力がさきほどまで出入り口の扉にも感じられたが、今はもう存在しない。

以前、アーマディを宙吊りにしたあの力と同じだと思う。


こいつ、普段の暮らしぶりを見てると、ただのインチキ宗教家に見えるけど、やっぱり油断がならない。


「さあ、来たまえ。リーザ教団の最重要機密にして、最大の秘宝の御開帳だ。光栄に思いたまえよ。大神官を継ぐ者以外でこの場所を訪れたのは君たちがおそらく初めてのことだろう。そしてくれぐれもここで見聞きしたすべてについては、他言無用に願いたい」


「あのさ、禁書の閲覧もそうだったけど、何でここまでしてくれるの?」


「それを君が言うのか? 隠そうとしても、そこのマルフレーサ殿から聞いたなら、君はここをいずれ調べに来るだろう。私はいらざる疑惑を向けられ、そして無駄にそれを弁明しなければならなくなる。それに、私が個人的に契約している≪視えざる獣神けものがみ≫ダロースが助言してくれているのだ。ユウヤ、お前を敵に回すのは何よりも危険なことだとな」


「俺が危険? 」


「ああ、そうだ。理由を尋ねても答えてはくれないが、神をしてそう言わしめるものと、理由もなく対立するなど愚者のすること。私は、何も隠し立てしていないし、ただおのれの豊かな人生を守りたいだけの男だ。身を売るような苦労して、ようやく手に入れた地位、名誉、財産。それを、そんな理不尽な天変地異などで失いたくはない。だから、君に全面的に協力する。私とて、世界の破滅を止めて欲しいからな。さあ、行くぞ。見せたいものはこの階段を下りた先にある。ついてくるがいい」


俺たちは、いつの時代に造られたのかわからない古びた石階段をカルバランの背を追い、降りて行った。

足元の石材はひどく劣化しており、黒ずみ、変色してしまっている。


地上の建物部分とは明らかに年代が違い、カルバランが私邸に使っている建造物はこの地下部分よりもかなり後で建てられたものだろう。


地下二階分は降りたであろうか。


その長い階段を下りた先はかなり広い空間になっていて、どこか黴臭く、そして空気がひんやりと湿っていた。

左右の壁は、長い横穴のように窪んでいて、どうやら棚の役割をしているらしい。

その棚代わりのくぼみには何やらいわくありげな見た目の古い品々が並んで収められていて、それぞれに何か得体の知れない何かが宿っているのを感じる。


カルバランが何か短く唱えると壁の各所にある珠の様なものがうすぼんやりとした明かりを灯し、まだ相当に薄暗くはあるものの、室内の全体像がよりはっきりと見ることができるようになった。


奥の方にいくつかの像と祭壇のようなものがかすかに見える。


「さあ、この奥だ」


先頭を進むカルバランの背に大人しくついて行こうと思ったのだが、ふと、その手に持つ灯りの光が照らす先とは違う場所に、俺は言いようのない妙な気配を感じて、思わず立ち止まってしまった。


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