蠢森

波打ソニア

 卵が産まれた。

 先に産まれていた灰色の二つに比べて小ぶりで、黄味がかった白い殻をしていた。

 満腹になって帰ってきた母鳥が、父鳥に代わっていそいそと卵たちに丸い腹を覆い被せる。明るい水色の腹毛とその向こうの肉が柔らかく温もりで包み込み、まじろぎしない卵たちの眠りを守る。

 父鳥が飛び去る羽音が去って、あたりは他の鳥や生き物たちの気配を包んだ静かさに満ちる。

 頭上から降り注ぐ陽の光の助けも借りて、母鳥は卵を温めながら神経を尖らせた。この静けさを破るのは天敵の蛇をはじめとした招かれざる客だ。しかし本当に恐ろしいものは音も立てずに近づいているものだ。

 雨風を気にしなくて良い日の常として、母鳥は気を張った。その下で、卵たちは眠り続けた。

 やがては父鳥が戻ってきて、再び卵の番を交代する。繰り返し繰り返し、殻がひび割れるまで、卵の番は続くのだ。


 ある時とうとう蛇がやってきた。

 周りの鳥たちも騒ぎ立てたので、番をしていた父鳥はすぐに気がついた。自身もけたたましく声を上げて威嚇するが、悪いことに蛇がそろそろ木登りをやめて目星をつけようと目を留めたところだった。食べごろですとばかりの騒ぎに、舌をチロチロと機嫌よく震わせて蛇は迫った。巣に埋め込まれたような様子から、卵も抱いているだろうとも心得た様子だった。

 絶好の獲物の番が戻っていることも、気がついていればただただ歓迎すべきことだったが、生憎母鳥は蛇の視界の外から猛然と羽ばたいていた。

 小さな嘴を横腹に叩き込まれて、細長い体が揺らぐ。もとより巣ごと落としてやろうという腹づもりで細い枝とも構わずに登っていたのも災いした。怯んでうねらせた体の大きさに慄いた父鳥は一瞬腹を浮かせてひときわ大きく鳴いた。卵たちがちらと姿を見せる。容易く飲み込めたはずの卵たちを目にしながら、蛇はぐらりと地面に傾いた。けたたましく鳴く近所の鳥たちの巣は、地面との間には一つもなく、そのまま草地に叩きつけられた。


 懲りた様子で這い去る蛇を横目に、一瞬空気に触れた卵を母鳥がしきりに確かめたがった。大きな蛇を払った力など想像もつかないような気忙しい様子で夫の腹の下を覗き込み、つつきそうになるほどだった。

 いつまでも離れようとしない様子に父鳥は卵を譲って巣の外に出る。灰色の卵が二つ。小ぶりな卵が二つと殻を接して間に納まっている。それを確かめても、妻は空腹を思い出すこともなく、いそいそと腹を被せる。小ぶりの卵を気にして首を下げるのを見届けると、夫はぱっと飛びたった。

 妻が腹ごしらえを仕切り直す気がない以上は、自分が満腹になって戻るのが急務だ。まだ余力もあっていつもよりもたつく体を浮かせ、巣を後にした。


 母鳥は、自分の腹をめり込ませるように卵に押し付けていた。

 もはや太陽の光にも触れさせないような気迫で、小さな巣の中に鎮座する。もはや中に入れるのは父鳥だけだった。

 風が出てきて、余計に彼女はめり込む。自分の卵を腹の中に押し込み戻してしまいそうなほど。

 辺りの巣でも、蛇を目の当たりにした親鳥は似たような静けさを纏っていた。当分は警戒が続く。

 小さな羽音の後に、高い鳴き声がひひ

 番が戻った音でも騒ぐ者がいるほどの緊張。そんな騒ぎが何回かあって、ようやく一帯は緊張を緩める。

 だが、騒ぎは広まり始めた。

 普通、一度狩りに失敗したなら、相手の警戒が緩むまで間を開ける。だというのに、昼間と同じ蛇のようだった。

 再び枝に絡まってきた蛇の、体の中頃が膨らんでいるのに母鳥は気づいた。

 飲み込んだ獲物のその匂いを辿って、卵付きの獲物のことが思い出されたのかもしれない。何にせよ、彼女のやることは変わらない。

 けたたましく鳴き声をあげて、しかし母鳥は飛び立たない。巣に埋め込まれたかのように。卵に据え付けられたかのように。

 今度こそ、蛇を邪魔するものはない。

 あやまたず、その牙は卵を抱える柔らかい肉に届いた。有り余る衝撃に小さな巣はそのままひっくり返され、太い胴体に巻き込まれる。小枝が折れ、土塊が飛び散り、青い羽がその中に混ざって落ちていった。

 ピクピクと震える翼が、飲み込まれる時にぽきんと折れる。ゆっくり、ゆっくりと青い羽は怪物の喉に消えていった。


 体に巻き込まれた巣の中の卵を探る蛇の鼻を、乾いた殻が引っ掻いた。

 砕けて乾いた殻が、目の前で奇しくも蛇の口のように待ち構えていた。内側には白い塊がへばりついている。まるで吸い出された中身の残りがこびりついたような有様だ。

 もちろん蛇は、一口も味わってはいない。とうの昔に乾いて冷えた外れを引いたらしい。

 三つのうちの二つはそんな有様だった。残った小ぶりの一つだけが、丸く白い殻を残していた。それに期待して、蛇は舌を伸ばし、口を開いた。


 卵が産まれた。

 今度は灰色を帯びていた。けれど今度は周りの卵が白い上に、細長い楕円形だった。

 だが心配はない。母の温もりは十分に貰い受けてすぐそこに横たわっている。おまけに兄弟卵たちが5個もいる。

 やがては産み落とされたままの卵を狙うものがやってくるだろう。

 何の心配も、ない。

 

 

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