君の名を

床も壁も天井も白い、見知らぬどこか。閉じ込められたと感じた。

母親の言葉を思い出し、自分の無力さに打ちのめされ。苦しみの最中にいるユカの前に現れた男の子。

不思議なその子は様々な映像を見せてくれた。これまで知りたくても分からずにいた何をも教えてくれた。理解できたこともあれば納得できないこともあった。

けれど、この子が嘘を吐いていないことはすんなり分かった。


「君、誰なの?」


問いかけの一切に答えてくれないその子に、突如襲い掛かる黒い影。

屈強な男は滾らせる憎悪を容赦なくぶつけた。

「殺してやる!!」

男があの子をひょいと片手で掴み上げる。

「キャー!!」

悲鳴をあげる。庇おうにも体が動かなかった。男の狂気に怖気づいて。


宙を舞い床に叩きつけらたのは男の方だった。子供とは思えない迎撃は男をいなすのに十分すぎるほどだった。

痛みにあえぎ悶絶する男を無様だと思った。男が文字通り「潰される」まであっという間だった。

死にゆく自身を嘆き、子供に恨み言を吐く男の姿はあまりに情けなく、ユカは思わず目を反らした。


「何、この人」


ユカがやっと口を開く。


「気にすることはないよ」


事もなげといった風に、ユカは言葉を失った。

男の亡骸は灰となり、どこかへ消え去った。



「そろそろ行かなきゃ」


その子が言う。慌てて立ち上がる。


「私もついて行っていい?」


ユカは懇願した。こんなところにひとりで置いていかれるのは抵抗がある。しかしその子は


「何言ってるの。君のために行くのさ」


ユカを待つことなく歩いていく。ユカは小走りについていく。


「どこに行くの?」


「着けば分るよ」


会話らしい会話を初めて交わしたような気がして嬉しくなる。


「ね、名前教えて」


ふと立ち止まり、男の子はほんの少しユカに顔を向ける。


「どうしてさ?」


「どうしてって・・・。あ、名前を知らないと話しかけるときに困るじゃない?」


「僕は別に困らないけど」


そう言って再び歩きだす。


「僕の名前はね」


少し間を開けてその子は口を開いた。


「君の好きに付けていいよ。それが僕の名だ」


ユカの心にじわじわと喜びが満ちる。この子の名前を好きに付けていいなんて、とっても素敵なことじゃない。


「そうだな。君は天使っぽいからオリフィエルにする」


オリフィエル?その子は聞き返して


「ちょっと長くない?」


「ううん、それでいいの。七大天使のひとり。アダムとイブを楽園から追い出した天使の名前」


「へぇ」


オリフィエルは感心したように言い


「そんなのが好みなの?」


名の響きが好きなだけとは言えず


「そう。好みなの」


答えるユカにオリフィエルは


「君は嘘が下手だねぇ」


呆れたように笑い、ユカを従える。

あのビルの屋上で暫し休憩となったのは、これから暫くしてのこと。

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