第18話 お兄様は心配性



「ああ~~楽になった。凄いな、ルーク」

「いえいえ、お役に立てたのならよかった」


 ストレッチが終わると、笑顔のベルンハルトにつられて俺まで笑顔になった。すると、ベルンハルトの瑠璃色の瞳が近づいて来た。


「ルーク。お前、本当に可愛いな……」


 レオンハルトもそうだが、ベルンハルトも距離がやたらと近い! 王族の距離感は、一般感覚とは違うのだろうか?


「ベルンハルト殿下、近いです」


 俺が手を顔の前に出すと、ベルンハルトが笑いながら言った。


「ところでルークは、こんなところで何してたんだ? まさか私のように執事を巻いてきた……というわけではないのだろう?」


 執事を巻く?! 俺、この人に関わらない方がいい気がする。そろそろ逃げた方がいいかな?

 

「ええ、そうですね。ただの迷子です」

「迷子か……自分で自分を迷子だと自己申告してる人間を初めて見たが、そういう素直なところも可愛いな」


 あれ? さっきからベルンハルトのセリフの語尾に、おかしな言葉が付きだした気がするのだが?


「お城は、迷路のようですから……」

「迷路か……確かにそうだな。ではルーク、送ってやるからそんな不安そうな顔するな。ああ~可愛いなぁ~~」


 ベルンハルトは、俺の頭をポンポンと撫でた後に俺の手を取って、手を繋いだ。

 

「手を繋がなくても、はぐれませんよ」


 ベルンハルトを見上げると、ベルンハルトが楽しげに笑いながら言った。


「案内してやるんだ。黙って繋がれていろ。減るもんじゃないだろう?」

「物理的には減らないかもしれませんけど……」


 ――精神的には減りそう。

 そう思ったが、相手は王族であるベルンハルトなので、絶対言えないのだが。


「ルーク、こっちだ」

「はい……」 


 しばらく歩いていると、ふとベルンハルトが呟くように言った。


「イザークによく言われることがあってな」

「はい?」


 また恥ずかしいことなのだろうか? もう、聞きたくないんだが?

 そんなことを思っていると、ベルンハルトが切なそうに言った。


「イザークはよく『ルークを女の子と結婚させてあげたい。そのために私に何かできることはないか?』って言ってくるよ」

「――え?」


 俺は、思わずその場に立ち尽くしてしまった。ベルンハルトと俺の間を風が、吹き抜けていった。ベルンハルトは、風で乱れた髪を耳にかけながら切なそうに言った。


「私もイザークの望みを叶えたいと思っている。私なりに手を尽くしてはいるのだが……今、この国に大公が不在なのは知っているだろう?」

「はい」


 兄が俺のために動いている? しかも、兄だけではなく、ベルンハルトまで動いている?!


 俺は兄にレオンハルトの策略の話をしたことはない。それなのに兄が俺たちと同じ目的で動こうとしていたことに酷く動揺していると、ベルンハルトが口を開いた。


「父上も外交補佐をしていたフロード公爵も、大公不在の穴を埋めるために、仕事が山積していて、余裕がない」

「余裕がない……?」


 俺は不愛想な父の顔を思い浮かべた。そう言えば、いつも書類を見ているし、屋敷にもほとんど帰らない。


 あの人、忙しいんだ……。


「私がもう少し成長して、父上を補佐できるようになれば、父上にも心の余裕が生まれ、状況を変えることが出来るかもしれない――だが……」


 ベルンハルトの顔がまたしても近づいてきた。


「近い……ですって」


 俺は繋いでいない方の手を顔の前に出すと、ベルンハルトが顔の前に出した俺の手を取って、真剣な顔をした。


「ルーク。正直に答えてくれ」

「……はい」


 これまでどこか、抜けた雰囲気だったベルンハルトが王族の顔になり俺は無意識に背筋を正した。


「ルークは、やはり、弟と……レオンハルトと――結婚する気は、ないのか?」

「……え?」


 そんなの当たり前だ。レオンハルトは男で……しかも当のレオンハルトは、いかなる手段を使っても女の子と結婚することを望んでいる。それこそ……俺を牢に入れてもいいというほど。――そのくらい俺との結婚を強く拒否しているのだ。


 それに……俺だって、女の子と結婚したい……と思っている……。


 それなのに……なぜだろう? 素直に頷くことが出来なかった。

 俺が石像のように固まっていると、ベルンハルトが俺の頭に優しく手を置いた。


「ふっ。ルークは真面目なのだな。立場上、答えることなど出来ないよな……配慮のない質問をして、困らせてしまったな。許してくれ。――弟が、ルークに随分と執着しているように思えてな……」


 レオンハルトは、俺のことを嫌ってはいないと思う。だが俺はあくまでもレオンハルトが、将来可愛い女の子と結婚するための駒なのだ。何かが胸に刺さったような痛みを誤魔化しながら、俺はベルンハルトに言った。


「執着なんてされてないですよ……私はともかく、レオンハルト殿下は『絶対に女の子と結婚したい』と言っていますよ? レオンハルト殿下のお兄様?」


 俺が困ったように笑うと、ベルンハルトが「ははは」と笑った後に片目を閉じた。


「お兄様か……。でも、そうか……ずっと弟の側にいてくれるルークがそう言うのならそうなのだろうな。実はイザークには散々言われていたが、私が介入しても良いものか悩んでいたのだ。私から見ると、弟はルークとの結婚を望んでいるように見えたからな――だが……これで私もようやく吹っ切れた。弟がルークとの婚約破棄を心から望んでいるのなら、私も本気を出さなければならないな」


 二年後に王太子になることが決まっているベルンハルトが、力を貸してくれるというならこれほど頼りになる協力者はいない。これでレオンハルトの望みが叶うのなら、友人として喜ばなければならない。


「ええ。レオンハルト殿下もきっと喜びます」


 そう答えると、ベルンハルトが腰をかがめて、至近距離で俺をじっと見ながら言った。


「ルーク、お前……なかなか聡いな。私の動かし方を心得ている。ルークの兄になれないのは、残念だが……。弟が正式に大公になったらルークとの側近契約は、一度解除される。もしレオンハルトが、お前を雇うと言わなければ、私のところに来い。私はルークが気に入った。ぜひ側近にしたい」


 そう言えば『側近』とは、王家の者に仕えるという決まりがある。俺は元々レオンハルトの側近をするのは、他国の高位令嬢と結婚するまでの約束だ。ベルンハルトが動いてくれて、レオンハルトが、すぐに可愛い令嬢と結婚できるということになったら、俺はその時点でレオンハルトにとっては無用になるだろう。

 公爵家の次男である俺は、いずれ家を出る必要がある。一応、外国の高位貴族女性との結婚を望んで国外に出るつもりでいるが、もしこの国に残るのなら、就職先があった方がいいかもしれない。

 それに――もしかしたら元婚約者の俺が近くにいることをレオンハルトも、レオンハルトの相手の令嬢も好ましく思わない可能性が高い。


「では、その時はよろしくお願いします。そのためにも側近試験、頑張りますね」

「ははは。ああ、頑張れ。期待している」

「はい」


 とてもいい話を聞いたはずなのに、俺の心は重くなっていた。すると「ルーク様~~~」と、俺の名前を呼ぶミルカの声が聞こえた。


「迎えが来たみたいだな」


 ベルンハルトは、さっと俺の手を離したかと思うと俺の頬にキスをした。


「またな、ルーク」

「ベルンハルト殿下、ありがとうございました」


 ベルンハルトは、背中を向けたまま片手を上げてどこかに去って行った。


 頬にキス……。兄にもよくされるが、友人の弟にもするのだろうか? やっぱり、王族の距離感はおかしい。

 だが……。

 レオンハルトの兄も、レオンハルトのことを心から想っているというのはわかった。きっと、俺を側近として引き取ると言ってくれたのも、ずっとレオンハルトと一緒に学んでいた俺が、急にレオンハルトに捨てられて困らないようにという彼なりの誠意なのだろう。

 『兄というのは心配性な生き物だ』と思っていると、すぐ近くでミルカに名前を呼ばれた。


「ルーク様!! こんなところにいらっしゃったのですか?!」


 ミルカが心配そうな顔で、息を切らしていた。きっとたくさん探してくれたのだろう。申し訳無さすぎる。


「ごめん、ミルカ。迷子になって……」

「どうか、あやまらないで下さい。レオンハルト殿下も私も、お送りすればよかったと後悔していたところです。とにかく、レオンハルト殿下も心配していますので、急いで貴賓室に向かいましょう」


 俺は、心配するミルカと共に、貴賓室向かったのだった。





「遅れて、申し訳ございませんでした」


 貴賓室に着いて、俺が頭を下げると、レオンハルトが、眉間に皺を寄せながら言った。


「母上の専属女官に見とれてなどいるから、今更、迷子になどなるのだ!!」

「それは関係ありませんが、迷子になったことは本当に申し訳ないと思います」


 俺が素直に謝っていると、レオンハルトがじっと俺を見た後に尋ねた。


「……何かあったのか?」


 さすが! 鋭い!!


 俺はレオンハルトに「後でお話します」と伝えた。レオンハルトも「そうか……」というと、マナーの授業を受けることになったのだった。





 

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