猫娘と猫

真夜ルル

第1話

 淑やかに降り注ぐ柔い雨粒がフードの上にぽつりぽつりと滴るのを感じる。

 本当ならもうあとニ曲は披露出来たはずなんだけど、あの空模様なら仕方がなかった。もう少しやってあげたかったな。

 互いに空を恨んでいた事がわかるあの機材に囲まれた空間の事を思い出していた。手拍子をしてくれるお客さんとギターを鳴らす私。ようやく出来たこの関係をもっとやっていたい。

 一日のうちたったの数分でしかないその瞬間に持てる全ての気持ちを込めて歌うわけで、その瞬間ははやぶさみたいにあっという間に過ぎ去ってしまう。

 そのただでさえ少ない時間を雨は奪っていっちゃう。ほんと無慈悲だよね。

 私はギターを担ぎフードを頭に被せながら淡々と足を進める。信号機をキラキラ光らせる雨粒に加え、街灯の明かりやコンビニの光も雨粒に装飾されてキラキラしている。

 神秘的とも言えるこの空間は嫌いじゃない。

 まるでいつもとは違う何かが起きてしまいそうでほんの少しだけ、ほんとちょっとだけワクワクしたりする、なんて思っているのは変なのかな。

 私は路地裏を右に曲がる。そしてすぐに暗がりの先に私の住むアパートが見えて来た。少しおんぼろだけど暖かさを感じられる。素敵な場所。

 冷え切った足で階段を登り、自室の前まで辿り着く。ポケットの中にしまった鍵は既に冷え冷えで触ると熱が伝うのを感じた。

 鍵を回してドアを開ける。こじんまりとした雰囲気の先にはいつもと同じ姿の音楽機材がいくつも置いてあった。

 そして、その横で呑気に寝転がる二匹の猫がいた。一匹は毛布の上で犬のように包まり随分と澄ました顔で眠っている。もう一匹はお腹を上にまるで子供のように愉快に寝そべっている。

「……ただいま」

 聞こえないようにそっと呟き、そばに近寄る。

 寝息だけが聞こえるこの部屋。ほんとはベット飼っちゃいけないんだけど。仕方ないよね。

 あの時もこういう風に雨が降っていた。ダンボールに包まるこいつらを放って置けなかっただけ。今思えば計画性なしだったなぁ。

 今でこそある程度音楽で生計が立てられるようになったけど、あの時はまだ声とギターでお金を稼ぐなんて夢の先って感じだったし。

 私は眠る二匹の猫達を見守る。

「ふふっ」

 冷蔵庫からケチャップを一つ取り出し口元に少しだけ付ける。ほんわりとその匂いが鼻に伝わり、お腹も空いたなぁなんて思ったりした。

 私はオホン、と小さく喉を鳴らしニヤリと笑う。

「うっ……がっ!」

 思い切り眉を顰め胸を抑える。ガクガクと足を震わせ、今にも倒れそうな素振りを見せる。ふらふら動き、わざと机に足をぶつけたり、頭を壁に当てたりもした。そして、布団の上にどさりと倒れ込む。もちろんケチャップが付かないように配慮して。

 シーンと静まる私たちの部屋。ゴソゴソと動き出す小さな音。ほっそりと目を開けてみると怪訝そうにこちらを覗く二匹の猫の顔があった。

 ニヤニヤしてしまいそうな頬をなんとか抑える。

「おい、……こいつ、まだ飯食ってないぞ?」

「……あぁ」

「なのに倒れたぞ、変じゃね?」

「あぁ」

「この感じ、死んでね?」

「あぁ」

 そんな風に聞こえた猫の声。普通はニャーとしか聞こえないこいつらの声も私のこの耳があれば言葉として聞こえるんだな。くふふ。

 ピクリと私は頭の上に生えた三角の耳を小刻みに揺らしてみた。まぁ気づかれなかったんだけど。

「なぁやばくね?」

「あぁ」

 ゴソゴソ音は少し大きくなり、こちらに近づいて来ているのが分かる。あーあ。来ちゃうなぁ。

 こそこそとするように私の顔もとに足を進めている。それも慎重に。ずっとこっちを目で見てくる。なんか、おもしろー。

 そして、その猫はとうとう私の目の前に来た。

「うわぁ、こいつ血! こいつ血出してるよ!」

 はふふ。まじ? 本気でそう思ってんの?

 笑顔になりそうなところ必死に耐えて耐えて笑いを噛み締める。

「血、かぁ、いやでもなんか……。舐めてみよう」

 そう言って猫は私の頬に塗られたケチャップに舌を伸ばして来た。少しだけ先端の出ていて少しずつ近づいてくる。五センチ、三センチ、そしてーー。

「ばぁっ!」

「ニャウぁ!」

 私は目を開き、猫の手のように手を広げて捕まえようとした。鈍臭い私の猫は勝手に転んでしまい、あっさりと両手に包まれた。

 体制を整えてから離してあげると一瞬で私から離れていっちゃった。

 そして、唖然とした表情でこちらを見つめるのだった。

「あいつ、猫の言葉でも分かんのか?」

「あぁ?」

 そんな会話を後ろに私はサッと立ち上がり、部屋の明かりをつけた。そしていつもの鏡の前に立って頬についたケチャップをティッシュで拭き取った。

 鏡に映る私の顔は笑顔でも、後ろの猫の顔はまだ唖然としていた。そんな顔を見ていたらまた笑いが込み上げて来た。

「ごめんね。あはは、はぁ面白いかった」

 私はフードを取る。ふにゃと頭の上に生えた猫のような耳が見えた。ピクリと動かしてみたりした。

 そして顔はそのまま、背中だけを鏡に見せてスカートの下にブラリと尻尾を下ろす。ふらりふらりと揺らしてみたりした。

 私は猫娘だからね。君たちの言葉分かるんだぁ。君たちはそのこと分からないだろうけどね。くふふ。

 明日は休みだし、久しぶりにこいつらに沢山イタズラしてやーろお。楽しみだなぁ楽しみだなぁ。

 私はそんな事を考えながら鏡に映る猫に向けて満面の笑みを浮かべたのだった。猫は少しだけ身震いした気がした。

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