宇宙から来た病原体

半ノ木ゆか

*宇宙から来た病原体*

 青い惑星の、広い海のただ中。鬱蒼うつそうとした緑の隙間を、白い影がすばしっこく駈け抜けた。人間の子供くらいの大きさで、キリンのようにひょろりとしている。ただし、脚は三本しか生えていなかった。まるでカメラののようだ。

 謎の生き物は茂みから飛び出すと、赤茶けた割目に逃げ込んでしまった。それを追って、二人の男がやってきた。

「まだ追いかけるつもりか」

 息を弾ませながら、植物学者が尋ねる。動物学者は麻酔銃を握り、意を決したように答えた。

「今日が調査最終日です。一種でも多くの生物を発見して、この島の生態系を理解したいんですよ」

 割目の周りには、コウモリに似た灰色の生き物が飛び交っていた。慎重に降りてゆきながら、動物学者が言った。

「あのサンキャクは、普段はこの地割れの中に棲んでいるのでしょう。白い皮膚は、地球の洞穴生物にもみられる特徴です」

 植物学者はいつの間にか足を止めて、むつかしい顔をしている。動物学者は不思議に思って声をかけた。

「どうかされましたか」

 彼はハッとして、かぶりを振った。

「いや、少し考え事を」

 中は意外にも温かかった。寒天質の大きな岩のようなものが、ごろごろと積み重なっている。その隙間を埋めるように、桃色の液体が底に溜まっていた。

 十匹ほどのサンキャクが、サギのように浅瀬を歩いている。動物学者は息を潜め、物陰から麻酔銃を構えた。

 銃声が響いた。サンキャクたちが逃げ惑う。命中した一匹は動きが鈍くなり、やがて液体の中に伏せてしまった。

 静かに近付き、ひざまづく。体の造りを初めて間近に見て、二人はぎょっとした。

 サンキャクには、目も耳も鼻もなかったのだ。まるでのっぺらぼうだ。消化器官もひどく退化していて、物を感じるための舌と、歩くための脚だけが発達している。動物学者は戸惑った。

「生物の個体にしては、あまりにも単純すぎます。こんな体では、ひとりで生きられるはずがありません」

「やっぱり、この島はおかしいぞ」

 植物学者が呟く。動物学者は、おそるおそる顔を上げた。

「私も、森を形作っている生物を調べて、同じことを思ったんだ。どんなに調べても、花のような生殖器官が見当らない。葉のように見える部分も、光合成ができる造りにはなっていなかった。もしかすると、この島は――」

 その時、二人の背後で物音がした。振り返って、彼らは震え上がった。

 暗がりに、白い影がうずくまっていた。サンキャクに似ていたが、遥かに大きい。脚のあいだに生えたワニのような口で、コウモリに似た生き物をむさぼっている。

 それは二人に気付くと、彼らに襲いかかった。白い触手をにゅるりと伸ばし、動物学者の頭に絡みつく。彼の髪の毛が、二、三本抜けた。抜けた髪の毛を食べている隙に、二人は大慌てで宇宙船に乗り込み、惑星から飛び立ってしまった。

 席に戻っても、まだ心臓がばくばくしていた。息を整え、窓を覗く。雲の上から見下ろして、二人は「わっ!」と悲鳴をあげた。

 白波の押し寄せる平たい背中には、緑色の毛がびっしりと生えていた。黒い鞭のような尾をくねらせ、青海原をゆったりと泳いでいる。彼らがいたのは島ではなく、途方もなく巨大な生き物だったのだ。

 胴体は菱形で、どことなくエイに似ていた。よく見ると、水面下で黄色い目玉がぎょろぎょろと動いている。幅広の口で、浮游性の藻を海水ごと飲み込んでいるらしかった。背中では火口のような鼻の穴が二つ、ゆっくりと窄まったり、拡がったりしている。赤茶けた傷口にたかる灰色の生き物たちは、人間でいうところの細菌やウイルスだろう。

 動物学者は、恐怖と興奮の入り交じった表情で言った。

「アノマロカリスという古生物を知っていますか。化石がばらばらに見つかったせいで、触手はエビ、口はクラゲ、体はナマコと、三種類の別の生き物に間違われてしまったんです。まさか、似たような勘違いをしていただなんて……もう一度あの体に入って、研究し直さないといけませんね」

 植物学者が叱った。

「何、のんきなことを言ってるんだ。君の髪の毛を抗原にして、あの生物は、ヒトに対して免疫をつけてしまった。我々は彼らにしてみれば、宇宙から来た病原体なんだよ。今度あの体に潜り込んだら、ヒト用の抗体液を噴きかけられて、に喰われるぞ」

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