母という人

 あの日、堪らなくなってユカは自宅アパート2階の窓から身を乗り出した。15センチほどの庇を伝い歩く。

母親が吐いた言葉はユカを錯乱させるに十分だった。一時狂騒状態に陥って、気付いたら庇の上にいた。ふと足元を見て、靴下の柄が気に入らないことを思い出す。服も小物も何もかも好きに買ってくる。

「好みじゃない」

なんて言えば生意気だと詰られる。好きな服を着て街を闊歩することは遂になかった。何でも自分の「良い」を押し付ける、母親が寄越すあれもこれも嫌いなんだ。


アルミ製の庇は、ユカがアパートに隣接した一軒家の屋根に飛び移ろうとした瞬間抜け落ち、その拍子に割れたアルミの鋭角で左太腿を大きく裂いて落下した。運悪く飛び移ろうとした家の、低いブロック塀を跨ぐように落下し体を強打、そのはずみで股関節を砕き意識を失った。


「苦しまなかったのはよかったよね」


その子は言った。

ユカはブロック塀に跨った状態で前のめりに倒れ、ピクリとも動かない。部屋にいた母は庇が崩れた喧囂を耳にしているはずなのに、窓からこちらを覗う気配もない。10分ほども経って漸く

「どこ行ったー!」

と声を張り上げた。娘が絶命したとも知らず。

あの高さから落ちたって死ぬとは思わなかったと事情を聞く警察官に対し終始自己弁護に徹する姿は、ただただ醜かった。

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