第87話 犯した罪を知る
人を、殺してしまった。
足下に転がって動かない全裸のカミーロを
人に近い見た目をしているゴブリンの命を奪った時とは比べ物にならない罪悪感が心の底から湧いて来て、体中から力が抜けていくような、そんな虚脱感を感じていた。
一応念のために、コマンドまほうの≪
声をかけても揺すってみても、死んだカミーロはもう動かない。
そう思って油断していたら、突然、カミーロの死体がゆっくりと起き上がった。
頭と股間から、それぞれ赤と黄みがかった乳白色の液体を滴らせ、かっと見開いた目でこっちを見ている。
『どうして……。僕の愛を……』
うわっ、怖い。
口から黒い靄のようなものが漏れ出ているし、しかも喋った。
「カミーロさん、ごめんなさい。まさか、こんなことになるなんて。突き飛ばしてごめんなさい。頭痛かったよね?」
『頭?』
動き出したカミーロの死体は、自らの頭に手をやると、その掌にべっとりと付いた血を見て、何か考えた風なそぶりを見せた。
そして、ぶるぶると震え出し、そして俺の顔を見た。
『なんということだ。全身の骨がバラバラに砕けてしまっているし、この頭の陥没骨折は致命傷だ。僕は死んだのか? だが、なぜ僕は立つことができているんだ。痛みもないし、むしろ以前よりも力が湧いてくるようだ……。そして、ああ……、ぼ、僕の頭に何者かが話しかけてきている。邪悪な侵入者を殺せと……』
いきなりカミーロが左手で壁を殴った。
すると、壁は大きくひびが入り、壁画部分が砕けて、破片が飛び散った。
先ほどまでのカミーロとは全く違う次元の人並外れたパワーだった。
カミーロの口から出ていた黒い靄のようなものが裸の全身を覆い、見るからに恐ろし気な様相を現わし始めた。
『どうやら高位の聖職者だった僕の無念に満ちた魂と亡骸は、この迷宮の力によって、闇の力を宿す不死者として生まれ変わったらしい。この迷宮の守護者としての活動を義務付けられてしまっているが、自我は保てている。ユウヤ君、大人しく僕に殺されなさい。そして、この迷宮で
カミーロはその瞳を赤く光らせながら、俺に迫り、その不自然なほど開いた顎で首筋に噛みつこうとしてきた。
冗談じゃない。
こんな顔面毛むくじゃらのおっさんとこんな不気味な場所で永久に過ごすなんて御免だ。
俺はそれを≪ヒノキの長杖≫で防ぎ、さらに押し返すと、一瞬の隙をついてカミーロの傍らをすり抜け、駆け出した。
そして広間の奥のまだ開けていなかった扉を開け、その先に足を踏み入れた。
本来であれば、地上に向かって逃げるべきであったのだが、どうやら俺は気が動転して、冷静な判断を失っていたらしい。
人を殺してしまったことに対する罪の意識と、カミーロの魔物化ですっかり頭の中が混乱してしまっていたのだ。
カミーロを手にかけてしまったことを仲間たちに知られたくなかった意識も働いたのかもしれない。
人殺し。
まさか、人の命を奪ってしまうことがこれほど心を弱らせてしまうなんて。
俺は、一瞬でもこの事実から目を逸らしたくて、無我夢中で駆けた。
頭が異常に興奮してしまっているせいか、眠気も、食欲も一向に湧いてこない。
迫りくる見たことも無い様々な魔物を蹴散らし、さらに地下へ、地下へと。
仕掛けられた罠にも何度も引っかかったが、人並外れた身体能力と反射神経で切り抜ける。
下層に進むごとに天井は高く、通路の幅は広がっていく。
それは巨大なモンスターを配置するためであったのか、入口にいた石龍よりも一回り以上小さい個体や、鉄の巨人などがたくさんいて、それらの鈍重な動きをかいくぐる様にして、ひたすら先に進んだ。
あとから魔物化したカミーロが追って来ているかもしれないということもあって、余計に足早になる。
それから、どれだけ時間が過ぎたのかわからないが、飲まず食わずで疲労困憊状態の俺は、カミーロの殺害現場から三つ、いや、たぶん四つ下のフロア奥にある扉の前に辿り着いた。
その扉は、これまでのものとは異なり、地味で何の変哲もないただの片開き戸であった。
その辺のマンションやアパートにある、あんな感じだ。
紙を差し込むタイプの表札までついていて、そこには漢字で「谷野」とある。
この扉の前には、身の丈倍はある六本腕の金属でできた剣士像があって、それが動き出し襲ってきたのだが、それも俺の敵ではなかった。
この迷宮で最も速く、六本の腕にそれぞれ持った得物から繰り出される連続攻撃は厄介の一言だったが、レベルと能力値の差なのだろうか、すぐに目が慣れてきて、機械的かつ単調な動きのパターンが読めてくるとすぐに決着は付いてしまった。
今は、長杖による殴打の嵐で原形が無いほど変形し、床に転がっている。
戦いを終えた俺は膝に手を付いたまま、しばらく前のめりになって呼吸と気持ちを整えた。
それは、戦闘によるものというより、数日間、寝食を忘れて迷宮を駆け抜けたことなどによる心身の疲労の蓄積だった。
喉がひどく乾いていることに気が付き、俺は周囲の安全を確認し、コマンド≪どうぐ≫のリストの中から、水筒を取り出すと、その中の水を一気に喉奥に流し込んだ。
「ふう」
六本腕の剣士との一戦で無心になれたのが良かったのか、ようやく俺は心の落ち着きを取り戻せたようで、食欲も戻り、今なら横になったら眠れそうだった。
殺人ではなく、成敗もしくは天誅。
俺が殺したのは至極真っ当な善人ではない。
寝ているところを力尽くで性的暴行をしようとしてきた悪人だったのだと自分に言い聞かせることで、おのれを正当化したのだった。
おそらく相手が俺では無くても、あのカミーロの抑圧された欲求はいつか他者に向かって暴発していたに違いない。
俺は更なる被害者が出るのを未然に防いだに過ぎないのだと、この件を結論づけ、過去のことだと切り替えることにした。
「ふう、なんか変なテンションでこんな地下深くまで来ちゃったけど、ちょっと休むかな」
俺は無警戒に、片開き戸のドアノブを回し、中に入った。
ドアノブには鍵穴もあったが、鍵もチェーンもかかっていない。
扉を開いた先を見て、俺は唖然とし、固まってしまった。
そこはこんな迷宮の地下にあるとは思えないほど普通な感じのする部屋だった。
手前に小さな玄関があって、その先はすぐに八畳くらいの洋室に繋がっていた。
可愛らしいぬいぐるみがあったり、オシャレな洋服が壁にかけてあったりしている。
家具はどれも現代の地球風で部屋の雰囲気はまさに中学、高校くらいの女の子の部屋という感じだ。
左側にはちょっとしたキッチンがあって、玄関と洋室の間の通路スペースにある扉は多分トイレだろうか?
完全にアパートなどのワンルームの間取りだ。
その部屋の壁際に置かれているベッドの上には、ディフォルメされた動物柄のパジャマを着た女の子が寝そべっており、こっちに背を向けて雑誌を読んでいる。
頭にはヘッドフォンを付けていて、どうやら音楽か何かを聴いているようだった。
俺は慌てて、一旦、部屋の外に出て、ノックをしてから入り直したが、その女の子は全くこちらに気が付いてなかった。
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