第180話 大神官カルバラン

リーザ教団の最高位である大神官カルバランの朝は遅い。


深夜、朝が訪れる寸前まで迷える子羊たちの相手をしているために自ずと夜型の生活になってしまい、目を覚ますのは正午ごろになってしまうのだ。


大聖堂の広大な敷地の一画にある厳重な警備の敷かれた大神官用の豪奢な別邸には、ゼーフェルト中から集められた入信希望者の中から、さらに女神リーザのお告げによって選りすぐられたとされる少年たちが多く仕えている。

全員が回復系魔法スキル、あるいは希少な特殊系のスキルを持ち、従順で、容姿の優れた少年たちばかりだ。

カルバランはその少年たちを幸福注入棒による通過儀礼イニシエーションを施すという名目で毎晩、日替わりで寝室に数人ずつ呼び寄せている。

この少年たちは三年ほど、こうした日々を耐え忍び、そして聖職者の中でもエリートコースと呼ばれる司教育成のための聖神学府への転籍が許されるのである。


大神官の地位は、多くの司教たちの中から大神官自らによる後継指名によって引き継がれることになるため、この少年たちの中から未来の大神官が誕生する可能性も大いにある。


「だ、大神官様!大変でございます」


ここに勤める少年たち全員と一緒に入れるだけの広さを有する大理石張りの大浴場での沐浴で体についた様々な体液を洗い流し、けだるげな表情で遅すぎる朝食をとっていたカルバランのもとに若い枢機官が血相を変えて駆け込んできた。


この枢機官も聖神学府出身で、現在は大神官に次ぐ地位である。

大神官を補佐し、その職務における実務のほとんどを代行していた。


「なんだ? 騒がしいぞ。ここへはあまりやって来るなと言っていたはずだ。用があるならばまとめて、大聖堂に赴いたときに聞くことにしていたであろう」


カルバランは不機嫌そうに、ミディアムレアのステーキを咀嚼しながら、忠実な彼の枢機官に向かって言った。


「そ、それが大事件でして。早急にお耳に入れなければと……」


「大事件だと……? なんだ、何が起こったというのだ。言ってみろ」


「はい。少し前に報告した≪救世の癒し手≫ユウヤの件なのですが……」


「ん? 誰だ、そいつは」


「お忘れですか。王都の郊外で、我らに断りもなく宗教活動をしていた異端者です。無償での治療行為が支持されて貧困層を中心に勢力を急拡大させ、千人近い信者を獲得していると先日、報告したばかりではありませんか」


「……ああ、そんな話もあったかな。それがどうした。問題になるようなら≪無慈悲な救済プアーリ≫しろと命じていたはずだが……。そのために殉教騎士団の使用も認めたはずだぞ」


「そ、それが身柄の確保に向かった教区の司祭プリーストが逆に、そのユウヤに捕まり、連れていた騎士たちも散々に打ちのめされて重傷を負ったとのこと」


「馬鹿め。それなら、より多くの殉教騎士を差し向け、さっさと始末すればいいだけだろ。まさか、その捕らえられた無能な司祭の無事を考慮しているとか言わないだろうな。司祭など掃いて捨てるほど代わりがいるし、かえって席が空いて良いだろう」


「そ、その殉教騎士団ですが、ほぼ壊滅の危機にあります。実は、そのユウヤなる異端者がこの大聖堂にまで押し寄せてきており、対応に当たった殉教騎士団及び駆けつけた認定勇者たちが軒並みやられてしまって……。実は、すぐそこまで、もう来ているのです!」


「すぐそこまで? なぜ、それを先に言わんのか! 」


カルバランは、嚙み切れなかった肉を最高級葡萄酒で一気に喉奥に流し込み、慌てて席を立った。


くそっ、まだデザートの甜瓜てんかを食べてないのに!


「敵の数は何人だ。奴は信者たちを大勢引き連れてきているのか?」


「それが……、奴は一人です。長い杖のようなものを使った得体の知れない武術を用い、誰一人、奴の体に触れることができません。最初は教区の司祭シモンズを人質にして、大神官様に会わせるよう要求してきたのですが、それを拒絶すると問答無用に敷地内に侵入してきて、戦闘になったのです。交渉する振りをして、なんとか時間を稼いでおりますが、どれだけしのげることやら」


「……そうか、先ほどからなにやら騒がしいと思っていたが、そんなことがあったのか。しかし、たった一人でこの別邸まで辿り着くことができるとは到底思えぬが……」


その時、突然扉が開いた。


「案内ご苦労さん。一人慌てて奥の方に駆けて行った奴がいたから、≪理力りりょく≫の動きを追わせてもらったよ。そいつが大神官で合ってるのかな?」


それは男というには若すぎるが、少年と呼ぶには、どこか年齢不相応に老成したような冷めきった瞳をしていた。


黒髪とその顔立ちから異国人である一目でわかる。


手に背丈ほどある杖を持ってはいるが構えてはおらず、その少年からは微塵の緊張も敵意のようなものも感じ取ることはできなかった。


うっすらとした笑みを浮かべながら、ただ悠然とこちらを見ている。

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