第2話 いつもの味

「らっしゃーい」


目に入ったのは自分より少し年上の若い男性だった。

爺さんの姿が見えない。


「1人で」


「好きなとこかけてー(座って)」


ガラガラと開けた扉はしっかり力を入れないと動かないほど

脂ぎっていた。

年数を感じる店の中はあの頃と何も変わっていない。

たった13年、でも13年前が懐かしく思えた。


7席のカウンターにはちらほら人がいて、テーブル席は小さい子連れの家族。

俺は1番右端の2人掛けのテーブル席に着いた。

俺と父親がいつも座っていた席だった。


「ご注文は?」


「中華そば、メンマ多めでお願いします」


「はいよー」



びっくりした。


何かって、無意識で言葉にしていた「メンマ多め」。

俺は別にメンマが好きなわけでは無かったんだ。


父親が、好きだった。

だからいつも俺のラーメンもそう注文していた。

別に俺は多めじゃなくていいのに、と言えなかった。


「ほーら史斗。いっぱい食えよー!

 メンマもたっぷり!喉詰まらせんなよー。」


俺が食うのをうまいか?と聞きながら見てたんだ。


そしてその姿を、なぜだか爺さんも一緒に見てたんだ。



「はい、お待ちどうさんメンマ多めね」


「…あ、ありがとうございます」


見上げたそこには、懐かしい爺さんの顔。

13年経って、白髪が増えて痩せたように見えたが、声は変わらず元気だった。

爺さんが一瞬目を見開いて、言った。


「おめー。…史ちゃんか?」


「お、覚えてるんですか?」


「覚えてるって…そうかー。いやぁー史ちゃんか。ひっさしぶりだなぁ。」


爺さんの目を細めて笑う顔は全く変わっていない。


「メンマ多めって聞くといつも史ちゃんが浮かんでたさ。

 まっさか本当に会えるとはなぁーおらいつ死んでもいいわ!」


あっはっはと爺さんが笑う。

戸惑いながら俺も笑う。

なぜこんなに俺が来たことを喜ぶのか。不思議だった。


「…あのー。」


「あぁ、わりぃね!のびねーうちに食え!」


少し右足に負荷がかかったような歩き方で厨房の奥に行った。

後ろ姿からはすこし爺さんの老いを感じた。


目の前には懐かしい中華そばにメンマがこれでもかと乗っている。


「いただきます。」


一口すすったスープはあの頃の記憶を呼び起こすには充分な量だった。

ここで話した父親とのたわいのない会話。

出会い。



「…うまい。」

こんなうまかったっけ。

変わっていないあの頃の味にほっとした。

これが、死ぬ前に食べたい味なのかと納得する。


ちらりと厨房を見る。

弟子らしき男性に何かを伝える爺さん。

いくつになるんだろう、スゲーな、まだまだ現役か。


俺は夢中で麺をすすりながら、爺さんのことを考える。

22歳にもなって「史ちゃん」と呼ばれることに恥ずかしさを感じながら、

それよりなぜ小3の俺で記憶が止まってるはずの爺さんが俺に気が付いたのか。

なぜメンマで俺を思い出すことがあったのか。

ただのいちお客に過ぎないはずなのに…


そんなことを考えていたらあっという間にラーメンが終わる。


まぁ。きっと父親は最近もここに顔を出していて

俺の話を爺さんとしてたんだろう。

あまり深く考えず、どちらかというとこんな格好で久しぶりの再会を果たしたことに申し訳なさを感じた。


「ごちそうさまです」


「はいよーありがとうございますー」


会計をすませ、爺さんの方を見る。

奥で座っていた爺さんが俺に気付く。

ゆっくりこちらに来てこう言った。



「また来んさい、史ちゃん」


「あの、俺…」

まさか、死のうと思ってここに来たとは言えない。


「…久しぶりに会えて、覚えててくださって、…あの、嬉しいです」


「あっはっは。おらもさ。

 いやー…そうか。こんな大きくなったか。ありがとうね」


「あの、お婆さんもお元気で…」


言いかけたとき、ちょうどそこから見える写真に気が付く。

あのお婆さんだった。


「あっ、すみません。」


「はは、いいんだよ。

 婆さんのことも覚えていてくれたんか。ありがとうな。

 婆さんは4年前に逝っちまったんだよ」


「そう…だったんですね。」


「史ちゃんが婆さんを覚えてくれたなんて婆さんも喜ぶわ。

 伝えとくよ。」


「はい…。あの、たまに父は来るんですか?

 俺の事、まさか覚えていてくれるなんて」


少し黙って爺さんが言った。


「年寄りの記憶力もなめたもんじゃあないさ!

 また来な。待ってるよ」


「…ありがとうございます。美味しかったです」


会釈をして、重い扉を開け店を出る。

またすぐにでも来ようと思った。


夏の夕方らしい、じんわり暑い空気。



俺の、死にたいという気持ちはなくなっていた。

人は単純だ。














 









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