音が物体になった日

夏目 漱一郎

第1話朝起きたら、目の前に音が積み上がっていた

昨夜は疲れていて、かなりをかいていたらしい。目が覚めて起き上がるとベッドの脇には、まるで粗大ゴミ置き場のように大中小様々な大きさのいびきの塊が所狭しと積み上がっていた。いびきの塊はリサイクルも効かないし、勿論フリマにも出せない。本当に場所をとるだけでなんの役にも立ちやしないまさにだ。

出掛ける前のルーティングのように、僕は45ℓのゴミ袋を広げて積み上がったいびきを詰め始めた。

「あれ、いびきってでいいんだっけ?」

思わずゴミ袋を持ち上げて確認する。何しろ音が物体になったのはつい最近の事なので、その取扱いにはまだ曖昧な所がある。まあ、そんなに重くないし湿っている訳でもないから恐らくは燃えるゴミで良いんじゃないかな…


午前八時、右手に左手にいびきが入ったゴミ袋を持って家を出る。途中でゴミを出しいつものバス停に向かう。バス停で待っていると予定通りにやって来た路線バスに乗って仕事場へと向かった。


バスの中はいつものように皆静かだった。それもそのはず、お喋りでもしようものならその度に口からが溢れ出す。幼い子供を連れた母親は、無邪気に息子が発して床に転がったを困惑しながら拾って持参したトートバッグに入れていた。


自分が降りたい時に意思表示をする為のは、押しても音が鳴らないように改良されていた。ボタンを押せばただ光が点いて運転席には光の点滅で知らせる方式に変更された。


いつもの場所でバスから降りた。この先に僕のがある…僕は右手に仕事道具のケースを握りしめ、仲間が待つその建物の中へと入っていった。





「おっ、来た来た。ケンちゃん、こっちこっち!」

僕の姿を見るとバイオリン奏者の木村さんが笑顔で手招きをする。

『ケンちゃん』というのは僕の事だ。僕はN市が主催しているオーケストラのメンバーの一員として活動している。この楽団にはN市から補助金が出ていて、今はそこから僕達の給料が出ているのでといえばそうとも言える。このオーケストラでは二年活動していて僕の担当楽器はトランペットだ。この楽器はソロパートも多くありオーケストラの中ではなかなか重要なパートで、やりがいも凄くある。


音楽で生活が出来るなんて僕にとっては夢のような職業であったのに、その風向きが変わったのはご想像の通りその頃からだった。


何しろと書いて音楽と書くように、音楽と音は切っても切り離せない関係性にある。演奏の度に膨大な量のゴミを発生するオーケストラは、社会的にも理解を得る事が段々と難しくなっていった。N市の市役所には連日抗議の電話が寄せられる様になり、ついには市議会でオーケストラに対する補助金の打ち切りが可決された。


「もうすぐウチのオーケストラも解散だけど、最後まで楽しんで演奏しましょう!」

「そうだね、大人になってからこんなに一生懸命に何かに取り組む事なんて、なかなか経験出来る事じゃないよ」

「僕もこのオーケストラで経験した事は、一生忘れないと思います」

このオーケストラで演奏出来るのも、残りあと僅か一週間となっていた。皆、生活していく為に収入を得なければならない。補助金が打ち切られば、メンバーは解散し散り散りになるのは当然の事だった。


指揮者のタクトに合わせて演奏が始まる。普通、発せられた音はすぐに個体となりゴロンゴロンと床に転がるのだが音楽の時は特別なのか、発せられた音が風船のように浮かび上がり天井付近に密集していく。みんなそれぞれの思い入れからか、瞳に涙を滲ませながら一音一音を大切に演奏していた。



♢♢♢




『地球温暖化に関する素晴らしいニュースが入ってきました!』

失職した僕がその事を知ったのは、家で偶然観たTVのニュースでだった。民法テレビ局のニュースキャスターは、興奮した様子で声高にそのニュースを読んでいた。その口元から溢れ出た物体を局のADが懸命に拾って回る。


『昨夜の世界学会科学会議でがある事を発見したとアメリカのマサチューセッツ工科大学の○○○○教授からの声明があり…』


このニュースが流れてから僅か3日後に、日本政府は【カーボンニュートラルに対する巨大プロジェクト】を立ち上げ、音楽はのように位置づけられた。



♢♢♢



「来た来た、ケンちゃんこっちこっち!」

オーケストラのみんなと顔を合わすのはもう三ヶ月振りになる。

「よかったね、補助金が戻って」

「なにしろだからね。これで気兼ねなく演奏が出来るってもんだよ!」

木村さんが得意そうな顔で顎を突き出すと、みんなで肩を揺らして大笑いをした。


FIN

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