第58話 勇者マーティン

「ウォラ・ギネ導師、なぜそのようなことを申されるのですか? 勇者パーティがくだらないなどとは、女神リーザに仕える者として聞き捨てがなりません。理由をお聞かせください」


「理由も何も、くだらんから、くだらんと言っておるだけじゃ」


「それでは納得がいきません。私たち僧侶は、勇者を見出し、それに仕えることを至上の喜びとするものです。それを否定されては、人生を否定されるのにも等しい」


「……仕方ない。では、聞くが、勇者とはそもそも一体なんだ?」


ウォラ・ギネの問いかけと厳しい表情に皆、思わず息を呑んでしまう。


「勇者とは、勇ましき者。恐るべき魔王に抗うべく、その身命を賭して挑む者です」


「違うな。勇者とは、≪職業クラス≫だ。その≪職業クラス≫を授かった人間を勇者と呼ぶ。かつて、≪世界を救う者たち≫のリーダーだった若者は、まさに勇者だった。この世界に存在する勇者パーティのほとんど、いやすべては紛い物だ。勇者のいない勇者パーティなど有り得ぬ」


「導師、勇者という≪職業クラス≫は、本当に実在していたのですか?」


アレサンドラは信じられないという表情で尋ねたが、その様子は、もともとこの世界の住人ではなかった俺にとって、とても違和感のあるものだった。


この世界では持って生まれた≪職業クラス≫によって生業などの人生の進路が決まっているような節があって、勇者という存在がいるのなら当然に、≪職業クラス≫は勇者なのだと思っていたのだ。


テレシアたちとの会話の中でも、勇者パーティという言葉をたびたび耳にしていたし、世の中には勇者という≪職業クラス≫がそれなりの数は普通にいるのだなあと思っていた。


あれ?

でも、ちょっとまてよ。

そうなると、俺と一緒にこの世界に召喚させられてきた連中の中にも、勇者という≪職業クラス≫を持った人はいなかったように思える。


「……実在する。いや実在したといった方が正確か」


ウォラ・ギネは暗く落ち込んだ表情で、話すべきかまだ迷っているように見えた。

杯の中の酒の表面を揺らしながら、じっと寂しげな目でそれを眺めている。


「……かつて勇者は確かに存在した。その勇者の名はマーティンという」


マーティン。

グラッド師匠との会話の中で出てきていた名前だ。


「マーティンは正義感が強く、まさに勇者と呼ぶにふさわしい男であった。儂の前に最初に現れた時はまだ少年といっても過言ではない年頃であったが、魔王を討つための力が欲しいと泣きつかれてな、それが縁でともに行動することになった」


「導師様は、勇者の師でもあられたのですね」


「師というほどのものではない。力の使い方を少し助言してやっただけだ。儂とマーティンの間柄というのは、年齢こそ離れていたがまさに同志、仲間の関係であった。儂はあやつを対等に見ておったし、何よりそれだけ優れた人物であったのよ。魔物に怯え苦しむ世界中の民を救いたいというマーティンの志に共鳴して各地の強者つわもが集い、そして誕生したのが≪世界を救う者たち≫だ。大仰な名前を付けたのは、平和を願う人々の希望、すなわち象徴とでもいうべき存在になるためで、メンバーも皆、その名に恥じぬようなものばかりであった」


「その中に、グラッドもいたんですよね?」


「そうだ。だが、あれはまだ当時は未熟で、主に荷物持ちポーターや付き人のような役割をしながら、儂に師事しておった。今でこそああして偉そうにしているが、出会った頃はひどい乱暴者でな、優れた≪職業クラス≫とスキルを持ちながら、それを持て余し、ならず者のような生活をしておったのじゃ」


いや、今も根っこのところはならず者のままかも……。

怒らせるとすぐに殺そうとしてくるし。


「懐かしいな。あの頃が、儂の人生でもっとも素晴らしいときであった」


「羨ましく思います。私も同じように勇者様に仕え、そのような輝かしき日々を送りたいと思うのですが、その後はいったいどうなったのでしょうか? 恥ずかしながら、私はマーティン様の名を知ってはいたのですが、勇者であったことは今初めて聞かされました」


「確かに、≪世界を救う者たち≫の物語サーガにも、その名前は出て来るがあまり出番は無いし、優れた剣士であったということしか記憶には無いな」


「お前たちが知るその物語は、王家の連中が都合よくでっちあげた創作だ。自由を善しとする気風の冒険者たちに王家への忠誠を植え付けるためのな。あたかも王命に従い、魔王と戦うことが誉れであるかのように描かれているはずだ。他で聞かれる逸話や美談もそれぞれ尾ひれがつき、多少内容は違うが、本質は一緒だ。教会も、ギルドも自分たちの組織の円滑な運営のために、その幻想を利用しているに過ぎない」


「それで、そのマーティンという人はどうして亡くなったの? まさか、魔王にやられたとか」


「いや、儂らは魔王とは戦っていない。魔王領への進軍の最中さなか、魔王の配下の一人であった、ある魔人との話し合いで、和睦をすることになってな。マーティンは、その魔人を伴い、国王を説得すべく、王都に引き返したのだ。だが、その途上で、魔人が心変わりし、マーティンを裏切り襲ったのだそうだ。マーティンもまた必死で抵抗し、その魔人と刺し違えることになったらしいが、真相は闇の中。駆けつけて遺体を検めようにも、マーティンの亡骸はすでに焼かれ、埋葬済みじゃった」


「そんなことがあったんだ。そのマーティンっていう人も無念だっただろうな」


「マーティンは、激しい魔人たちとの戦いの最中、殺し合いではなく、話し合いによって平和を実現できないか、常に考えておったのだ。魔人たちの中には存外、話が通じる者もおって、その当時は決して人間を憎んでいるとは思えぬようなものもおったのだ。国王の支援の下、魔王領に侵攻したまでは良かったが、徐々にマーティンはある疑念を抱くようになっていた」


「疑念ですか」


「そうだ。魔人たちは、その生態や嗜好ゆえに、魔王領で暮らす人々に生贄を求めていた。だが、その点を除けば、魔王領は比較的平和に統治されていて、その暮らしぶりも、かえってこのゼーフェルト王国よりも豊かなものであったのだ。魔王領から人々を解放するという大義を掲げてやって来たまでは良かったが、そこに暮らす者たちはそれを望んではいなかったんじゃ」


「嘘だ! だって、私の故国アルヘイレンや他の侵略された国々は魔王によって根絶やしにされたのだと……」


「今はどうなっているかは知らんが、とにかく儂がこの目で見た魔王領は平和そのものであった。それで、マーティンは解放よりも話し合いによる調停や和睦を選んだのだが、それが結果として仇となったわけだ。マーティンとその魔人の死の以後、魔王は、突如としてゼーフェルト王国に侵攻を開始した。ある一定の領土を得てから魔王は、比較的大人しくしておったように儂の目には映っていたが、それを覆すような苛烈な攻勢であった。儂もマーティンを失った≪世界を救う者たち≫の他の者たちも、その魔王の侵略を防ぐべく、命を賭して戦った。不服ではあったが、ゼーフェルト王の軍の一員としてな。そして、両軍の消耗著しく、戦況が膠着状態に入ると、あのパウル四世は、国境くにざかいの森や村々を焼き、自ら国境線を後退させるという愚挙に出たのだ。もちろんそれは魔王軍の仕業であるということにしてな。焦土となれば侵略する価値などない。そしてその目論見が当たったのか、それともなにがしらかの事情があったのか、魔王軍もまた引き揚げていき、束の間の平和が訪れたというわけだ。もっともこれは広大な国土の、北の国境付近の出来事であったゆえ、この王都ら辺の民たちはその真相を知ることも無く、のんびりしたものだがな」


話疲れたのか、ウォラ・ギネはしばし口をつぐみ、杯に残った酒を啜った。


そして、ちょうど良く頼んだ料理が一気に運ばれてきて、ひとまず冷める前にそれを頂こうという話になった。


ウォラ・ギネから明かされた真実に、俺たちは少し動揺しながらも、だいぶ腹が減っていたこともあって、各自、無言で料理に手を付け始めた。


食事に集中しようと思っても、聞かされた話の内容をついつい考えてしまうので、料理の味は、正直、あまり良くわからなかった。



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