第166話 魔王

俺はどこかで思い上がっていた。


この世界で一番自分が強いなんて風には思ってなかったけど、わりと強引に何でも解決できるだけの力はあるといつの間にか考えるようになっていたようだ。


この目の前の魔王にでさえ、どこか得体の知れなさを感じつつも、本気で戦ったら負けないんじゃないかと心の底では思っていて、それが油断に繋がってしまったのだと思う。


魔王の変貌は一瞬のことだった。


俺の言葉に激昂し、憎悪がこもった視線をこちらに向けてきた刹那。


魔王の肉体が一瞬で膨張し、一回り以上大きくなったかと思うと、人間にはあるはずのない尻尾のようなものが俺に向けて旋回してきたのだ。


俺とマルフレーサは、それを避け損ね、離れた石の壁に激突することになった。


とっさにガードした左腕が痺れて感覚がないし、重い衝撃が全身にまだ響いていた。

どうやら肋骨などの骨も折れてしまったらしく、少し息苦しい。

口の中にも血の味が染みてきた。


「きゃあ!」


マリーの悲鳴が聞こえて、そちらを向くと、どこから現れたのか、見知らぬ鳥顔の魔人の姿があった。

マリーを羽交い絞めにしていて、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。


「君が悪いんだよ、ユウヤ君。平和的に話し合いするはずだったのに、君が私を怒らせるから、こんなことになってしまった。だが、今ので理解できただろう?君と私の力の差を……」


そこにはもはや先ほどまでの普通のおじさんの姿はもうなかった。


辛うじて人型は保っているものの、まるで爬虫類のような目に変わり、全身に黒い鱗のようなものがびっちりと生えているばかりか尻尾や角まである。


服は全部千切れ飛び、素っ裸だ。

股間の男性器は人間の面影を残しつつも少し変形してた。


「……ははっ……どうしたの、それ。人間じゃなかったってわけか」


俺は長杖を文字通り杖代わりにして、何とか立ち上がった。

マルフレーサは気を失ったのか、身動き一つしていない。


「虚勢は張らなくてもいい。私の耳には、君の恐怖で高まった鼓動がしっかりと届いているよ。この姿はね、私の第二形態。ゴーダ王国を滅ぼしたその直後に、パウル四世に裏切られてね。その時、瀕死に陥った私は、やむなく一番頼りにしていた使い魔の魔竜と融合したんだ。今の私は、魔竜の魔人。魔竜魔人だと語呂が悪いから、魔竜人と私は呼んでいる。この姿の私はやけに気が短くなってね……、ひどく乱暴な気分になるんだ」


長話を聞いている間に、≪場所セーブ≫でマリーとマルフレーサを連れて逃げようと試みたが、身体を拘束されている場合は使用不可なのか、マリーを対象にすることができなかったので断念した。


くそっ、そんな設定があるなら、どこかに書いておいてくれよ。


「痛っ、……不意打ちが決まったくらいで勝ち誇られても困るな。まだ勝負はついてないよ」


なんとかザイツ樫の長杖クオータースタッフを構えると俺は、マリーの方に視線を送った。

なんとか、あの魔人からマリーを解放できないかな。

それにマルフレーサの怪我の状態も気になる。


「人質が気になるのか? 心配はいらないよ。あの娘は、ヴァンダンに対する大事な人質だ。危害を加えたりはしない。それに……子猫と戯れるのに人質は必要ないだろう?」


俺は、自分の体に手を当て、≪回復ヒール≫を使った。

ほんの少しMPを消費してしまったが、全身の痛みと傷が癒えていく。


「ほう、回復呪文まで使えるのか。面白い。君の≪職業クラス≫に関する情報は無いが、ちょうど良い。少し実力を試させてもらおう」


魔王は野太くなった声でそう言うと、俺めがけて突進してきた。


「くっ」


俺は、魔王の無造作な右手の振り下ろしを紙一重で躱し、長杖で反撃した。

しばらく互いの攻撃の応酬が続き、俺は魔王の実力がどれほどのものか身をもって理解できてきた。


魔王の動きは俺がウォラ・ギネから学んだムソー流杖術のような術技じゅつぎだったものではない。

ただひたすらに速く、そして力強い。

動き自体はたぶんかつての俺同様に素人だ。


スピードはほぼ互角で、パワーは向こうが完全に上回っている。


だが何より特筆すべきは、守備力だ。


鱗自体も硬いが、打撃を加えた際に感じるこの密実とした筋肉の手ごたえは、取り込まれている魔竜の特性なのだろうか?

俺の≪ちから≫をもってしても大型ダンプの分厚くて硬いタイヤを殴ってるみたいな、そんな感じを受けている。


杖術の防御によって、魔王の攻撃はたまにしか当たらないが重い。

それに対して俺の攻撃はちっともダメージを与えている様な感じが無い。

長期戦になるほどボロボロになるのは俺の方だ。


聖雷セイクリッドサンダー≫は屋内では使えないし、こうなると俺ができることはありったけの≪理力メンタル・パワー≫をぶつけることしかない。


俺は技の準備をするため、魔王から一旦距離を取った。


「素晴らしい。この姿の私相手にここまで食い下がるとは……。ユウヤ君、ますます君が欲しくなった。どうだろう。もう一度考え直してはくれないか? 君が元の世界に戻ることを望まないのなら、こうしよう。ゼーフェルトを無事に滅ぼした暁には、その領土をすべて君にあげよう。そして、いずれは強欲で愚かな権力者どもに代わって、君と私でこの世界全体を平和で理想的なものに作り替えていくというのはどうだろう。二人の力を合わせればそれも可能だと思うのだがね。世界の半分を君にあげるよ」


「世界の半分なんて、要らないよ。大勢の人を使って統治するにも気苦労しそうだし、何でそんなストレス溜まりそうなことしなきゃならないのさ。それに、その口ぶりだと、お前も元の世界に戻る気ないみたいじゃないか。ひょっとして、本当は戻る方法なんか無いんじゃないの?」


「元の世界に戻る方法は、確かにある。だが、お前の言う通り、今の私は元の世界に戻る考えはない。この醜く、おぞましい身体を見てみろ。こんな体で戻って一体、今さらどうしようというのだ。時の経過は残酷だ。私がこの異世界に来てからもう二十年以上が経つ。父母は老い、家族の状況も様変わりしているだろう。死んだはずと思っていた人間がふらりと現れて、それを受け入れる身にもなってみたまえよ。私はこの異世界で生き、そして、いずれ死ぬよ。だが、その前に、あのパウル四世だけは許すわけにはいかない。奴のせいで命を落としたディアナやゴーダ王国の人々の無念を晴らすまでは死ぬわけにはいかないんだ」


「気持ちはわからないでもないよ。でも、その復讐のためにどれだけの人が命を落とすと思う? 恨みを晴らすために、さらなる恨みが生み出される。そんなことをしても切りがないじゃない」


「では、すべて忘れろとでもいうのか」


「そうは言っていないよ。でもゼーフェルトには、お前が滅ぼしたという旧ゴーダ周辺の小国から逃れてきた移民もたくさんいたよ。本格的な戦いになれば、その彼らもきっと犠牲になる。ゼーフェルト人じゃない、その彼らも殺すの? 人間を魔物と合体させて、魔人を作っているという話も本当みたいだし、どれだけ悲しみを生み出せば気が済むのさ」


「お前はやはり大きな誤解をしている。私が滅ぼした小国群は、ゼーフェルトに従属しており、奴らの口車に乗って、向こうから攻め寄せてきたのだ。先に手を出したのは彼らの方だ。私はその報復をしたに過ぎない。それに人間を魔人にしたのは、ゼーフェルトの侵略などで命を落としかけた者たちを救うためだった。私の初期≪職業クラス≫は、≪魔物使い≫。そこからクラスチェンジが発生して、≪魔改造マイスター≫、≪魔物マスター≫へと昇格していったが、私には君のような人を癒す力は無かった。大勢の瀕死の人間を救うには、私が創り出した魔物と負傷者を合成することでその生命力を補うしかほかに術が無かったのだ」


「……その境遇には同情するよ。俺だって同じ立場ならどうしたかはわからない。でも、自分の心を曲げてまで、協力する気にはなれないんだ。俺は国同士の争いだとか、殺し合いだとかに関わる気は毛頭ない」


「そうかな? お前は現に関わってしまっているではないか。その娘の護衛をしてきたのは関わっているとは言えないか? それだけではない。ハーフェンの勇者などと崇め立てられ、結局はゼーフェルトに利する行為に加担しているではないか」


「……」


「味方になる気が無いのであれば、もうよい。敵に回られるくらいなら、今ここで死んでもらおう。魔王の黒炎ダーク・フレイム!」


大技を使おうとしていたのは向こうも同じだったようだ。


魔竜人になった魔王の口から、どす黒い炎が吐き出され、それが俺めがけて飛んできた。

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