蛹の中で何が起きているか、誰も知らない。知る由もない。


 夜の暗闇を芋虫が行く。

 紫を薄くまぜた灰色の身体は、苗木の幹ほどの太さに膨れて這い進むのも一苦労だった。食べるだけ食べて、歩くだけ歩いてきた。もうとっくに身を固めてもいい頃合いに来ていた。

 今にも殻として固まりそうな皮をたわませて必死に草の根元を進む。


 ようやく草むらが終わって、硬くざらついた樹皮に乗り上げる。静かにそびえる木からは鳥の巣の物音も大きな生き物の気配もしない。

 蛹の間を過ごすには、獣に踏まれないために足元といえない高さが必要だった。小鳥の邪魔ももってのほかだ。

 根を登るために樹皮に柔らかい吸盤を乗せる。今にも強ばりそうなそれは前ほど踏ん張りが利かないうえに、不釣り合いな身体の重みがずしりとのしかかる。

 芋虫はせっせと後戻りできない木登りを始めた。


 うっすら明るくなった頃、這い進んできた草むらを見下ろす高さまで辿り着いて芋虫は止まった。鳥が飛ぶには低く、地面から嘴を伸ばすには高い絶妙な位置どりが重要だった。ざわりと吹いた夜風が地面の小枝を吹き上げたが、それも芋虫の下で幹に当たって乾いた音で根の間に落ちた。

 ここならどんな邪魔も入らない。その合図のようだった。

 止めた身体は固まりそうだ。意を決したように、芋虫は身体の横の樹皮に口付けた。ぐい、と身体を宙へ傾けると木から引き出したように白い糸が口から続く。背を通して反対側の樹皮へ糸を糊づけするときた道を戻ってもう一つ糸をひく。破裂しそうな身体をうねらせるのは一苦労だが、この最後の一手間に際して最後の柔らかさを発揮していた。何度も樹皮に口付ける動きは、ようやく場所を見つけた浮かれ騒ぎのようだった。

 正確に同じ場所に渡された糸はまるで一本のように寄り合って朝日にきらめく。支えが完成し、ようやく芋虫は待ち侘びた時を迎えた。糸に身体を預け、樹皮の一部になるかのように身体を固める。皮はみるみるうちに暗い色の殻へ変わり、最後にひとつ身じろぎをして、芋虫は蛹へと変わった。


 静かに身を固めた蛹の上で、低く唸るものがある。

 太い幹が割れて何本もの腕を広げる中心。この木の主たる塊が目覚めの音を立てていた。縞模様が走る壁の中殻の細かな振動が、木全体に伝わり始めている。

 塊の下の狭い穴から、もぞりと這い出すものがあった。黒い角に同じ色で光る顎。くびれた背中に生えた細い羽は、穴から這い出すと直に大気に振動を放つ。ふわりと持ち上げた身体は、針を仕込んだ鋭い尻で締めくくられていた。

 同じ姿の尖兵は無数に這い出しては浮き上がり、たちまち縄張りの巡回を始めた。

 夜のうちに迷い込んだ枝の上の甲虫や葉の裏の蝶々。草の間で生き絶えたトカゲの骸までもが狩り出される。生きているものには針が襲い、死んでいるものには顎が襲った。たった1匹の侵入者にも無数の先兵が取りついて、たちまち肉団子に変えて縞模様の巣へと持ち帰る。

 容赦のない哨戒は、巣を抱く木の幹にも向けられた。昨日までなかった樹皮の突起はたちまち見つかる。命がないかのように身じろぎひとつない姿だが、彼らの目はごまかされない。

 背中にぶすりと容赦のない一撃が襲った。びくりと身じろぎしたのを見逃さず、二の矢、三の矢が襲い、蛹の体を覆い隠して尖兵達は動きを止めた。


 すっかり明るく照らし出された森の中、地に這う木の根を覆い尽くすほどの死体が転がった。最後の一匹が仲間の上に乾いた音で落ちる。尻の針が抜け、中の臓物ごとくり抜かれた無惨な穴を開けていた。

 蛹の殻は無惨にも穴だらけだった。数本、臓物と絡み付いた針が突き立っている。その隙間から、中身の肉の濃い色が見え隠れしていた。

 肉はしばらく動かずにいたが、やがて静けさを確かめるような身じろぎをした。

 とたんに襲撃ですり減っていた支えがぷつりと切れた。予期せぬ落下に身をよじるが、まとわりついた残骸に邪魔された。とはいえ、積もった死骸がふぁさりと柔らかく受け止めたので、穏やかに地面へ帰還することができた。

 慣れ親しんだ重力の中、肉はいそいそと己の殻をかき分ける。

 針が突き立った殻が崩壊した。まるで元からトゲを纏った殻のようだったが、中身は滑らかな壁で、柔らかいものを抱えるための造りをころりと晒した。

 脱ぎ捨てた殻を押しのけ、芋虫は這い出した。柔らかい体は動きやすく、隙間を縫う動きにうってつけだ。萎れた殻はもとより、蛹化直前の張りのある体に近い太さとわずかに劣る長さを持つ身体。尻には針を持ち、草や葉を食んでいた口には黒く光る顎が生えていた。

 早速吸盤で手近な死体を抱え込む。張り裂けんばかりの栄養を使い切って、生まれ変わった胃袋は空っぽだった。とはいえ、初めての食べ物に一口目を迷う。

 やがて目星をつけた、くびれの下のたっぷりとした腹にかぶりついた。

 表面の萎びた皮と中身の汁気を混ぜた食感がくしゃりと音を立てた。葉にはないごちゃつきに慄くが、新しい顎でもしゅもしゅと取り組むと、瞬く間に喉に落ちる細かさとなった。

 とろりと優しく腹に落ちる命の味は、目覚めたばかりの体に染み渡っていくようだった。

 あっという間に腹を食べ尽くし、胸を噛み砕き、硬いので諦めた頭だけが残る。

 木の根を覆い尽くす死体が食べ物の山に変わった。

 いそいそと隣の一体を吸盤で抱える。巣が消えたと知れ渡って小鳥が寄りつく前に、全てを腹に収めたいのだ。

 これほど大きな巣をまた見つけるには、それだけ広い縄張りを抜けて大きな木を探さねばならない。

 食べるだけ、食べる。

 動くだけ、動く。

 もっともっと、大きくなるのだ。

 

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