第116話 招かれざる客
領主とその娘フローラの懇願に負け、俺は当面の間、この城に留まることになった。
仕官の話は、考える時間がほしいと保留にしてもらい、俺は
マルフレーサもまた仕官の話はやんわりと断ったうえで、領主の体調が戻るまでの間、その政務を手助けするということで話がまとまったようだ。
自我を押し通し、城を出ていくことも考えないではなかったが、よくよく考えてみると、外出の自由が認められるならば、宿代わりにもう少しだけ城に留まってみてもいいかなと思い至ったのだ。
ここを拠点にして、ハーフェンの観光を楽しみ、飽きたら何か理由をつけて、お
そんな風に簡単に考えていたのだが、俺は、この食客という立場がどのようなものであるのか、まるで理解していなかった。
マルフレーサによれば、食客というのは、王侯貴族たちが才能のある人物を客として遇して養う代わりに、その恩をもって主人を助けさせる目的で身近に囲う、いわば私兵のようなものであるらしい。
マルフレーサもかつては、ハーフェン領主のヴィルヘルムに乞われ、相談役の肩書は得たものの、当時は任官していたわけではなく、食客の身分であったらしい。
港湾を有し、漁業や交易が盛んなハーフェンは、他と比べても豊かな領地であり、ヴィルヘルムはそうして得た潤沢な財貨を使って、おのれが有能と判断した人材を複数人囲っているらしい。
世の中には、堅苦しい君臣関係を嫌って、任官を望まない俺の様な人間も少なくないようで、この食客というゆるい主従のあり方はそれなりに重宝であるようだった。
衣食が保障されて、手柄を立てれば褒美も与えられる。
毎朝規則正しく出仕しなくてもいいし、上役のご機嫌伺もしなくていい。
冒険者ほどではないものの、割と自由で俺向きだなと少し思った。
食客としての俺に求められている役割だが、それはやはり用心棒のようなものであったようだ。
フローラを襲撃した一味の正体が未だ明らかになっていないこともあり、彼女の外出の際には常に俺が召し出されることになった。
執事のテオは、領主家の一切を任されているため、四六時中、フローラに張り付いているわけにはいかないようだ。
それにあの黒尽くめの集団が手練れぞろいであったこともあって、俺以外にこの役割を果たせそうなものがいないと判断されたらしい。
テオは、俺とフローラが二人っきりになる時間が増えることを懸念を示し、改めて「出自、身分などによってふさわしい生き方と住む世界が云々」と釘を刺してきた。
俺がフローラの護衛を務めるようになってまもなくのこと。
領主の城で、盛大な宴が催されることになった。
それは、領主ヴィルヘルムの病からの快癒を祝うものであり、また病に臥せっている間、迷惑をかけた城の者たちに対するお礼の意味も込められてのものであったようだ。
だが、この宴の本来の趣旨は、ある二組の客によって大きく異なる方向にねじ曲がってゆくこととなった。
その二組の客というのは、このハーフェンに王都から派遣されてきている総督府の者たちと、フローラの婚約者である貴族の次子カルロスだった。
彼らがやってきた名目は、ヴィルヘルムの病状が回復したことを祝うというものであったが、それぞれに別の目的があるようであった。
宴は、内輪のアットホームなものではなく、
俺は騎士の正装をさせられた上で、フローラの従者として付き従うように、出席を頼まれてしまった。
「おお、御
フローラの婚約者だという貴族の次子カルロスは、華やかな刺繍に飾られた貴族服の下のシャツのボタンがはちきれんばかりの肥満体で、背が高く、縦にも横にも大きかった。
毛深く、繁みのようになっている手の甲に比べて、頭髪は薄く剥げていて、額は脂ぎっていた。
年齢は、俺が想像していたよりもかなり上で、たぶん四十歳近くは、いってるんじゃないだろうか。
耳を塞ぎたくなるほどの大声で、そう領主に話しかけるカルロスを遠巻きに見つめながら、フローラが傍らに立っていた俺の小指をそっと握ってきた。
フローラの手は震えていて、顔色もどこか青ざめて見えた。
「フローラ、あのおっさんと結婚するの?」
華奢で可憐なフローラと遠目で見るあの貴族は、まさに美女と野獣の様だ。
もっと、マシな相手はいなかったのであろうか。
「……はい。体調が優れなかった父が、領地の支配権のはく奪を恐れて、急ぎまとめた縁談だったのですが、お相手についてはあまり情報がなかったようで、家の格と貴族内の派閥の関係で断れなくなったのだとだけ聞いています」
「そっか、貴族も大変だね」
そんなことを小声で話していると、カルロスがフローラの存在に気が付き、目の前の人々をかき分けて、こちらに大股でやってきた。
フローラは俺の小指を離し、俺から少し距離をとる。
領主の前にはカルロスと入れ違うように、総督府というところから来た男たちがやってきて、挨拶を交わしている。
カルロス同様に、多くの貢物を持ってきたらしく従者の数も多かった。
領主がいるのに総督という存在がこの街にいるということに俺は首をかしげたが、おそらく何か事情があるのだろう。
「おお~、愛しのフローラ!会いたかったぞ。我が麗しの姫。今宵もまことに美しい。このまま君を連れて、どこかに去ってしまいたくなる」
カルロスは、フローラの手を強引につかむと、跪き、その手の甲に口づけした。
そして、フローラの全身をいやらしい目つきで嘗め回すようにして見る。
「カルロス様、私たちは未だ婚礼の儀を済ませてはおりません。どうか、このような場では……」
「はっはっ、フローラは奥ゆかしいのであるな。まあ、御
巨体の背後から、騎士正装の男が現れて、小さな長い箱のようなものをカルロスに手渡した。
どうやら、
中身を取り出し、それをフローラの首にかけようとしている。
その首飾りには、青く美しい宝石が複数散りばめられており、その形は女神をモチーフにしたものであったが、一瞬、あの蛸魔人にかけられていた呪いほどではないものの、何か嫌な感じがした。
呪いというほどではないが、何か邪な念のようなもの。
俺の≪
俺はとっさにフローラの方に一歩近づき、カルロスが両手に持つその首飾りのトップとチェーンに向かって、少し本気でデコピンを二回放つと何食わぬ顔で、またもとの位置に戻った。
ごめんね。確証はないけど、一応護衛なので、フローラに変なものを身に着けさせるわけにはいかないからね。
「わぶっ!」
チェーンが切れ、華美なペンダントトップがねじ曲がって歪み、それを彩っていた宝石が飛び散って、カルロスの顔面にぶつかった。
俺のデコピンは首飾りを破壊したにとどまらず、広間内にちょっとした突風を巻き起こしてしまい、あちこちから悲鳴が上がった。
だが、その場にいた誰もが、何が起こったのかわからなかったようで、俺の方に視線を向けている者は、領主の近くにいたマルフレーサだけだった。
老婆に化けているマルフレーサは意地悪そうな目つきで俺の目を見て、笑みを浮かべながら、「よくやった」と親指を立てて見せた。
やはり、あの首飾りは何かよからぬものであったらしい。
「カルロス様! 額から血が……」
俺はそのエンリケの着ている鎧を見て、ふと、あることに気が付いた。
遠目であったし、儀礼用と実戦用は違うのであろうが、あの黒尽くめの集団の後続にいた騎士装の人物の鎧と、目の前のエンリケの着ている鎧がどこか
「まさかね。さすがに考えすぎでしょ」
騒ぎの中、俺は、床に散らばった宝石の一つを指でつまんで拾い上げるとそれを懐に忍ばせた。
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