第47話 狂戦士アレサンドラ
虫魔人ライドが空中で体勢を変え、飛び蹴りのポーズを取った。
標的であるアレサンドラは、なぜか動きが鈍く、まるで気圧されたかのような表情をしている。
魔人という言葉を聞いてから、どうにも様子がおかしい。
「危ない!」
俺は、アレサンドラの前に立ちふさがり、ザイツ樫の
正直、グラッド師匠を除けば、こんな強そうな相手とは戦ったことが無かったし、この蹴りの威力もどの程度のものなのかまったく予想がつかなかくて怖かったが、気がついたら体が勝手に動いていた。
あんな破局をしてしまい、恋人として見ることはもう無理だが、やはり俺はアレサンドラのことを家族のように大事に思っていたようだ。
頼む、傷ついた俺の長杖よ。
この一撃だけは何とか持ちこたえてくれ。
お前が折れて、俺の身体をあいつの足が貫通するのだけは勘弁してくれ。
祈るような気持ちで愛用の長杖をぎゅっと握ると、自分の体の何かが長杖に宿ったような気がした。
イケる!
一瞬、そう感じたが、どうやら勘違いだったかもしれない。
ザイツ樫の
俺は何とか堪えようとしたが、後ろのアレサンドラともども吹き飛ばされてしまう。
俺の体はどうなったんだろう。
吹き飛ばされる一瞬で、蹴られたところを確かめたが、とりあえず穴は開いていなかった。
「ユウヤ! 大丈夫か?」
アレサンドラが俺を受け止め下敷きになり、身を挺してクッションがわりになってくれたらしい。
それと長杖のおかげかはわからないが、蹴りのダメージもほとんどなかったようだし、俺の体はほぼ無傷だった。
後頭部に当たっている豊満な谷間が心地いいので、もうちょっと死んだふりをしておこうかな。
「お前、ユウヤをよくも」
アレサンドラが俺を地面の上に置き、「みんな、しばらく私に近づくなよ」と忠告した。
アレサンドラは俺を受け止めた際に大剣を手放してしまったので、腰にある予備のショートソードを抜きながら、虫魔人ライドに無造作に近づいていく。
アレサンドラの全身から殺伐とした気が溢れ出し、赤い髪の先がまるで威嚇中の猫のように逆立って見える。
全身の筋肉が膨張し、より一層逞しく見えた。
「うおおおお」
アレサンドラが吼え、虫魔人ライドに襲い掛かった。
それは初めて見るアレサンドラの姿だった。
スキルが≪狂戦士化≫というのは知っていたが、俺の前で使ったことは一度だってない。
これを使っているところを見られると、大抵みんな私の事を避けるようになっちゃうんだよねと少し寂しそうな顔で語っているのをふと思い出した。
アレサンドラの野獣のような躍動感あふれる攻撃は、虫魔人ライドをも驚かせるほどの勢いであったが、女王蝗のモリーも飛んで来て、戦いに加わると形勢は一気に苦しくなった。
虫魔人ライドは鎧の両手部分を鎌のように変形させ、それでアレサンドラのショートソードの連撃を器用にいなしており、攻撃が当たる気配はない。
虫魔人ライドにはかなり余裕がある。
目の前に没頭しすぎているアレサンドラの隙をつき、女王蝗がまるでロケットのような体当たりを見舞ってきた。
そして、吹き飛んだアレサンドラの上にのしかかり、今度はその鋭い顎で齧りつこうとしている。
やばい。
巻き添えくわないようにって、考えてたけど、このままじゃ、きっとアレサンドラは負ける。
俺は立ち上がると、地面に落ちたままのアレサンドラの大剣の方に向かって駆け出した。
「ユウヤさん、今のお姉さまは普通ではありません。巻き添えを食ってしまいますよ!」
テレシアが怯えたような声で声をかけてきた。
ラウラの手を引き、ここから退避するつもりであるらしい。
もう反対方向のふもとの方に移動し始めたところだった。
だが俺は、それに答えることはせず、そのまま大剣を拾い上げて、女王蝗の方に向かう。
こうした重量級の武器は、以前は手に持つことさえ困難だったが今の俺の≪ちから:63≫では軽々だった。
「ぐがあぁあああ!」
アレサンドラが組み付いている女王蝗の頭部を力づくで持ち上げ、自力で脱出しようとしている。
そして一瞬の隙をついて前足の一本を左手でへし折り、捥いだ。
その形相はすさまじく、恐ろしい姿とも言えなくは無かったが、俺は意外とそれを美しいと感じてしまった。
ネコ科の猛獣のしなやかで逞しい美しさ。
おっと、見惚れている場合じゃない。
俺は初めて手にした大剣を構えながら突進し、その刃の先を女王蝗の横腹に突き立てた。
「モリー!」
優勢の状況に、高みの見物を決め込んでいた虫魔人ライドが悲痛な声を上げ、女王蝗を救出しようと向かってくる。
女王蝗は、アレサンドラに前足をもぎ取られた時以上の大きな鳴き声を上げたが、俺はそれに構わずそのまま突進した。
青い体液が噴き出し、嫌な臭いが鼻につく。
女王蝗を大剣に串刺しにしたまま、俺は虫魔人ライドに対応すべく、そちらの方向に進路を変えた。
「貴様、モリーを放せ!」
「いいとも、放してやるよ!」
俺は思いっきり大剣を振り、虫魔人ライドの方向に女王蝗の体が抜けて飛んでいくようにした。
コントロールが乱れて、少し方向がずれてしまったがそれは愛情がなせる業なのか、虫魔人ライドがそれを受け止めようと注意が俺から逸れた。
この大剣という武器を使ったのは初めてだが、どこか長杖にも共通する部分があるような気がした。
クォータースタッフの長さは、
杖頭を持ち、振り回す間合いがちょうど近い感じで、良い感触だったのだ。
俺は虫魔人ライドの一瞬の隙をつき、間合いを一気に詰めると無慈悲な一撃を大上段から、抱き合い重なっている二体に向けて放った。
長杖の時とは異なり、刃が空を切る凄まじい音がして、刃が虫魔人ライドの肩を、女王蝗もろともに、縦に両断した。
「馬鹿な。速すぎる……」
虫魔人ライドの口からこぼれた感想に、俺はふと、長杖の時にはこんなに思いっきり振るったことは無かったなと気付かされた。
長杖は、なんだかんだ言って殺さず制圧するための武器であり、自ずと心にセーブがかかっていたようだ。
おっと、危ない。
背後から殺気が感じられて、頭を下げて躱すと、アレサンドラの横薙ぎの一撃がその上の空を切った。
なるほど、この状態になると本当に見境がつかなくなるのね。
俺は大剣を捨て、体勢を変えるとアレサンドラに寄り付き、ショートソードを持つ手を掴んで、もう片方の残った腕で背中を強く抱きしめた。
身を寄せ、そのまま顔を近付け、接吻する。
アレサンドラのしなやかな体がビクッとして、そのまま力が抜けていく。
ショートソードが手から落ち、そのまま、アレサンドラが地面に崩れ落ちそうになる。
どうやら、気を失ったらしい。
「おっと!」
俺は慌てて、もう一度彼女を抱き止め、そしてゆっくりと地面に横たえさせる。
「ちょっと待っててね」
まだ、虫魔人と決着がついていない。
動く気配も逃げる素振りもないが、まだ荒い呼吸が聞こえている。
手ごたえはあったが、油断はできない。
俺はもう一度、虫魔人ライドたちの方に向き直る。
女王蝗モリーはすでに絶命していて、虫魔人ライドも瀕死だった。
左肩側の身体を鎧ごと切り落とされ、大量の体液を垂れ流しながら、膝をつき朦朧とした様子だった。
「……見事だ。真の脅威は、あの赤い髪の女ではなく、貴様だったのだな。その頼りなさそうな見た目に騙されたわ。まさか虫魔人たる我が、擬態によって油断するとはな。いや、油断などしていなくても勝敗は変わらなかったやもしれん。それほどに見事な一撃であった……」
虫魔人ライドはうわ言のように独り言を言い、女王蝗モリーの死骸に手を当てた。
「……最後に一つきかせてくれ。人間の若き戦士よ。貴様は……勇者……か?」
虫魔人ライドはその答えを聞く前に身を起こしていられなくなり、女王蝗に重なるように倒れた。
「いや、俺は勇者じゃないよ。追放された落ちこぼれ。……ただのセーブポインターさ」
俺はもう返事ができなくなった虫魔人ライドの亡骸にそう呟いた。
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