第22話 見捨てられた地区(2)



 教会の中は椅子も机もなくガランとしていた。


「何もない……」


 殺風景すぎる教会の様子に俺は思わず呟いていた。

 この教会は、ただの石の箱という感じだった。ステンドグラスなどもなければ、神様の像や窓ガラスさえない。ただ何もない寂れた空間。


 これが、教会? 

 俺が信じられない想いで見上げていると、レオンハルトが口を開いた。


「ああ、そうだ。窓をつけても、椅子などを置いても盗まれるらしいからな」

「え?」


 教会の物まで盗まれる?!

 信じられなくてレオンハルトを見ると、教会の裏口からダークブラウンの髪と瞳、中性的な顔立ちのミステリアスな雰囲気の男性が現れた。


「今日は食事の日でもないのに随分と騒がしいと思ったら、レオンハルト様とミルカが来ていたのでか。レオンハルト様。ようこそ」


 レオンハルトとミルカの知り合いだろうか?

 じっと見ていると、ミルカが男性に近づきながら言った。


「シバ、会いたかった」


 ミルカのこれほど嬉しそうで、穏やかな顔を見るのは初めてだった。きっと、大切な仲間なのだろう。


「ミルカは大袈裟だな。数日前に会ったばかりだろ? そんなことより先に言うことがあるんじゃないのか?」


 シバという男性の言葉で、ミルカが俺たちの方を見た。

 

「ルーク様。この者はレオンハルト殿下より、この教会の管理を任せされているシバでございます」


 ミルカの言葉に、シバと呼ばれた男性がこちらを向いた。


「ルーク様、お噂はミルカから聞いている。はじめまして俺はこの教会を預かっているシバだ」


「はじめまして」


 俺が手を差し出すと皆が驚いた。

 なんだ?

 貴族のマナーの授業で教わったので、こちらの世界に握手がないはずはないが……。


「あ、握手はしないのか?」


 俺が首を傾けると、シバは戸惑った後に自分ではなくミルカの服で手を拭くと俺に手を差し出した。


「いや、握手をして貰えるとは思わなくて……よろしく」

「こちらこそ、よろしく」


 俺が笑うと、シバもミルカも嬉しそうに笑った。するとレオンハルトが小さく笑った後に、シバに向かって声をかけた。


「久しいな、シバ。随分と元気そうだ」

「おかげ様で。これもレオンハルト様のおかけさ」


 シバが話をしている間も、ミルカはずっとシバに寄り添うように近くにいた。


「ミルカから話は聞いているがシバからも報告を聞きたい」

「わかった。ミルカの給与で定期的に食べ物を配っているおかげで、この教会周辺は随分と良くなっている」

「え? ミルカの給与で食べ物を? ミルカはできる執事な上に聖人なのか?!」


 驚きのあまり、俺は大きな声を上げてしまった。するとミルカが説明してくれた。


「いえ、それほど大袈裟なものでは……。ただ私には食事や必要な物は城から支給されますので、レオンハルト殿下から頂いた給与は、全額シバに渡しています」

「ミルカのおかけで、50人程の人間に2日に一回、パンなどを配れております」


 シバの言葉を聞いて、またしても驚いてしまった。


「ええええ~~? ミルカ……、一人で、50人も養っていたのか……」


 確かに王族の専属執事なんて、エリート中のエリートだ。給与だって、かなりもらえるのかもしれない。それにしてもだ。1人で50人を支えるって……大変だろ?!

 俺が驚きの連続でオロオロしている間にも、レオンハルトは淡々と質問を続けていた。


「そうか……。子供は、やはり増えているのか?」


 俺、完全に邪魔してる……せめて、これ以上、邪魔をしないようにしよう。

 疑問はまとめて後で聞いてみることにして、俺はレオンハルトとシバの話に耳を傾けた。


「そうですね……増えますが……減りますので…あまり増えたという感じではありませんね。ですが、レオンハルト様のおかげで、この辺りだけしかわかりませんが、例の病は確実に減っています」


 例の病?

 なんのことだ?


 俺が首を傾けていると、レオンハルトがほっとした顔をした後に言った。


「そうか……では、治安はどうなっている?」


「はい。我々はもちろん、私たちの仲間にしてほしいと言って仲間になった者は、大人しくしていますが、それ以外は相変わらずようです。最近では城門を通る荷馬車を襲って、よく兵士と揉めているようです」

「そうか……」


 レオンハルトが呟くように言って、何かを考え込み、そしてようやく顔を上げた。


「では、早速この辺りを見て回ろう」


 そうして俺たちは、ミルカとシバの案内で町を見て回った。ヴェステンエッケ地区は『危険だ』と聞いていたが、ミルカやシバが一緒だったおかげか、町の皆も『ミルカだ』『シバ!!』『レオンハルト様』と好意的な反応を返しており、誰も俺たちに危害を加えるようなことはなかった。


 だが町は荒廃していると言っていたが本当にその通りだった。家と呼ぶにはあまり粗末な住居に、人々は、衣服としての機能を果たしていない布を巻きつけている。食事も満足に食べられるというわけではないのだろう。顔色も悪いし、発育状況も悪い。

 

 俺が荒れた町や人々を見て心を痛めていると、レオンハルトは溜息をついて口を開いた。


「この地区は親に捨てられた子供が増え、その子供たちが犯罪を起こし、周辺の地区から忌み嫌われ、分断され、それによって、また争いが生まれという悪循環になっているのだ」

「……」


 俺はあまりの悲しみに何も言えずに、レオンハルトのつらそうな横顔が、目に焼きついて離れなかったのだった。





「世話になったなシバ」


 視察が終わり、俺たちは城に戻ることになった。レオンハルトが、シバにお礼を伝えるとシバも穏やかな顔で言った。


「レオンハルト殿下、ルーク様。どうぞお元気で」


「ありがとう、シバも元気で」

「ああ、そちらもな」


 馬車が動き出すと外から声が聞こえた。


「レオンハルト様、ルーク様。お元気で!!」


 シバをはじめ大勢の人が、手を振って送ってくれた。

 

「ありがとう~~」


 俺が馬車の中から手を振ると、レオンハルトがすぐに俺を抱き寄せてミルカに窓を閉めさせた。


「ルーク。この辺りはずっと安全なわけではない。窓はすぐに閉めろ」

「あ……はい」


 俺はそう言われて素直に頷いた。確かに今回は、ミルカやシバのおかけで安全に視察ができたが、ミルカやシバのいないこの場所の視察はどれほど大変だろうか。きっと、レオンハルトは一人で少しでも良くしたいと足掻いていたのかもしれない。――そう思えた。

  やっとゆっくりと、質問が出来そうなので、俺は質問してみることにした。


「そう言えば、例の病ってなんですか?」

「ああ、『子喰らい』のことだ」

「授業で習いました。減ってきていると学びましたが……本当だったのですね」


 レオンハルトの説明を受けて、俺は授業の内容を思い出した。『子喰らい』これは、子供たちが段々と衰弱して死に至る病として恐れられていた病だ。原因は極度の栄養不足による体の発育不全や、免疫力の低下によって起こる衰弱だ。だが現在は、特効薬が開発されたらしく、『子喰らい』の発生は減っているという話だ。


「そのようだ」


 レオンハルトが、口の端を上げて嬉しそうに呟いた。きっとレオンハルトは、この病が減って嬉しいのだろう。

 そう思っているとレオンハルトが、腰を支えてくれている手に少し力を入れて、俺をきつく抱きしめながら小さく呟くように言った。


「この地区はな、他の地区の者が面倒を見られなくなった子供を捨てて行くから、どんどん治安が悪くなるのだ」

「え? 他の地区の親が子供を捨てて、この地区の治安が悪化?!」


 衝撃だった。

 親に捨てられた子供たちの町……。

 そんなおとぎ話みたいな世界が現実に存在しているなんて!!


 確かに視察をして不思議に思っていた。町には、ミルカやシバくらいの人が一番上という雰囲気で、大人がほとんどいないように思えた。


 もしかして……。

 俺はある可能性に気づいて、息を飲んだ。

 

「子供が捨てられ、その子供たちが生き抜くために、一人では生きられないから、犯罪組織のようなものを作る。それで、治安が悪くなる……。そして、そんな子供たちに職などもなく、段々荒んでいく」


 レオンハルトがそこまで言うと無表情に言った。


「だが……そんな暮らしをしていては……長くは生きられない」


 この国には親に捨てられた子供たちを守る制度が確立していないのか……。だからこそ子供たちは身を寄せあって暮らすことになり、生きるために犯罪に手を染めることになるのだろう。いや、もしかしたら犯罪だという意識さえもない可能性がある。


「そんな……でも、そうですよね……子供が一人で生きて行くことなんて出来ないですよね」

「周辺の地区も、この地区の者と関わらないようにしているから、仕事もない」

「ますます、生きるために犯罪に走るしかなくなるのですね」


 なんだこの最悪のデストピアは!! 怒りと悲しみ、恐怖、色んな感情が混じって、頭が痛い。

 だが、今は感情論は置いておいて、現状を整理しよう。

 もしかしたら、ある程度組織化しているなら話もできるのではないだろうか?


「レオンハルト殿下のお話ですと、その犯罪組織は、複数あるということですよね」

「ああ、そうだ。ちなみに以前、その一番大きな犯罪組織を率いていたのがミルカとシバだ」

「ええええ~~~!! ミルカとシバが、犯罪組織を率いてた…??」


 俺は今日一番の衝撃的な事実に、思わず大声を上げてしまったのだった。

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