第103話 隠者の森
なんで、手の甲にキスするみたいな恥ずかしい真似をしたんだろう。
時間が経つほどに、少しずつ己のした行動が、子供じみた軽率なふるまいであったと感じられるようになってきた。
騎士がお姫様にああいった行動をする姿に、少なからず憧れがあったのだろうか。
せっかく中世風の異世界にやってきて、それをするにふさわしい美貌の令嬢に出会ってしまったものだから、救出のシチュエーションも相まって、それに酔ってしまっていたのかもしれない。
挙句の果てに、何が、「俺は割とモテるみたいだからね」だ。
俺の目には、まんざら嫌そうでもないように映っていたが、どうやら彼女は困惑していただけのようだった。
「もう、先ほどのようなことはしないでください」と後で本人から注意されてしまった。
執事のテオからも苦言を呈されることになってしまった。
フローラにはもうすでに婚約者がおり、その相手はとある貴族の次子であるとか。
領主家には後継ぎとなる男子がおらず、その上、フローラは一人娘だ。
この国の女性には、領地の継承権がないため、フローラに婿養子を取ることで領地の安泰を図る考えがあるらしい。
つまり、俺のような虫がついて、この縁談が壊れてしまうと非常に困ったことになってしまうため、妙な考えは起こさないでほしいということだった。
女性の手の甲に口づけをするという行為は、この異世界でも恋愛に限らない親愛や敬慕の情を伝える方法として一般的なものであるが、それは特定の相手がいない未婚の女性に対しての話であって、婚約中のフローラにそのような真似をするのはふさわしくないということだそうだ。
「命の恩人にこのような言い方をしたくはありませんが、それぞれの出自、身分などによってふさわしい生き方と住む世界がございます。どうかご理解ください」
俺のフローラに対する恋は、こうしておのれの気落ちを伝える前に、終わりを迎えた。
所詮、人間の幸福は生まれた家や身分、すなわち親ガチャによって決まるらしい。
フローラの相手がどんな男かはわからないが、貴族の家に生まれたというただそれだけの理由で、あんな美少女を嫁さんにできるだけでなく、嫁ぎ先の領地や富のすべてをものにできるなんて、世の中、不平等だ。
そんな奴は、暴れ馬とかに蹴られて、死ねばいいのに。
すっかりモチベーションが低下した俺ではあったが、≪大賢者≫マルフレーサのもとまでフローラを護衛し、さらに城まで無事に届けることで金貨三枚いただけることになったので、最後まで付き合うことにした。
本当はもう全部放り出して、いなくなりたい気持ちでいっぱいだったのだが、この国で生きていくなら、こうした土地の実力者に恩を売っておくのも悪くはないと強く自分に言い聞かせた。
俺たちは街道をハーフェンに向かって少しだけ引き返し、そこから森の小道に入っていった。
その小道は石などで舗装されてはいなかったものの、誰かが手入れでもしているのか、雑草なども生えていないし、とても歩きやすかった。
森の入り口で、客車を置き、そこからは徒歩だ。
歩きなれないフローラを馬の背に乗せ、執事のテオが手綱を引いている。
くねくねと何度も曲がりくねってはいるものの、基本、一本道で、おかげで後方から一定の距離を保ちながら尾行してくる人間の≪理力≫の存在に気が付くことができた。
おそらくはフローラたちを襲った一味の者だろう。
下手に不安をあおってもしょうがないので、俺はあえてそのことに気が付かないふりをし、フローラたちにもそのことは伝えなかった。
それともう一つ、尾行してきている者の≪理力≫ほどあからさまではないが、どこからかこちらの様子をうかがっているような視線も感じていた。
こちらの方は確証はなく、気のせいの可能性も十分にある。
隠者の森という名前からもわかるとおり、この道を少しでも外れると鬱蒼とした木々や自然が繁茂していて、身を隠すことは容易そうだ。
しばらく行くと森の中に開けた場所があって、そこには一軒の質素な家がひっそりと建っていた。
その家の周りには大小の木でできた人型の動くものがいて、掃除をしたり、薪を作ったりしていた。
「フローラ様。ほかの二人も俺のそばを離れないでください。もし襲ってくるようなら撃退します」
俺はフローラたちをかばうようにして前に立ち、家の方向に慎重に足を運んだ。
その木の枝のようなものでできた人形たちは俺たちの存在に気が付いていないのか今のところ、動きに変化はない。
だが、突然、後方から断末魔のような男の声が響いてきて、思わず俺以外の皆が一斉に振り向いた。
尾行していたと思われる男の≪理力≫が消えた。
俺は警戒心をいっそう強め、神経を研ぎ澄ますと、ザイツ樫の
その行動に反応してのことだろうか、庭仕事をしていた木人形たちが各自の仕事をやめ、全身からきしむような乾いた音を立てて、こちらを向いた。
「おやめ! お前たち、そいつらは敵じゃないよ。自分の仕事に戻りな」
家の扉が開き、建物の中から出てきた人物が木人形たちを一喝した。
木人形たちはその命令を従順に聞き入れ、再び自分たちの任されているらしい仕事を再開し始めた。
その人物は髪の毛こそ真っ白であったが、背筋は伸びてすらりとしており、その肌は限りなく皺が少なく、染み一つない美肌だった。
その灰色の瞳はどこか疑り深そうで、意地悪い印象を与え、それが整った容姿を台無しにしてしまっている。
そんな言葉があるのかわからないが、目を閉じてじっとしていたら、美熟女ならぬ美老女といっても過言ではなさそうだった。
服装はヨモギ色のローブを身に纏い、手には先が曲がりくねった杖を持っている。
その杖は戦闘用のスタッフではなく、魔法使い用の杖のようだ。
「おっと、お前たちもそこで止まりな。とくにその杖を持った坊や。あんたは、そのまま指一本たりとも動かすんじゃないよ。敵対行動と見做すよ」
「マルフレーサ様! 私は、フローラです。覚えていらっしゃいませんか。ハーフェンの領主ヴィルヘルム・フォナ・ヴァゼナールの娘。幼いころ、よく遊んでいただいたあのフローラです」
「フローラ……懐かしいね。でもそんなことはお前たちが、この隠者の森に一歩足を踏み入れた時からわかっていたよ。テオも元気そうで何よりだ。今も十分に良い男だが、幾分歳を取ったね」
「マルフレーサ様、急な訪問となり大変申し訳なく思っておりますが、どうかフローラ様の話を聞いていただけないでしょうか。事態は急を要しており、私共には一刻の猶予もないのです」
「ふん、城を追われた私のところに領主の娘自らやってくるくらいだ。よほどの用事なのだろうね。話ぐらいは聞いてやってもいい。だが、それはその坊やの素性を確認してからだ。テオ、その少年は何者だ? なぜ、お前たちと一緒に行動している?」
マルフレーサの顔が一層険しくなり、俺をにらみつけている。
だから、来たくなかったんだよな。
≪世界を救う者たち≫とは、本当に相性が悪い。
「マルフレーサ様、この少年はユウヤと申しまして、旅の冒険者です。私共が謎の集団に襲われていたところを救っていただき、この場所にも護衛としてついてきてくださったのです。怪しい者ではありません」
「どうだかね? 旅の冒険者というが、元冒険者の私の目から見れば、あんたからはちっとも冒険者らしさを感じないよ。何より、そんな途方もない≪
≪理力≫を見せびらかす?
何のことだろうか。
「いや、何のこと言ってるかわからないんだけど、俺のことが気に入らないなら、用事が終わるまで、森の入り口で待ってるから、それでいいでしょ」
俺はため息を一つ吐き、動くなという忠告を無視して、背を向けた。
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