第113話 伝説の勇者魔法

蛸魔人ピスコーの肉体の膨張から逃れるために、俺たちは建物外に退避した。

マルフレーサは、聖職者たちに子供たちを連れて退避するように言い、周辺住民の避難を促すように指示していた。


「ぐははははっ。驚き、そしておののけ、人間どもよ!」


肥大化を続ける蛸魔人ピスコーの肉体は司祭長の館を押しつぶすほどの大きさになったが、それにとどまらず、今度はその隣接するほかの聖職者たちの宿舎にも迫る勢いで横に広がっていく。


そして、もはや人型をやめたのか、その姿はまさに巨大な蛸そのもので、ぬめぬめとその紫黒色しこくしょくの体と十本の足をうねらせ、周囲を破壊し始めた。


「マルフレーサ、どうする? このまま、際限なく大きくなるわけではないと思うけど、こんな街の中心地で暴れられたら、相当の被害が出るよね」


「うむ、なんとかせねばな。だが、……おやっ? 少し待て、様子がおかしいぞ」


マルフレーサの指摘通り、先ほどまで威勢がいい様子だった蛸魔人ピスコーであったが、次第にその動きが緩慢になって、静かになった。

巨大化も止まったが、そのサイズは、司祭長の館の四倍ほどの面積になり、驚くような巨体になっている。


「おい、どうした? この次はどうするつもりなの?」


俺は、おそるおそる蛸魔人ピスコーの顔の前に行き、尋ねた。


「ふ、不覚……。巨大化したことによって、日光を浴びる面積が増え、体の渇きが増進されてしまったのだ。かけられた呪いの衰弱効果も加わり、このままで戦闘どころではなく死んでしまう……。水、できれば海水はないか?」


「海水? そんなのあるわけないじゃん。欲しいなら海辺の方までいかないと……」


ここはハーフェンの中心市街地だ。

背の高い建物などからであれば、遠くに海は見えるが、歩いていくとなると一、二時間はかかる。


「ぐうぅ、死ぬ。このままでは死んでしまう」


蛸魔人ピスコーは、俺たちのことなどにかまっていられない様子で、海に向かって移動を始めた。

リーザ教団の敷地の塀を潰して乗り越え、次々と家屋や店舗を破壊しながら移動を始めた。


「おい、待て。このタコ野郎!」


俺は蛸魔人ピスコーを追いかけ、巨大な頭を殴りつけたが、あまりにも巨体過ぎて効果が薄そうだった。

単純な打撃は、この弾力性とぬめりがある蛸魔人のビッグボディにはあまり相性がよくなさそうである。


やはり、≪理力≫を込めた渾身の一撃でなきゃダメか。


俺は左の手のひらを前に、右手で突きのためのためを作りつつ、ザイツ樫の長杖クオータースタッフに≪理力≫を注ぎ始めた。


使う技は≪夢想槍突むそうそうとつ≫。


槍の鋭さと貫通力を加えた突きの威力で、一気に吹き飛ばしてやる!


この巨体を倒すのだから、MPメンタルパワーの消費は、200ぐらいでいいか?


杖先が光を放ち始め、あとはそれを放つばかりになったのだが、背後からマルフレーサの「馬鹿! 街ごと吹き飛ばすつもりかい!」という声に思わず中断してしまう。


「じゃあ、どうすればいいのさ!」


「ここは私に任せな」


おそらくは魔法によるものであろうか。

宙に浮かび、そのまま高く上昇したマルフレーサは、青い縦長の綺麗な石が杖頭にはめ込まれたスタッフを構え、神経を集中させると、矢継ぎ早に複数の魔法を発動させた。


巨大な氷塊をいくつも空中に出現させたかと思えば、それを落下させたり、無数の火球を同時に放ったりした。

他にも真空の刃を飛ばしたり、大地を隆起させて棘を作り、下から突き刺したりしたが、派手な見た目の割には、あまり効いているように見えず、蛸魔人ピスコーの海への行進を止めることができない。


「すぅいぶぅん……、えん……ぶぅん……」


魔法を喰らった蛸魔人ピスコーは、そのことをまったく気にした様子も見せず、身の回りの通行人であるおっさんと爺さんを二本の触手で器用に捕らえ、足の付け根中央の口器に放り込み、むしゃむしゃと食べながら、前進を続けている。

蛸魔人にしてみれば、マラソンランナーの給水の感覚なのだろうか。


新たに別のおっさんが、捕まり、鋭い牙が付いた口に放り込まれそうだ。


「全然、ダメじゃん。どうしたの」


「……ユウヤ、これは思わぬことになってしまったようだ。あのタコが領主にかけた呪いに、私の呪詛を加えて跳ね返してやったまでよかったのだが、二つの呪いが合わさり、その強力な呪いが外部からの魔法効果を阻害してしまっている。通常であれば、このように強力な呪いを受けては、ああして身動きなどできようはずもなさそうなものだが、それはさすがに≪魔人≫といったところなのであろう……」


偉そうに解説しているが、冷静に考えてみると今、目の前で起きている大惨事は全部、マルフレーサのせいである。

領主の呪いを解いたのも、強引に司祭長の館に突入したのも、全部、彼女の考えに基づくものなのだから……。


そして、そうしているうちに二人目のおっさんも喰われてしまった。


「ユウヤ、こうなったら多少の人死にが出るかもしれんが、お前のさっきの奥義で全部吹っ飛ばしてしまうしかほかに方法がなさそうだな」


いやいや、人死にが出るなんて言われたら、もうその方法はとることができないでしょ。

空中に飛び上がり、真下に向けて放つことも可能だけど、よくよく考えたら、地上にとんでもない大穴を開けてしまうかもしれないし、力加減できない俺の未熟な技量では、それこそこの蛸魔人以上の被害をこのハーフェンの街にもたらしてしまうかもしれない。


ああ、やばいぞ。

こうして躊躇している間にも、蛸魔人による被害が拡大していく。


蛸魔人は建造物の有無など気にも留めず、ただ真っすぐ海を目指している。

蛸魔人が通ったあとは、人も家屋もみな失せて、瓦礫だけが散乱してしまっている。


駆けつけてきた領主の兵や騎士団なども、この規格外の化け物になすすべはないようで、パニックになって逃げ惑う住民の制御すらできていない。


もはや、ちょっとした怪獣映画みたいである。


そして、街は阿鼻叫喚に包まれ、逃げ惑う人々の悲鳴が否でも応でも、耳に飛び込んでくる。


「……こんな時に、勇者マーティンが生きて、この場にいてくれたなら……」


「ちょっと、こんな大変な時に何言ってるのさ。何とかする方法を考えなきゃ」


「そんなことは、わかっている。ただ、マーティンが使えた聖なる力を宿した攻撃魔法なら、あの呪いごと、あの蛸魔人を倒すことができたのにと思ったまでのことだ。私の≪職業クラス≫である≪大賢者≫は、この世界の存在するほとんどの魔法を習得可能にするものだが、勇者のみが使うことができる伝説の魔法のいくつかは使うことができない。僧侶などが使う≪聖光球ホーリーボール≫などの神聖魔法であれば、私も使用可能だが、それではあれほど強力になってしまった呪いに打ち勝つにはパワー不足だ。この状況を解決するには、それらとは別次元の出力を持つ聖属性の魔法が必要なのだ。まずい、まずいぞ。このまま奴を海に逃がしては、大いなる呪いを身に宿しつつ、あらゆる魔法を受け付けない海の怪物と化す恐れがある。海にたどり着く前に何とかしなければ……」


マルフレーサの説明を聞きながら、俺は葛藤していた。


どのみち、この状況は俺が何とかするしか方法は無さそうであるが、問題はどの方法を取るかだ。


ムソー流の奥義の中で、最小の被害で済みそうなものはどれか頭を巡らしてみたが、問題があるのは奥義ではなく、俺の力加減の問題なので、どの技を使ってもそれなりに蛸魔人を倒せそうであるが、周囲の人々を巻き込んでしまわないか自信がなかった。

空に向けて放つならともかく、街を破壊せずに、地を這う蛸魔人のみ倒すのは難しそうである。


ウォラ・ギネから、いくつかの奥義は伝授してもらったが実戦で使用した経験がほとんどなく、どのくらいのMP消費で、どのくらいの威力が出るのか全く試したことが無かった。


一方で、マルフレーサが言う伝説の魔法と俺のコマンド≪まほう≫、≪聖雷セイクリッドサンダー≫が同一のものであるなら、その効果範囲と威力は一度見ているから、心配は少ない。


聖雷セイクリッドサンダー≫であれば、真上からの攻撃であるし、その効果範囲も蛸魔人ピスコーの全身からはみ出ることは無さそうだ。

威力も申し分なく、マルフレーサが言う通り、やれる気がする。


だが、問題は、マルフレーサや多くの人々に、俺が≪聖雷セイクリッドサンダー≫を使えるということを目撃されてしまうことだ。


あの廃墟都市リーザイアでのカミーロたちと同様に、勝手に俺を勇者だと決めつけられては面倒この上ない。


どうしよう。

どうすればいい?


迷う俺の耳に、甲高い女性の悲鳴が届いた。


見ると、見目麗しい美少女が、蛸魔人の足の一本にとらえらそうになりながら、必死で逃げている。


それを見た俺の体は、考えるより先に動いていた。


その美少女のところに駆け寄り、迫るたこ足を長杖で吹き飛ばし、彼女を抱き寄せると安全な場所に跳躍して救い出した。


「あ、ありがとうございました。あなたは……一体?」


「名乗るほどのものではありませんが……ユウヤです。あのタコの化け物は俺が何とかするので、落ち着いてください」


もはや迷いはなかった。


このようなかわいい女の子たちが、あの醜い化け物に殺されるのをみすみす見過ごすことは俺にはできなかった。


先に殺されてしまった、おっさんと爺さんに、「腰が重くて助けられなかった。ごめんなさい」と心の隅で詫びながら、俺は立ち上がり、蛸魔人ピスコーに向かって、指さし、叫んだ。


「セイクリッドサンダーーーーー!」






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