第118話 宴も酣(たけなわ)

男としてのプライドというよりは、貴族としての面子メンツなのだろうか。


いずれにせよ、主催者であるヴィルヘルム辺境伯の体裁や宴の趣旨を忘れていがみ合うこの二人の貴族は、ろくな人物でないことだけは確かだ。


酒宴ではあるが、見たところ度が過ぎるような飲み方はしていないし、食事をとりながらたしなむ程度であった。

我を失うようなアルコール量ではなかったと思う。


「ヴィルヘルム、馬鹿どもに巻き込まれて怪我をしては損だぞ」


マルフレーサが、ヴィルヘルム辺境伯に歩み寄り、そのふらつく体を支えながら、いがみ合うディレン総督たちから離れるように耳元で小声で促す。


同時に俺は、フローラのもとに行き、彼女の安全を確保するため壁際にエスコートした。



両者はもう相当に頭に来ているようで、カルロスなどは帯剣の柄に手をかけ、今にも抜かんばかりだ。


「ふふっ、お前は豚ではなく、猪のようだな。抜け、抜いてみろ。成敗してくれる。それともそんな度胸も持ち合わせていないのかな? 呪いに頼るようなケッペールの小倅は?」


ディレン総督は嘲るような笑みを浮かべ、カルロスを挑発する。


「俺は、呪いなど知らん。言いがかりだ!」


我慢できずにカルロスが抜剣してしまった。


周囲のご婦人たちから悲鳴が上がり、対立する貴族二人の周りに遠巻きの輪ができる。


カルロスが剣を抜いたのを確認し、ディレン総督は自らの細剣を抜き、突き技を放つような独特の構えをした。


「二人ともやめるのだ。婚約の件は後日、日を改めて協議いたそう。このような馬鹿げた争いは両家のためにはならんぞ」


ヴィルヘルム辺境伯は病み上がりの弱々しい声で仲裁しようとしたが、その声が届かなかったのか、カルロスがうなり声をあげて、ディレン総督に突進した。


ディレン総督は、まるで闘牛士のような軽やかなステップでそれを躱し、突きの連撃でカルロスの背と肩に二つの刺し傷を作る。


「ぐうッ」


両者の剣の技量は、一目瞭然で、ディレン総督にはかなりの余裕があるようだった。

それを読み取ったのだろう。

配下のエンリケがカルロスを庇うかのように、ディレン総督に立ちふさがった。


さらに双方が連れてきた配下の騎士たちも宴の会場の端の方から駆けつけてきて、剣を抜き、場は一気に騒然となった。


「マルフレーサ、どうする? 必要ならこいつらを大人しくさせてもいいけど。このままだと、問題がどんどん大きくなっちゃうんじゃない?」


「構わんさ。好きにさせておこう。あの二人には、実はこっそり≪高揚ハイテンション≫の魔法をかけてある。酒も入って気が大きくなってるところに、魔法の効果で自制が効かなくなっているのさ」


「嘘! いつの間にそんなことしてたのさ?」


「いつって、お前がお色直しに戻ってきたフローラのドレス姿に鼻の下を伸ばしてる間にさ。フローラを襲った連中のことやヴィルヘルムに呪いをかけたあの≪魔人≫について、あの二人が何か知ってるんじゃないかと思ってね。魔法の効果と酔いで口が軽くなったあと、いろいろと聞き出そうと思ったら、喧嘩がおっ始まってしまったというわけさ。このタイミングで城にやってきたあの二人は、もろもろの利害関係を考えると非常に怪しい」


自慢げに話すマルフレーサを、ヴィルヘルムとフローラは信じられないという驚きの顔で見つめており、どうやら二人に事前の了承は得ていなかったらしい。


「でも、あのカルロスはフローラの婚約者なんでしょ。俺は別にどうでもいいけど、こんな醜態を晒したら、婚礼に影響が出るんじゃないの? やっぱり、止めた方が……」


「その必要はない。私の≪高揚ハイテンション≫は、主に戦場などで、兵士たちの理性の箍を緩め、人間が秘めている敵意や闘争心、気分などを高める効果があるのだが、人を操ったり、特定の行動をとらせたりできる魔法ではない。つまり、あの二人の行動は、自らの本性がそうさせているだけで、他者に強いられているわけではないのだ。それに、フローラ。お前はさきほど私に、『本当は、カルロスとなど結婚したくはない』と悩みを打ち明けてきたではないか。破談になる……結構なことではないか」


「マルフレーサ様!」


「フ、フローラよ。今の話は本当か? お前、この縁談を望んではいなかったのか?」


ヴィルヘルムはフローラの両肩に手をかけ、尋ねた。


「女心のわからない馬鹿親父だね。二回り近くも年の離れた、それもあんなけだものみたいな大男、フローラが気に入るわけはないだろう?」


「いや、しかし、お前は、この縁談を喜んでお受けしますと言っていたではないか。婿を取り、ハーフェン領主の妻たる地位が確たるものになれば、お前が一生困るようなことは無い。そう考えて進めた縁談が間違いであったというのか」


「それは、心の優しいフローラが悩むお前を見て、そう決心したまでに過ぎないことがまだわからないのかい?」


「そうなのか? フローラ、お前、私のためにこの話を引き受けるといったのか」


「……ごめんなさい。お父様。覚悟はしていたのだけれど、こうしてあのカルロス様を目の当たりにすると、恐ろしくて、ついマルフレーサに弱音を吐いてしまいました。親が決めた相手のもとに嫁ぐのは貴族の家に生まれた女としては当然のこと。その心構えはできていたつもりでしたが、本当にごめんなさい。フローラはいたらない娘です」


秘めた本心をぶつけ合った親子の良い話だけど、広間の中央ではついに、ディレン総督陣営とカルロス陣営の戦闘が始まってしまっていた。


だが、両者は互角とはいえずカルロスを庇いながらの戦いでエンリケが実力を出し切れないのか、次第にディレン総督陣営が優勢になりはじめた。


もはや宴は台無しで、その付近のテーブルも、出されていた料理もめちゃくちゃだった。


「すまぬ。お前の本心を知っておれば、このような話を無理に推し進めたりはしなかったものを……許せ。許せ、フローラ。それでお前、だれか好いた相手でもおるのか?」


フローラは一瞬、俺の方をちらっと見た気がしたが、「いえ、おりません。今はまだもう少しお父様のそばにいとうございます」と言って、親娘で抱擁しあった。


「ぐあっ!」


カルロスの配下が先頭に押し出されて、よろめきながら、こちらに来た。


俺は、コマンド≪どうぐ≫のアイテム一覧から、ザイツ樫の長杖クオータースタッフを取り出し、それを使って、ぶつかりそうになったカルロスの配下を打ち据えた。


はたから見れば、俺が空中から長杖を取り出したかのように見えただろうが、仕組みが分からなければ、手品か何かのように映ったであろうし、この騒ぎの中であれば、それほど気にされることは無いだろう。


「くっ、エンリケ。こうなったら、アサシンギルドの連中を呼べ。来ておるのだろう?あやつらも、この間の失態の挽回を希望していたことだし、支払った報酬分の働きはさせよ」


「しかし、連中を呼んでしまっては、酒席での喧嘩では済まなく……」


「うるさい。ここは私の妻になる女の父親の城だぞ。総督どもを皆殺しにして、口裏さえ合わせてもらえれば、どうにでも隠ぺいのしようがある。大事なのは今、勝つことだ!」


追い詰められた闘牛の様に、血走った目をしたカルロスの指示にエンリケは一瞬、戸惑ったような顔をしたが、意を決して指笛を吹き鳴らした。


すると、給仕の者や使用人、衛兵などの姿をした手練れの者たちが四、五人ほど駆けつけてきて、ディレン総督陣営に襲い掛かった。


戦闘はいよいよ激しくなり、双方に人死ひとじにが出始めた。


劣勢を察知したのだろうか、ディレン総督が「ここは退くぞ」と声を上げ、撤退の意思を示した。


「おい、ユウヤ。出番だよ。先に剣を抜いたのはカルロスだから、ディレンの奴をここで取り逃がすと様々な口実をつけられて責任は不問になってしまう。主催者側の警備の不備だとかなんとか因縁も着けられそうだし、後日面倒なことになりそうだ。あいつらを一人残らず捕縛するよ」


マルフレーサは俺にそう指示すると、フローラたちを庇うように立ちつつ、自らも≪催眠スリープ≫や≪麻痺パラライズ≫などの状態異常魔法を立て続けに連発し、両陣営のまだ暴れている者たちを無力化させ始めた。


「へいへい。仰せの通りに、大賢者どの」


俺の方はというと、出入り口の扉の前に全力ダッシュして、そこから出ようとしていたディレン総督たちの前に立ちふさがった。


「ごめんね。おたくらに逃げられるとなにか問題があるんだってさ」


「下郎が!そこを退けっ!」


ディレン総督が細剣による怒涛の突きを繰り出してきたが、俺はそれを無駄のない紙一重の動きで躱し、一気に間合いに入ると杖頭で、その頭を陥没させない程度の力加減で軽くノックした。


ディレン総督は白目をむいて倒れ、後続の配下も、さらにそれを追ってきた変装しているらしいカルロスが呼んだ手練れたちも全員、してやった。


「ふう、今度は手加減、うまくいったよね」


この広間の唯一の出入り口であるこの扉の前の床には、倒れた者たちで埋め尽くされ、足の踏み場もない状態になった。


マルフレーサの方もうまくやったようで、向こうでも状態異常魔法による無力化が成功したようだ。

カルロスたちは地面に這いつくばり、フローラたちの周囲はもう安全そうだ。


壁際に張り付いて、事の成り行きを見守っていたほかの出席者たちや城の者たちも胸を撫で下ろし、広間はようやく静けさを取り戻した。




余談だが、自分が気絶させた者たちが、ちゃんと息をしているか確認してみたところ、三分の一ほどが手加減に失敗しており、息絶えていた。


首が折れたり、内臓が破裂したり、打撃部位が陥没している者もいた。


どうやら、相手が手練れの者ほど勢い余って強い打撃になってしまったらしい。

そして一番最初のディレン総督には細心の注意を払って手加減したが、そのあとはだんだん調子に乗って雑になっていたのかもしれないことも反省材料だった。


剣や斧のような刃を持たない長杖は、人命を奪わずして争いを治めることを至上とする。


長杖の師であるウォラ・ギネは、俺に「疵つけず 、人をこらして 、戒しむる 。教えは杖の外にやはある」と、ムソー流の根底にある不殺の理念をよく説いていた。


強くなったという自信が最近芽生えつつあるが、その点からすると俺はまだまだ未熟であるらしい。


俺は、その場にしゃがみ込むと両手を合わせ、「夢とかに化けて出てこないでね」と彼らの冥福を強く願った。



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