第2話 デコチューは挨拶

 声をかけると、ぼっちちゃん、もといクラスメイトの三春みはるちゃんは肩を跳ねさせ本を閉じる。


「えっ。あっ。……桜庭さん?」


「巳散でいいよ。クラスメイトじゃん」


 制服が汚れないようにコンビニの袋を敷いて隣に腰掛ける。

 少し肌寒い春風と川のせせらぎが心地いい。


「いい場所だね。穴場スポットだ」


「別に……本を読むのにいちいちカフェに入っていたら破産するだけ。ウチの親、マンガとかラノベに寛容じゃなくてさ」


「本ひとつ読むのに大変だ。学校の図書室とかは?」


「図書委員の邪魔になる。それに、誰にどんな本を読んでいるのか、できれば知られたくないし……」


「へ~。エッチな本なんだ?」


 にやにやとチェシャ猫のごとく問いかけると、三春ちゃんはハッとしたように口をおさえた。


「興味あるな」


 覗き込むと、三春ちゃんは頑として本を閉じる。


「別に悪くないじゃん。たまに過激な描写があるくらいでしょ?」


「いや、これ……BLだし……」


「ビーエル……」


 一瞬の後に、閃いた。


「あ! 男同士でエッチなことするやつだ!」


「そういう言い方やめて! てか人通り! もっと人目気にして!」


「あはは! そんなむきにならなくてもいいじゃん? 同性同士でエッチなことするひとなんて世の中に吐いて捨てるほどいる――」


 言いかけると、三春ちゃんは長い前髪の奥から私にジト目を向けて。


「氷室さんと……やっぱそういう関係なんだ?」


 その、どこか非難するような眼差しがなんだか気に食わなくて、「だったら何?」と言い返す。

 三春ちゃんは、ごにょ、と本を閉じて私に向き直った。


「これは単なる興味本位なんだけど。女同士でそういうことして、何が楽しいの?」


「楽しいっていうか、友情を確かめているっていうか、なんていうか……」


「男じゃダメなの? ほら、クラスのビッチ共は他校の男子漁ってるじゃん」


「あ~。絵里えりとか智子ともこのグループね」


「そうそう、あそこらへん。私みたいな喪女には無理でも、桜庭さんや氷室さんなら全然見つかるでしょ、相手」


「じゃあどうして、三春ちゃんは男同士でそういうことするBLを読んでいるわけ?」


「……!」


 私の指摘しようとしていることがわかったのか、「たしかに」と呟いて三春ちゃんは謝った。「ごめん、余計なお世話だった」と。素直に。


「BLには、BLにしかない良さがあるの。つまり桜庭さんも……そういうこと?」


「ん~、私は基本受け身だからわからないけど、せっちゃん曰くそういうことだねぇ」


「そうなんだ……今まで考えてみたこともなかったな。ごめん、桜庭さん。私、『百花百合』とかいうあなたのこと、何か誤解してたかも」


「…………」


 なんか、少し歩み寄ったら爆速で誤解が解けて友情が芽生え始めている。

 春の近づく土手の上で。三春ちゃんと私の間に。友情が。


 そのとき、なぜだか不意にせっちゃんの言葉が頭に浮かんで。


 ――『巳散って、オトせない女子とかいんの?』


 気がつくと私は脳内で、せっちゃんに返事していた。


 『少なくとも、今の三春ちゃんならオトせるかも……』と。


 私は、背後に人がいないことを確認して三春ちゃんとの距離を詰めた。

 覗き込むと、長い前髪の奥の瞳は意外にも睫毛が長く整っていることがわかる。


「もったいないね。三春ちゃん、可愛い顔してるのに」


 本心だった。

 素直に口にすると、三春ちゃんは土手の上で「ふえっ!?」と変な声を出して後ずさる。


「前髪切りなよ。似合うと思う」


「えっ? 急に何の話……?」


「だよね。でも急に思った。なんとなくの話だよ」


 私はその長い前髪を掻き分けて、三春ちゃんのおでこを露出させた。


「ん。思い切ってこれくらいどうかな? 肌も綺麗だし、口をつけたくなるおでこだね」


「ちょ……! これだから人たらしの『百花百合』は! 意味わかんない!」


 わさわさと、顔を真っ赤にしておでこを隠す三春ちゃん。

 最近はせっちゃんとか萌とか、慣れた子としか接していなかったから初心な反応がなんだか面白い。


「ねぇ、三春ちゃん的にはさ、デコチューはアリなの? ナシなの?」


「は?」


「ほら、外国とかだとさ、挨拶とか親愛の意味でチューするじゃん。私的には、デコくらいならそのレベルなんだよ。もし三春ちゃんが嫌じゃないなら……」


 言いかけて、真っ赤に俯くその顔がまんざらでもなさそうなことに気づく。

 ああ、なんだかんだ言ってもやっぱり興味はあるんだね。


 私は少し身体を寄せて、おでこにそっと、そよ風レベルのキスをした。

 触れたのか触れていないのか、確認しないとわからないようなのキス。

 きっと夜になれば、この瞬間の出来事は夢か妄想だったんじゃないかと錯覚するような……


「あはは! すっべすべ! 自信持ちなよ、三春ちゃんは可愛いよ! じゃあまた明日、学校でね!」


 呆然とおでこに手を当てる三春ちゃんに手を振って、私は久しぶりのいたずらにわくわくしながら帰宅したのだった。


 ◇


 その夜、わたしはわくわくしたテンションのまませっちゃんにLINEした。


「三春ちゃん、いつ髪切ってくると思う?」


「ん~、まぁ。まんざらでもなさそうだったんなら週末とかにでも切りに行くんじゃない? つかさぁ、いつの間に根暗ぼっちと仲良くなったわけ?」


「三春ちゃんは根暗ぼっちなんかじゃないよ。ちょっと人に言いづらい本を読んでいるだけで、ひとりの時間が好きな可愛い子だったよ」


「うわ、出たよ。『全肯定系巳散ちゃん』。そりゃあ女子同士みんな仲良くできればそれに越したことはないけどさぁ、いつの間にデコキスしたんだよ。浮気かよ」


「私がいつせっちゃんと付き合ったって? それこそ妄想乙」


「うわ、くそすぎる! サイテー! あたしとあそこまでしておいて!」


「せっちゃんが強引にしてるだけじゃん」


 「ぐぬぬ……!」と、兎が憤怒に身悶えるスタンプが帰って来てその日のやり取りは終了――かと思われた。だが、せっちゃんは「そういえばさぁ」と切り出してとんでもない情報ばくだんをぶち込んできたのだ。


「兄貴に聞いたんだけど、ウチらの学校、近々共学になるらしいよ。次の四月から、『段階的共学化』とか言って、男子が数名クラスにぶち込まれるらしい」


「は?? ナニソレ」


 『段階的共学化』? 言っていることは意味不明だが、せっちゃんのお兄ちゃんはウチの学校で理科教師をしているので、その情報筋は正しい。

 ちなみに、せっちゃんに似て容姿端麗な為女子生徒にはクソほどモテるのだが、生物の着色標本作りが趣味で蛙の解剖とかが好きだから『解剖できない女子』にイマイチ興味が沸かないことは私とせっちゃんくらいしか知らない。バレンタインにチョコをあげた子はご愁傷様です。


「で。つまりそれって、四月からウチの学校が共学になるってこと? 今、もう三月はじめだよ?」


「段階的にね、三年後の本格共学化を目指して、まずは学校関係者の息子とかから試しで編入させてみるんだって」


「なにそれ~。その男子的には拷問じゃん。アウェイ以外のなにものでもない。絶対イジメられんじゃん」


「逆にハーレムとか狙ってる奴しか来ないんでしょww B組に来る理事の遠縁なんて、金持ちの秀才で容姿端麗。今でも学校でぶいぶい言わせてるヤリチンなのにわざわざウチに来るとかさぁ、女好きの極みみたいな奴なんでしょうよ」


「じゃあイジメられても安心か。絵里とか露骨に食いつきそうだなぁ~」


「だなだな。でもいいじゃん。絵里たちビッチグループがB組でたむろするようになれば、ウチらA組は広くなる」


「それもそっか。ちなみにウチのクラスにはどんな奴が来るか知ってるの?」


「ん~、兄貴いわく、『フツーの子』がふたり来るらしいよ。親が教師やら経営陣で、なかば無理矢理編入させられて可哀想だって」


「ふーん。つまんな。つか『フツー』って何?」


「可もなく不可もない男子ってことでしょう。多分あたしらは特に話すことなく卒業になりそうだよなぁ」


「まぁ、接点がなければそうなるかもね」


 クラスに男子が来ようと来まいと、卒業まで楽しく過ごせればそれでいいか。

 なんて。そのときは思っていた。









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