第141話 幻術師トゥルゾ

倒れた本棚を押しのけて、姿を現したのは緑色の肌をしたかなり小柄な老人だった。

鼻の下とアゴにふっさりとした白い髭が生えていたようだが、焼け焦げて一部が縮んでしまっている。


服も爆発の影響であちこちボロボロで、重々しい口調にもかかわらず威厳のかけらも感じられない。


「怪我してるみたいだし、顔色も緑で悪そうだけど、大丈夫ですか?」


「ぐっ、顔色は生まれつきだ!怪我についても、これは貴様の仕業であろう!何者だ!?」


「いや、本当にごめんなさい。俺は、ただの旅人っていうか、冒険者っていうか、名乗るほどのものでもなくて……。なんか無理矢理、この地下に引き込まれて、全部仕方なくやったことなんだけど、本当にわざとじゃないから……」


良いことして名前聞かれるならまだしも、怒っている相手に名前はできるだけ教えたくない。

何とか誤魔化してここから逃げなきゃ。


「おのれ、魔王様に与えられた貴重な設備をめちゃくちゃにしおって……。許さん、許さんぞぉ。捕えて、傀儡くぐつ人間と化してくれるわ!くらえ、≪催眠スリープ≫」


緑色のじいさんの右手から放たれた妖しい光線が俺に命中したが、特に何も変化がなく、マルフレーサに使われた時のようにリラックスしたような感じもなかった。


「なぜだ!なぜ眠らん? しかも、先ほどから何度も≪幻覚視ハルシネーション・アイ≫を使っているのにまったく効いていない。何なのだ、お前は!」


マルフレーサによると、俺は素の能力値の高さから、≪たいりょく≫や≪まりょく≫などと≪うんのよさ≫から推定できるらしい状態変化や魔法に対する抵抗値が、異常に高いらしい。


「いや、俺の体ってそういうのあんまり効かないみたいなんだよね。≪催眠スリープ≫だっけ? さっきの部屋の白い煙とか、俺の連れが使ったやつより効果弱いね」


「そんなはずがあるか!ワシこそは、魔王様が従えし≪六魔将≫がうちの一人、≪魔幻将≫ネヴェロス様の第一の臣下、魔法の達人、幻術師トゥルゾなるぞ!」


「長いよ。どうして自分の紹介をするのに他の人の名前を二つも使うのさ? それと、さっきから魔王、魔王ってうるさいけど、爺さんって、魔王の関係者なの?」


「ふっ、ふっ、ふっ、そうだ!今頃になって恐ろしくなっても遅いぞ。どうやら、変わった体質の人間らしいが、それならば、これでどうだ。≪暗黒球ダークボール≫!」


幻術師トゥルゾは両手を使ってカンチョーするときのような印を組むと、その指先を俺の方に向けてきた。

指先から、黒い球体のエネルギーがまっすぐ、割と速いスピードで俺に飛んでくる。


「うわっ、いきなり何すんのさ!」


俺は、ついとっさに身をかわしつつ、≪理力りりょく≫を込めた長杖でその黒い球を野球のピッチャー返しの要領で幻術師トゥルゾに打ち返す。


来た球を逆らわずに打つ。

考えるより先に、体が勝手に動いてしまった感じだ。


だが、やはり野球経験が無いせいだろうか、打ち返した≪暗黒球ダークボール≫は幻術師トゥルゾの顔の横を通り、そのはるか背後にある扉を一つ破壊してしまった。


そしてふと気が付く。


あぶねえ。俺は何をやってるんだ。

聞きたいことがあったのに、うっかり殺してしまうところだった。


当たらなくて済んだのはむしろラッキーだったのだ。


「ひぃいいい。魔法を杖で打ち返すなど、なんて滅茶苦茶な小僧だ。こ、殺される……」


幻術師トゥルゾは全身で震えだし、そしていきなり背を向けて逃げ出した。

だが、それをのんびりと見逃す俺ではない。


なんといっても俺は、換気のスイッチの場所を聞かなければならないのだ。


「おい、ちょっと、待て」


一瞬で追いついた俺は、幻術師トゥルゾの服の背の部分を掴み、それを阻止する。


「放せ。放してくれ。暴力反対!老人虐待反対!殺される。この若者に殺されてしまう。誰か、出会え、出会えーい。侵入者だぞー。ネヴェロス様、どうかお助けをー」


服を掴まれた幻術師トゥルゾが空中でじたばたするが、小学校低学年くらいの体格をしているので軽い。


「いや、さっきのはお前がいきなり攻撃してきたから反応しただけで、殺す気とかないから……」


「……本当か?」


「本当だって。最初に引き込まれたあの部屋の白い煙を排気する方法を知りたいだけなんだって。あと、ここから出る方法も」


俺はようやく暴れるのをやめた幻術師トゥルゾに、呆れたように言う。


「排気の方法については教えてやっても良い。だが、……ワシの一存でここから貴様を出すわけにはいかん」


「なんで?」


「ここはゼーフェルト王国侵略のための重要な拠点の一つだ。人知れず、多くの時間と地道な労力を使って、ようやくこれだけの要塞と準備を整えてきた。お前をこのまま無事に帰してやるかどうかは、この拠点の主にして、魔王軍東方部司令官たる≪魔幻将≫ネヴェロス様にお伺いを立てねばならん」


「なるほど、『店員じゃだめだから、店長に聞いてきます』みたいな感じなのね。いいよ。じゃあ、そのネヴェロスっていう奴のところに案内してよ」


「お前、人間のくせにネヴェロス様のことが恐ろしくないのか?我ら、≪魔族≫とは異なり、圧倒的な力を持つ≪魔人≫なのだぞ? その魔人の中でも、最も強力な力を与えられているのが≪六魔将≫だ」


この爺さん……、聞いてもいないのにさっきからぺらぺらと。

年寄りは話好きだって相場が決まっているが、これって、組織とか軍隊とかだと情報漏洩とかにあたるんじゃないの?


「あのさ、あんまり興味ないけど、その≪魔人≫とおたくら≪魔族≫って違うの? まあ、話したくないなら別に良いけど……」


「そうか、お前、≪魔人≫を知らんのだな!だから、その恐ろしさが分からんのか」


いや、知らないわけではないけど、それほど詳しいわけではない。

ここは口裏を合わせておくか。


「いいか。よく無知な人間たちは、我ら≪魔族≫と混同しがちだが、実は明確に違う。≪魔人≫というのは、魔王様が、人間と魔物を合成して作ったいわば改造人間……、いや人間型魔生物とでも言うべき存在なのだ」


「えっ、あいつらもともとは人間なの?」


マジかよ。俺、もうすでに二人も殺しちゃってたじゃないか。


「あいつら?何のことだ?」


「ああ、ごめん。それはこっちのこと。別の件だから続けて」


魔人が人間と魔物を合成して作られているという話を聞いて、表情にこそ出さなかったが、内心ではかなり驚いていたし、ドン引きしてしまっていた。


あの蛸魔人とか、虫魔人とかにもそれぞれ元の人間だった頃の姿があって、魔王とかいう奴に無理矢理、別の存在に作り替えられた被害者だと思うと、ひどくいたたまれない気持ちになってしまって、今後、あいつらと戦いにくくなっちゃうじゃないかと心の中で文句を言いたくなった。


「おい、人にものを教えてもらおうというのに、いつまでこのままにしておく気だ。苦しいから下ろしてくれ」


「まあ、いいけど、逃げてもまた捕まえるから無駄なことはしないほうがいいよ。俺も無駄な殺生したくないし」


俺はため息をつきながら、そっと幻術師トゥルゾを床に下ろしてやる。


「ふん、もう逃げたりはせん。お前は、ネヴェロス様のところに連れていき、どうすべきか指示を仰がねばならぬからな。確かにこの峠を調べに来た他の冒険者たちよりは腕が立つようだが、調子に乗るなよ。貴様など、ネヴェロス様の足元にも及ばんのだからな。絶対に後悔させてやる」


ふーん、その人は強いんだ。

本当はそいつとは会わないでここを脱出したいんだけど、何か手はないかなあ。


「さあ、ついて来い。話は歩きながらするとしよう。ワシ自らが死への案内人を務めるのだ。感謝するがいいぞ……」


幻術師トゥルゾは、その皺だらけの緑の顔に不気味な歪んだ笑みを浮かべ、何本か欠け落ちた歯並びをその口元から覗かせていた。


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