第150話 立ち込める暗雲
ケンジやヒマリと別れ、国境の街バレル・ナザワを発ってから九日後のこと。
いつもはオールバックにしている前髪を下ろし、無精髭を伸ばしたままの亀倉は、かつてこの王都を出た時とはかなり異なる風貌になっており、王都の門をくぐる際も特にとがめだてされることは無かった。
衣服や装備品は自らを襲ってきた賞金稼ぎの集団を返り討ちにして奪ったもので、身分証もその中の一人から拝借したものだ。
この異世界に来てから、おそらく六十八日目。
太鼓のようだったビール腹が、引き締まってくっきりと浮き出たシックスパックになり、体格は逆に少しガッチリした感じに徐々に変わって来た。
「結果にコミット、異世界ザップ。なんつってな。……ケンジたち、無事でいると良いんだが……」
王都の中央から外れた地区の盛り場にある小さな酒場に入った亀倉は、その隅にある席につき、麦酒を呑みながら、そう呟いた。
この酒場には、腹ごしらえをすると同時に、情報収集の目的もあって、やってきた。
雑談を装って、今の王都の様子を聞き出せそうな相手を物色し、手ごろな相手に声をかけるつもりだったのだが、その相手はすぐに見つかることになる。
あまり繁盛してないのか、もうだいぶ日が傾いているというのに店内の客の姿はまばらで、中央の席にどっかりと座ったまま、面白くなさそうな顔でひとり杯を傾けている、自分と同じくらいの年齢の男がいた。
その男は、亀倉には全く関心を示さず、つまみなども頼まず、ただ酒を口に運びながら、物思いにふけっているかのようだった。
その風貌からこの王都の住民のほとんどを占めるゼーフェルト人ではなく、さらに冒険者や賞金稼ぎとは思われぬ、どこからかやって来た商人のような出で立ちだった。
このような安酒場にはふさわしくないような割と良い仕立ての服装をしているし、人相も悪くなさそうに思える。
情報収集などやったことは無かったが、まあ元請ゼネコンの懇親会の要領でやれば何とかなるだろう。
名刺もないことだし、ざっくばらんに行くか。
「ちょいと、兄さん。もしよかったら、一杯奢らせてくれねえか。誰かと待ち合わせしてるなら、遠慮するが、一人で飲んでても旨かないだろう? ほら、この料理も多すぎて、俺一人では食いきれなくてな。すきっ腹に酒は毒だから、良かったら、これも食べるといい」
亀倉は自分のテーブルから料理の載った皿と杯を持ってきて、男から席を一つ離して、強引に座った。
そして、給仕の女性に、「この兄さんと俺のお
「いや、すまないがそういう気分じゃないんだ。相席用のテーブルだから、そこで勝手に飲み食いする分にはかまわないが、そっとしておいてくれ」
「どうした? 何か、良くないことでもあったのか? 俺でよかったら話を聞くぜ」
「……あんた、どうしたって、俺にかまい立てしてくるんだ?」
「いや、なに、俺と同年代くらいだろ。どことなく気になってな」
「……そうか。……あんた、娘はいるか?」
「娘? いるぜ。手塩にかけて育てた一人娘なんだが、それがどうかしたのか」
亀倉の答えに、男は突然目を覆い、嗚咽の声をこぼした。
「おい、どうした。大丈夫か?」
「ああ、すまない。俺にも大事な一人娘がいるんだが、それを今日、この国の王に召し上げられた。うちの娘のような器量良しを集めて、新たな王太子様のハーレムを作るんだそうだ」
「なんだと? それは、どういうことだ」
「俺は、南方の小国ナバルとゼーフェルト王国の間を船で交易している商人で、国王陛下に目をかけてもらい、直接の商いをさせてもらっていたのだ。今日も、仕事を手伝ってくれている一人娘のアーリアを連れて、陛下に謁見を賜ったのだが、そこに
「どういうことだ。その王太子とは何者だ? 新たなの意味も分からないし、あの王に隠し子でもいたのか」
「あんた、タクミ様を知らないのか? 」
「知らん。もっと詳しく教えてくれ」
給仕が持ってきた新しい杯を男に手渡し、身を前に乗り出す。
しめた。この男に最初に声をかけたのはどうやら当たりだったようだ。
これから、王城に乗り込むのに最適な情報源になりそうだ。
そして何より、人の大事な娘を奪うとは許せねえ!
「タクミ様は、陛下とは血のつながりが無い。なんでもこの国を救うべく新たに召喚した異世界勇者だという話だ」
「異世界勇者? それは確かなのか」
「お披露目などはなかったが、城の者たちは皆そのことを知っていたよ。そう、なにより陛下自身もそうおっしゃっていたからな。これは確かな話だろう」
「驚いたな。それで、その異世界勇者がなんだって王太子なんてことになったんだ?」
「血のつながりこそは無いが、国の守護者として誰よりもふさわしいと、陛下が言い出し、強引に自らの養子にしてしまわれたのだ。少し前には爵位も与えられたそうで、その時ですら、陛下がご乱心になられたと騒ぎになったそうだが、今回はその比ではなかったそうだ。だが、諫めた大臣が処刑されるなど、誰も陛下を止めることはできず、ついには他の御子がたくさんおられるというのに立太子の宣言まで……。そして王太子タクミ様の要望で、お世継ぎをつくるための
男はうなだれ、そして顔を隠して泣いていた。
だいぶ酒も入っているせいか、顔もかなり赤くなってきた。
「なんというか、お前の娘の話も不憫でならないが、その王太子タクミという奴の話はまったく突拍子もなくて頭がついていけてないな。俺も実はあの国王とは少し面識があるのだが、とても他人のいいなりになるような人物には思えなかった。たとえ、どれほど有能なものであったとしても、自らの血筋を絶やしてまで、そんな得体の知れない他人の異世界勇者などを世継ぎにするなどありえることだろうか。いや、あれだ。あんたの言葉が信じられないわけではなく、あまりにも常識からかけ離れているというか……」
「無理もないことだ。俺もその話を聞いたときは我が耳を疑った。ゼーフェルト人であることが何よりも重きを置かれるこの王都で、異なる世界の、しかも何の功績もあげていないタクミ様にそれほどの待遇をお与えになられるなど、前例のない話だからだ。しかも後宮を王位継承前から作るなど……」
魔王討伐隊の隊長として、この王都を離れている間に、よもやこれほど大きな変化が起きていたとは亀倉は予想だにしていなかった。
しかも、力尽くで国王から元の世界への帰還方法を聞き出すはずであったのが、自分の知らない別の新しい異世界勇者の出現で、少し暗雲が立ち込めてきたような、そんな気がしてきていた。
王太子の座に就いたということは、そのタクミという奴が元の世界に戻りたいと希望している可能性は低い。
そうなると、自分の後ろ盾になっているあの国王を守るために、亀倉の試みを妨害する方に回ることも考慮に入れておかねばならなくなったし、難易度がさらに高くなったのは明らかだった。
「色々と聞かせてくれてありがとうよ。客も増えてきたことだし、これ以上は誰が聞いているかもわからねえ。王家の悪口を話していたなんて、告げ口されても面倒だから、俺はもういくよ。お代はここに置いておくから、あとは好きにやってくれ」
「すまない。こちらこそ、話をしたら胸のつっかえが少しとれたよ。もう、大丈夫。行ってくれ」
「たしか、娘さんの名前はアーリアだったな。こう見えても俺は、これからその国王陛下に会うんだ。チャンスがあったら帰してもらえるように頼んでみるよ。期待しないで待っててくれ。くれぐれも絶望して、身投げなんかするんじゃないぜ。夢見が悪くなっちまう」
「あ、あんた。本当に、本当に、……ありがとう。ありがとう。だが、気を付けてくれ。陛下は、パウル四世さまは、本当に人が違ったみたいに王太子の言いなりになってしまっている。決して、ご不興を買わないように言葉には気を付けた方がいい。タクミ様を庇うためにもう何人も処断しているくらいなのだ」
亀倉は、自分の手を取り、涙でその赤ら顔を濡らした見ず知らずの男を優しくなだめつつも、席を立ち、その酒場を出た。
「タクミか……。一体、どんなやつなんだろうな」
亀倉はそう呟き、そして裏路地に消えた。
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