第19話 不可解な感情



「兄上が協力すると言ったのか?」


 マナーの授業が終わり執務室に戻ると、俺はすぐにレオンハルトにベルンハルトとの会話の内容を伝えた。庭でベルンハルトと会って、『女の子と結婚できるように、協力してくれそうだ』というとこまでを伝えるとレオンハルトは眉を寄せながらそう言った。


 どうしたのだろうか?


 俺が心配しているとレオハルトが口を開いた。


「話を続けろ」

「はい。では、続けますね。ベルンハルト殿下も今後は本気になるとおっしゃっていましたし、私の兄も動いているようなので、以前よりはずっとレオンハルト殿下の望みの『俺との婚約破棄』が叶う確率が上がってますよ!!」

「私の望みだと? ルークとの婚約破棄が?」


 レオンハルトが、動かなくなった。俺は思わずレオンハルトの顔を覗き込みながら、尋ねた。


「……? はい……そのために俺と一緒にいてくれるのですよね?」


 レオンハルトは、青い顔をしてソファーから立ち上がった。


「ルーク。今日はもう、終わりだ。失礼する」

「え?」


 レオンハルトは、俺の顔を一切見ることもなく、執務室を出て行ってしまった。俺はレオンハルトにとって、かなり幸運な情報を持ってきたので、俺の話が原因でレオンハルトがこの部屋を出て行ったわけではないだろう。顔色が悪そうだったので、体調が悪かったのかもしれない。体調が悪かったのに引き留めて申し訳なかった。


「ルーク様、申し訳ございません。私はレオンハルト殿下の元へ向かいます」


 ミルカが声を上げたので、俺は急いでミルカに向かって言った。


「うん。行って! 俺、しばらくここで勉強してる。レオンハルト殿下が落ち着いたら使いを寄越して。心配だから殿下の容体を確認してから帰るよ」


「かしこまりました。では失礼致します。ルーク様」


 ミルカは、すぐにレオンハルトを追って部屋を出て行った。俺はソファーから立ち上がると、少し窓を開けた。冷たい風が吹き込んできて、少し重くなった室内の空気が軽くなった気がした。


 窓からは、いつも鬼ごっこをしていた庭が見えた。最近は忙しくてほとんどしていなかった。貴族学院に入学したら、ますます遊ぶ時間はなくなるのだろう。俺は、腰窓の窓枠に腕をついて、ぼんやりと外を眺めた。前髪が風でサラサラと揺れる。

 

――ルーク。正直に答えてくれ……。ルークは、やはり、弟と……レオンハルトと――結婚する気は、ないのか?


 突然、ベルンハルトの問いかけが頭の中に浮かんできた。


 レオンハルトと――結婚する気はないのか?


 そんなの……無いに決まっている。元々、俺がレオンハルトの側にいるのは、レオンハルトと離れるためだ。


 ……レオンハルトと一緒にいるためじゃ……ない……。


 初めからわかっていたことだ。レオンハルトは、『最終的に、どんな手段を使ってでも、俺と結婚しない』と言い切ったのだ。


 わかっていた。

 そんなこと、ずっとわかっていたし、俺も同意した。

 なのに、なぜだろう。

 心が重い……。


「おかしいな……全てが計画以上に上手くいっているのにな……」


 なぜこんなにいい話が聞けたのにも関わらず、心が重くなっているのわからなくて、戸惑っていると、バン!! と大きな音がして執務室の扉が開け放たれた。


「え? レオンハルト殿下? どうされたのですか? 体調が悪かったのでは?」


 扉を見ると、鬼の形相をしたレオンハルトが立っていた。


 あれ?

 なんか、既視感が……?

 デジャヴ??


「ルーク!! これからすぐに鬼ごっこを始める!!」


「ええええ~~~~??? 鬼ごっこ?! 体調悪いのに鬼ごっこですか?! やめた方がいいのでは???」


 レオンハルトは、不機嫌そうなのに泣きそうな顔をしていて俺も戸惑ってしまった。


「身体はどこも悪くはない!! いいから逃げろ!! 全力で逃げて、逃げて、逃げまくれ。何度でも、絶対にお前を捕まえてヤル!!」


 俺がレオンハルトの方に向かって歩いて行くとレオンハルトに手を握られた。だから俺も少し口角をあげながら答えた。


「わかりました。やりましょうか、鬼ごっこ」


 するとレオンハルトが、今にも泣き出しそうな顔で言った。


「ああ。全力で逃げろ。絶対に手を抜くなよ。全力のお前を捕まえる!!」


 まるで愛の告白のような熱量に、俺は無意識に口元を緩めていた。


「はい」


 そしてそのまま無言で庭に向かった俺たちは、庭に出た瞬間にレオンハルトから手を離されたので、すぐに逃げ出した。


 息が上がる。

 心臓が急ピッチで動き出す。

 身体中の血液が巡り、音を立てる。


 はぁ、はぁ、はぁ。

 自分の呼吸が、大きく感じる。


「ルーク~~~」


 レオンハルトの必死で自分を呼ぶ声を聞きながら、俺もそれに答えるかのように必死で逃げる。

 足を動かすにつれて、重くふさぎ込んでいた身体と脳が動き出した気がして、モヤモヤしていた何かが流れ出る。

 俺はいつの間にかただの鬼ごっこに、没頭していたのだった。





「捕まえた……はぁはぁ、はぁ」

「捕まりましたね…はぁ、はぁ、はぁ」

「はぁ~~~!! ルーク。もう一度だ」

「はぁ、はぁ、……はい」


 全力で逃げて、捕まって、全力で逃げてまた捕まる。何度も捕まるうちに、まるでレオンハルトからは、絶対に逃れられないというような錯覚に陥る。

 もう何度、レオンハルトの腕の中に捕らえられたのだろう。

 困ったことに俺は、その腕の中が心地よいと思っていたのだった。


「捕まえた……ぞ……はぁ、はぁ」

「はぁ、はぁ~~捕まり……ましたぁ……」

 

 鬼ごっこを繰り返し動けなくなった俺たちは、まるで7歳児のように地面に寝転んだ。見上げた空はとてもキレイだった。

 昔、鬼ごっこをした時の空もキレイだったが、今日の空も紫と赤のコントラストが見事で見とれてしまった。

 しばらく空を見た俺は、隣に寝転んでいるレオンハルトに首だけを向けて尋ねた。


「レオンハルト殿下……今更ですが、突然鬼ごっこがしたいだなんて……どうしたのですか?」


 するとレオンハルトは、こちらを一瞬見た後に空に視線を戻して言った。


「さぁな。ただ……狂ってしまいそうなほど――お前を捕まえたくなった」


 ――狂ってしまいそうなほど、――お前を捕まえたくなった。

 なんだろう、その物騒なセリフは……。

 だが――どうしてだろう?

 その物騒な言葉を、自然に受け入れている自分がいる。

 

 俺は横を向いて、レオンハルトの頬に汗で張り付いた髪を指で取りながら言った。


「……満足しました? まぁ『していない』と答えられても、俺はもう走れませんけど」


 するとレオンハルトがこちらを見て、口の端を上げて笑った。


「ああ、そうだな。とにかく、今はこれでいい。自分でもよくわからないが、少し落ち着いた」


 俺はそんなレオンハルトがなんだか可愛く思えて、思わず笑いながら言った。


「じゃあ、風呂入って、城の美味しいご飯食べて、レオンハルト殿下のふかふかのベッドで一緒に寝ましょうか?」


 俺の言葉を聞いたレオンハルトは、俺の顔の横に両手をついて、まるで地面に俺を押し倒すよう覆かぶさると、目を大きく開けながら弾んだ声を上げた。


「ルーク、今日は泊まるのか?!」

「すごく疲れたので、そうしたいですけど……いいですか?」


 なんとなく今のレオンハルトを1人にしない方がいいと思ったし、俺もレオンハルトと離れがたいと思ってしまった。


「いいに決まっている!! そうと決まれば、すぐに公爵家に早馬を出そう。ミルカ~~~いるか~~~」


 レオンハルトは、先程までの疲れた様子を見せずに起き上がった。そして、俺に手を差し出した。


「ほら、行くぞ。ルークが泊まるというのなら、こんなところで時間を潰せない」

「ふふふ、はい」


 こうして俺は、レオンハルトに手を取られて起き上がった。

 その後、俺たちは2人でふざけながら風呂に入って、ご飯を食べて、くだらない話をして、眠るためにベッドに入った。

 レオンハルトのベッドは、かなり大きいので、12歳になった俺が寝ても余裕だったのだった。

 

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