第120話 自由への旅路

誰にも言わずに城を出た。


あてがわれていた自室の机の上には、領主へのお礼とこのハーフェンを去ることにした理由を手紙の形で残しており、これでもう思い残すことは無い。


衣食住の面倒を見てもらっていた食客しょっかくの身としては、直に会って旅立ちの理由を説明すべきであったのだろうが、領主に引き留められる可能性もあったし、何よりフローラの顔を見たら決心が鈍ってしまうかもしれないと思った。


フローラには初めて会ったときに、すでに一目惚れしていたと思うし、同じ城で暮らしているうちに、より親しみというか好意が増していくのを感じていた。


執事のテオが言った通り、この世には確かに身分の壁というものがある。


恋する想いを胸の中に閉じ込めて、一生、家臣として見守り続けるなんていう人生もあるかもしれないけど、そういうのは、何だか俺らしくないし、無理だろう。


こういう失恋の形もあるんだなと受け入れて、次の恋の糧にしよう。


マルフレーサに何も言わなかったのは、へたをすると一生付きまとわれそうだという危惧があったからだ。

彼女のことは嫌いじゃないし、むしろ女性としても魅力的だなとは思うけど、またとんでもないトラブルに巻き込まれそうで、ここは退散するのが得策であろうと思った。


魔女と呼ばれていたのは伊達ではなく、マルフレーサにはどうにも災いを引き寄せてしまうようなところがある。

強い好奇心と知性を後押しする抜群の行動力。

それに豪胆な性格と時折見せるあの底意地の悪さが加わると、もう手が付けられない。

そう、まさにトラブルメーカーという言葉は彼女のためにあるような言葉だと今は思うのだ。


ちなみに領主に残した置手紙はこんな感じだった。


「領主様、突然出ていくことになってしまい、本当に申し訳ありません。城のみんなは良くしてくれたし、出される料理もおいしくて、居心地もよかったのですが、先日の蛸魔人の一件で、国内には徐々に魔王勢力の魔の手が及びつつあるのだと気付かされました。俺は、本当に、改めて言いますが、勇者ではありません。しかし、各地で魔物や魔人のその命を奪われたり、苦しめられている人たちがいると思うといてもたってもいられずに旅支度を始めてしまったのです。俺は、若く、未熟で、もっと見聞を広めなければならないと常々思っていましたし、旅をつづけながら、困っている人たちの力に少しでもなれるように頑張ろうと思います。領主様、どうかこの志を理解し、快く送り出していただけたらと思います。それとフローラ様、麗しい貴方の護衛を務めることができたのは一生の誉れ。これ以上、長くそばにいると、きっと好きという気持ちが抑えられなくなってしまうと思うので、下賤の出である俺は、迷惑をかける前に潔くハーフェンを去ります。どうか、健やかに、幸せになってください。ユウヤより」


急いで書いた割には、けっこううまく書けていると思う。


世のため、人のために旅立つのだと書けば、魔王との戦いが続く今のご時世、引き留めにくくなるだろうし、さりげなくフローラへの恋心にも触れておけば、父親の心境的に、悪い虫は遠ざけたくなるだろう。


いつかまた世話になるかもしれないから、好青年を装いつつ、印象は、悪化させずに去りたいというニュアンスも込めたつもりだけど、そんな都合よくはいかないかもしれない。




ハーフェンを出た俺は街道を少し北に戻って、街道の分かれ道から、東の国境方面を目指すことにした。

もちろん、道中は寄り道をしながら、焦らず急がず、気の向くまま、興味の向くまま。


立身出世して、国王に仕官したリックたち≪正義の鉄槌≫のようなサクセスストーリーを目指すのも良いけど、俺にはやっぱりこういう生き方が性に合ってる。


世間一般で言うところの成功者なんかにならなくたっていいや。


俺は俺らしく、それが一番だ。


二日ほどかけて最初の宿場町に移動し、そこで一泊。

夜が明けてから、再びしばらく街道をのんびり歩いていると、掘られた井戸を中心に、旅人が休めるように整備された水場があった。


俺はちょうど喉が渇いていたので、汲んだ水を杯で掬い、それを一気に流し込む。


コマンド≪どうぐ≫のリストの中に、中身が入った水筒はあったのだが、汲みたての冷えた水はやはり美味い。


ついでに残りの水を使って、顔を洗い、最後は桶の中身を頭から被る。


「ひゃ~、冷たくて気持ちいいな」


「ふふっ、これを使うがいい」


同じ旅人だろうか。

聞いたことがあるような若い女性の声がして、誰かが手拭いを差し出してくれた。


「あ、どうも。気が利く……ね」


渡された手拭いで顔を拭き、相手の方を見た瞬間、俺は固まってしまった。


そこに立っていたのはしっかりと旅支度をした若々しい姿のマルフレーサと、なぜか犬ぐらいのサイズに縮まった状態の白き聖獣ブランカだった。

相変わらず美しい毛並みと利口そうな顔立ちをした狼のような姿で、気高く触れがたい神聖な雰囲気をしているが、俺を見るその瞳は、この間と同様になぜか優しい。


「な、なんで、マルフレーサがここにいるの? どうやって俺がいる場所が……」


「さあて、何でであろうな。一夜を共にした女に何も告げずに去っていくような薄情者に教えてやる義理があるあるかな?」


マルフレーサが意地悪そうな笑みを浮かべ、俺の乳首のあたりをつねってきた。


「痛っ! 何すんのさ。いや、別に置き去りにしようとしたわけじゃないけど、ほら、領主様の体調が戻るまで手伝うような話してたじゃない。邪魔したら悪いかなーって……」


「まあ、そういうことにしておこうか。では、種明かしするが、お前の体のどこかに、私の一部……それは髪の毛の切れッ端なんだが、皮膚の下に埋め込んでいてな。お前がどこにいようとも追跡できるようにしているのだ。ここまでの移動は、ブランカの背に乗ってきたのだが、聖狼フェンリルの足だ。巨大化もしてたからあっという間に追いついたぞ」


「髪の毛を? なんで、そんな気持ち悪いことするのさ」


「それは、自分の胸に聞いてみるのだな。実際に、私を置いていなくなったわけだし、仕込んでおいて正解だっただろう。そう簡単に私から逃げられると思わない方がいいぞ。他にも色々と追いかける手段は持っているからな」


なんてこった。

俺は、知らず知らずのうちに、マルフレーサによって囚われの身同然になってしまっていたようであった。


マルフレーサは自分の顔を近づけてきて、すみれ色の瞳でまっすぐ俺の顔を覗き込んだかと思うと、そのしなやかな指先で鼻をつんと、ふざけて押してきた。




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