第112話 蛸魔人ピスコー

「我を……、この蛸魔人ピスコーを倒すだと? たかが、人間風情が笑わせてくれる。どちらにせよ、この姿を見られたからには生きて返すわけにいかん……と言いたいところだが、この通り、体調不良でな。このことを広言しなければ帰っていいぞ」


蛸魔人の思わぬ提案に一瞬、ラッキーと思わないでもなかったが、冷静に考えるともうそんな条件では解決できる状況にはない。


「いや、俺もそうしたいところなんだけど、面倒くさいのが一人いて、それにこの建物の外では大騒ぎになっちゃってるよ。お前、なんだって、この少年、殺しちゃったの?」


「そ、それは見ての通り、厄介な呪いをかけられて、人間の姿を維持できなくなったのだ。若い人間には滋養もあるし、こ奴らを喰らえば、もう一度≪変身≫できると思ったのだが、そこにお前がきたというわけだ。この街の有力者である司祭長を殺して、それになりすまし、徐々にこの街の実権を握ろうという計画だったのだが、邪魔が入った。かくなる上は、一度撤退しようと思う。見逃してくれ、この通りだ」


蛸魔人は完全なジャパニーズスタイルの土下座をし、ぶよりとした頭をじゅうたんに押し付けた。


「うーん、どうしようかな。無駄な殺生は好きじゃないし……」


俺は迷っているふりをしながら、意識を失っている方の少年に近づいた。

そして、少年の体に刺さった破片の大きなものだけを抜いてやり、即座にコマンド「まほう」の≪回復ヒール≫をかけてやる。

細かい破片が体の中に残っちゃったらどうしようって思ったけど、内側から盛り上がった肉がそれらを外に押し出してくれて、ぱらぱらと音を立てて落ちていく。

これなら大丈夫だと、もう一人にも≪回復ヒール≫をかける。


回復ヒール≫の緑がかった神聖な光が俺の指先を離れ、ゆっくりともう一人の少年の体に吸い込まれていく。


なるほど、この≪回復ヒール≫は、直接触れるような距離まで近づかなくても、使用できるんだな。


「うーん。……でも、やっぱり駄目だね。もう、ここで一人殺しちゃってるし、それに司祭長も殺したんだよね? 個人的な恨みとかは無いけど、ここで逃がしたら、またさらにたくさんの人を殺すんだろうし、見逃せないな」


それに確か、こいつは呪いが使えるんだよな。

この場さえ凌げば、目撃者など後で何とでもなるという考えかもしれないけど、そうは問屋が卸さない。


「ぐっ、ならば仕方がない」


振り返って、ザイツ樫の長杖クオータースタッフの杖を構えて見せた俺を、蛸魔人が四つん這いのまま、怒りの形相でこちらを睨んだ。

そして、口から俺の方に向けて、黒いもやのようなものを放ってきた。


このタコ、墨じゃなくて靄を吐くんだ!


しかもその靄は、マルフレーサの呪詛同様、恨みや憎しみといった人間の負の感情を寄り集めたような嫌な感じがした。


俺はとっさにその靄のかたまりを躱したが、俺の背後にいた少年に命中してしまった。

少年は、瞬く間に青ざめた顔になり、自分の首を絞めるようなポーズで、泡を吹き、倒れてしまう。


「あっ、せっかく傷を治したのに、お前、何してんだよ」


俺は、もう許さんとばかりに、蛸魔人めがけて長杖を、蛸そっくりの頭部めがけて横一線に振るった。


しかし、蛸魔人の頭部は突如、謎の粘液をその表皮から分泌し、その粘液と部位の柔らかさによって、その攻撃をブヨンッと逸らしてしまった。


まさに天然のスリッピング・アウェーといった感じだった。


頭蓋骨のような固い手ごたえはなく、表面を上滑りしたような手ごたえのなさに俺は驚いたが、気を取り直して、今度は突き技に切り替えた。


胴体の司祭服を貫き、一見すると命中したように見えたが、同様に手ごたえは無い。

裂けたのは布だけで、その下の肉体はほとんど無傷のようだった。

蛸魔人の足元には、体からにじみ出てきたと思しき液体が染みを作り、生臭い潮の香りが鼻についた。


「くそっ、手加減してたけど、今度は本気でやってやる」


強くなりすぎて、手加減を間違うことが多かったから、慎重にしてたけど、空振りすると妙にイラっとするよね。


次の攻撃を繰り出そうとした丁度その時、背後の扉が開き、マルフレーサたちが部屋に入ってきた。


「こ、これは一体!? それに、その服は、司祭長様?そのお姿はどうされたのですか」


ぽっちゃり体形の男の司祭が驚きの声を上げ、ほかの者たちも何事かと狼狽えた様子だ。


「魔王様に現状のハーフェンをそのまま献上したかったが、こうなっては、もはや仕方がない。この蛸魔人ピスコーの本気を見せてやる。ここにいる全員を皆殺しにして、この街ともども消し去ってくれるわ」


蛸魔人ピスコーの体が一気に膨張し始めたのを見て、俺は気絶した二人の少年をつかみ引き寄せると、両脇に抱え、マルフレーサたちにも「逃げろ!」と呼びかけた。


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