第164話 普通のおじさん

「ねえ、マルフレーサ。なんか少しずつだけど進路ズレてない? 」


「いや、問題ない。地図上ではそう思えるかもしれないが、このルートで正解だ。ほら、あそこの高台に古びた砦があるだろう。今夜はあそこで一休みして、そこから反対側の旧街道に降りてゆくから、そうすればかえって近道になる」


「そっか、まあ俺、方向音痴だから。その辺は任せるよ」


俺は見ていた地図をマルフレーサに返し、先頭に戻った。


俺たちはマルフレーサの言葉通り、もうすでに放棄された感のある古い砦跡にやってきた。



魔王領に足を踏み入れてから三日目。

相変わらず魔物との戦闘は稀で、順調そのものだ。


砦の内部にも魔物の気配はなく、今のところ建造物の外にも特に異常はない。


何か当時の人が遺したお宝のような物でもないかなと物色してみるが、目ぼしいものはやはり何もなく、黴臭い朽ちた布だとか、欠けた食器などガラクタばかりであった。


そうしてようやく腰を下ろして休めそうな広間のような場所を見つけ、そこで夜営の準備をしていると、にわかに周囲の雰囲気がおかしくなった。


禍々しい気配が辺りに立ち込め、自分たちが入って来た出入り口の方から誰かがやって来る気配と足音がした。


「やあ、待たせたかな?」


姿を現したのは、どこにでもいそうな感じの普通のおじさんだった。

年齢は五十代半ばか、後半くらいの見た目で、口髭を生やしており、中肉中背。

身なりもその辺の通りを歩いている庶民とさほど変わらず、それよりもちょっと程度がいいくらいだ。

白髪交じりの黒髪に、色素の濃い瞳。

東洋人のようだった。

柔和な表情で、目尻の皺がなんとも優しそうな印象を与えてくる。


「えっ、誰?」


「えっ、聞いてないの? 」


そのおじさんは意外そうな顔で、マルフレーサの方をみて苦笑した。


「そうか。じゃあ自己紹介しようかな。私が、君たちが会いに来た魔王だよ」


「魔王!?」


マリーがとっさに床に置いてしまっていた剣を拾い、それを抜いて構えた。


俺もちょっとビビってしまって、思わず長杖を握る手に力が入る。


「そうです!私が噂の魔王です」


笑いを取ろうと思ったのか、有名コントの変なおじさんを彷彿とさせるイントネーションでおじさんはおどけてみせた。


「いや、困ったな。マルフレーサ、ここで会うことにしたことを彼らに伝えていなかったんだね。すっかり警戒されてしまってるじゃないか」


魔王を名乗るその男は、肩をすくめて、ため息を漏らした。


「マルフレーサ、どういうこと? 説明してよ」


俺は、つい少し苛立った口調でマルフレーサを睨んでしまう。


正直に言って、俺は戸惑っていた。

突然、丸腰で現れたこの気さくなおっさんがどのような相手なのか、まったく見当がつかなかったからだ。

強いのか、弱いのか、それすらわからない。

先ほどまで立ち込めていた禍々しい気配は、いまはもう鳴りを潜め、元の雰囲気に戻っている。

意図的に抑え込んでいるのか、≪理力≫は一般人並みのように感じるし、とても隙だらけだ。


だが、それでいて、どこかこの相手とは戦いたくないと思わせる何か不気味なものを俺は微かにではあるが、確実に感じ取っていた。


このおっさんには何かがある。


これは俺の本能がそう告げてきていて、そのせいで気が立ってしまっているのだ。


「ユウヤ、すまない。黙っていたが、ここに来る前に魔王とは何度か連絡を取り合った。これを使ってな。向こうが、魔王城での謁見ではなく、この砦跡を選んだのだ」


マルフレーサは懐から、妖しく輝く小さな石の玉のようなものを取り出し、俺に見せた。

どうやら、その指でつまんでいる丸い物で連絡を取り合っていたらしい。


「そうなんだ……。マルフレーサと魔王は知り合いだったということだね」


なるほど。

そして裏では魔王勢力とヴァンダン国の密約が成立するように根回し済みだったということか。

そして、成立する見込みが立ったから、こんな魔王領くんだりまで足を運んだというわけだ。

いつもの悪巧み、いつもの隠し事、いつもの独りよがり。

秘密主義はどっちだよ。


「いや、言葉は何度か交わしたことがあるが、こうして顔を合わせたのは初めてだよ。彼女の誤解を解こうというわけではないが、これは本当の話だ。そのアイテムは、≪世界を救う者たち≫が解散し、隠遁生活をしていたマルフレーサに使いをって届けさせたもの。離れた者同士が会話をできるという……まあ、電話みたいなものだね。彼女の有能さは配下の者たちから伝え聞いていたし、それにゼーフェルトとの戦では彼女にいくつか借りを作ってしまってね。どうにか魔王領に来て力を貸してほしいと口説いてみたことがあったんだ。結果は、まあフラれてしまったわけだけど、その≪交信珠こうしんじゅ≫を捨てられてなくて良かったよ。今回は本当に役に立った」


「そんなに便利なものがあるなら、ヴァンダンの女王と直接、あんたが話し合えばよかったじゃない。そうすればマリーはわざわざこんな場所まで危険を冒してくる必要がなかったし、話が早かった」


「ふう、やれやれ、私の第一印象は最悪だな。ユウヤ君、この通りだ。裏でマルフレーサとやり取りしていたことは謝るよ。でも、これは私にとっては必要なことだった。言葉だけで交わした約束など到底信じることはできない。過去に何度も痛い目にあっているからね。こうして直に会って、自分の目で確かめる必要があったんだ。ほら、こうして共も連れずに自ら丸腰で来た。私の誠意は感じてもらえたと思うが……」


魔王は両手をわざとらしく上げて見せて、微笑んだ。


「ユウヤ君、本当を言うと私が一番会いたかったのは君だ。私と同じ地球から来た同郷人。女神リーザの遺した禁術により異世界勇者として造り替えられた被害者同士だ。もう、とうに捨てた名だが、私の本名は、陸奥小五郎むつこごろう。かつては大学で獣医学を教えていた。君は見たところ学生だね。この異世界から元の世界に帰りたいとは思わないか?」


「最初は帰りたかったけど、今はもうあきらめた。帰る方法がわからないし、戻っても別に何かあるわけじゃないからね」


「……帰る方法があると言ったら?」


魔王の言葉に思わず目を見開いてしまった。

もう、とっくに元の世界に未練はなくなっていたと思っていたのに、一瞬、向こうにいる家族の顔が浮かんでしまった。


そう、家族だ。

つまらない学校生活や、嫌々受験勉強に追われる日々に戻りたいとは思わないけど、家族にはもう一度会いたいような気もする。

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