第49話 崩壊
「はぁッ……はぁッ……くそっ、くそぉッ! 何なんだよくそぉおおおおッ!!」
片腕を失い、バランスが取りにくくなった身体で、拝村は地下街を走っていた。
「旦那だっ! 旦那ならあんなクソ女、滅多刺しのグチャグチャにしてくれる。動けなくなったクソ女の手足を引きちぎって、それから、それから……えーと、とにかくいっぱい刺してやる――――!?」
ガガガガガッ――奇妙な音に拝村が振り返ると、少女が大剣を引きずりながらこちらに向かってきていた。
「ひぃっ!?」
ジェイソンに襲われる被害者のように、拝村は青白い顔で何度も壁に体をぶつけながら、声にならない声で何かを叫んでいた。その顔は涙と鼻水で汚れていた。
「あ!」
開けた場所に近づくと、拝村ははるか前方に人影を見つけた。
「旦那っ、旦那っ、だんなぁあああああ」
助かった。これであの女をぶち殺せると、恐怖しながらも歓喜に笑みを浮かべる拝村は、手を振りながら人影に向かって駆けていく。
「え?」
拝村は、まるで悪夢を見ているかのように、ゆっくりと足を止めた。
「うそ………だ」
拝村の顔には絶望が広がった。
視線の先には、血まみれの女と不気味な黒い塊があった。そして、瀕死の男女数名が壁に寄りかかって座り込んでいるのが見えた。さらに、漆黒のボディスーツを着た奇妙な男の姿もあった。その男の手には、首を絞められたメフィストフェレスが血まみれで浮かんでいた。
その光景を目にした瞬間、世界が完全に変わったような感覚がした。自分が正しいと思っていたことや信じていたことがすべて覆されたかのような気がしていた。
――ガタンッ。
「あ゛ぁ゛ぁ゛……ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛」
その場で崩れ落ちた拝村は、地下街に響くほどの激しい叫び声を上げた。
「!?」
「――――」
アンデッドマンが大声に驚いた隙を見逃さなかったメフィストフェレスは、巧みに手の中から逃げ出し、笑みを浮かべながら拝村へと駆け出した。
「……だんな?」
メフィストフェレスの口が裂け、鮫のような大きな口を向けて拝村に迫っていた。
そして、がぶりっ!
メフィストフェレスが拝村の上半身を食いちぎり、これまで以上の邪気が放たれた。
「クックックッ、ガハハハハハ――――!」
メフィストフェレスの頭の中で、無機質なアナウンスが鳴り響いた。
【共喰いに成功しました。条件を満たしたことで進化先が解放されました。ステータス画面から進化先を選択してください】
レベル上限に到達することで進化先が開放されるアンデッド種とは異なり、悪魔は集めた魂の質によって進化先が開放される。
ステータス画面を開いたメフィストフェレスは、ためらうことなく【
肉体的な変化は見られなかったが、メフィストフェレスが放つ邪気は、これまでとは比べものにならないほど強力になっていた。
「あれは……まずい」
エルミアはすぐにとどめを刺すように叫んだが、アンデッドマンは何が起こったのか理解が追いつかず、ただ呆然と哄笑する男を見つめていた。
――タッ!
「――――ッ!」
真っ先に動いたのは、Sランク探索者の戦場堂我渚だった。
彼女は天性とも言える野生の勘で、目の前の悪魔を危険と認識し、数十メートルの距離を一瞬で移動すると、横一文字に大剣を振り抜いた。
ギィンッと固いものがぶつかり合ったような鈍い音が響き渡る。
彼女が振り抜いた剣は、メフィストフェレスの尻尾によって受け止められていた。
「余の剣を受け止めたじゃと!?」
さらに、信じられないことに尻尾によって押し返されてしまった戦場堂我は、次の瞬間にはあっけなく背中から壁に激突していた。
「身の程をわきまえろ」
「ゔべぇッ!?」
力負けしたことに呆然としていた戦場堂我の腹に、槍の如く尻尾が叩き込まれた。
高い耐久力を誇るはずの彼女のHPが、その一撃で100以上減ってしまった。
尻尾による一撃によって、壁には巨大なクレーターが出来上がっていた。
「き、貴様……一体……」
「虫けら風情が、気安く俺様に話しかけてんじゃねぇよ」
しなる尻尾が、戦場堂我を遠くに吹き飛ばしてしまった。
「アンデッドマン避けろッ!」
「へ……? ――――ぶぅッ!?」
エルミアの声が響いたときには、すでにアンデッドマンの顔面にはメフィストフェレスの蹴りが叩き込まれていた。
何度も地面に体を叩きつけながら転がるアンデッドマンは、ついに石柱に激突して動きを止めた。
「いっ……たぁあああああああッ!!」
もんどり打って立ち上がったアンデッドマンは、すぐに次の攻撃に備えて剣を構えた。
――いきなり速くなった!? それに、さっきのあの少女は……?
『大したことじゃないんだけど……【
アンデッドマンは羽川の言葉を思い出し、一瞬身体を震わせた。
――MPの問題もあるし、早いところ終わらせないと面倒事が増えそうだな。
「さっきは随分好き勝手やってくれたよなぁ? 屍の分際でなめんじゃねぇぞッ!」
「――――っ!?」
今度は剣でのガードが間に合ったが、相手の強さが格段に跳ね上がっていた。
――さっきまでは手を抜いていたのか!?
彼らの剣が激しくぶつかり合い、火花が散り、その音は地下街に響いた。度重なる戦闘で停電していた地下街の暗闇が、彼らの動きを一層際立たせた。
「うッ」
アンデッドマンの皮膚が裂け、メフィストフェレスの頬に赤い線が浮かび上がった。
二人の力は、誰の目から見ても互角だった。
「うがぁぁああああああああああああッ」
突如、涙目の少女が大剣を振り回しながら駆け込んできた。
「ちょッ!?」
「またてめぇかッ!」
「許しゃん。じぇったいにお前だけは許しゃんっ!」
怒りに燃える少女が、メフィストフェレスをにらみつけていた。
一方、地上で待機していた探索者たちは、異変に気づき始めていた。
「おい、なんか俺のMP減ってんだけど……?」
「使ったんじゃねぇの?」
「いや、今日はまだダンジョンに潜ってないんだけど……」
「あれ、俺のMPも減ってるわ。つーかすっからかんになってんだけど!?」
メフィストフェレスは、より多くのMPを得るために結界領域を広げ、魔吸による吸収範囲を広げていた。
その結果、
「おいアンデッドマン! 一旦そこから離れろ!」
メフィストフェレスが放った魔吸がどんどん膨れ上がり、天井や壁を削り始めた。このままでは時間の問題で地下街は崩壊するだろう。
「お、おい!」
涙を浮かべて怒りに燃える少女は、地下街の崩壊に気づいていないのか、吹き飛ばされても再びメフィストフェレスに向かって突進していく。
「うわあああああああああああああああああああああああああ――――ッッ!!」
その様子はまるで小学生の喧嘩のようだった。勝てない相手と知りながらも、少女はあきらめずに何度も突進する。そのたびに吹き飛ばされ、地面を転がる少女の姿が繰り返された。
「アンデッドマン早くしろ! 生き埋めになりたいのか!」
「そんなこと言ったって……」
エルミアは動けない響たちに肩を貸し、地下から脱出しようと出口に向かっている。一方、少女は頭に血が上り、この状況を理解していないようだった。
「先に行ってくれ! 彼女を置いて行けない!」
アンデッドマンは、メフィストフェレスに突進し続ける少女の前に立ちはだかった。
「どけぇええええええええッ!!」
「うぎぇッ!?」
叩き落されたススメバチの巣のようにカッとなって怒る少女は、立ちふさがったアンデッドマンに向かって大剣を振り抜いていた。
――重っ!?
小柄な少女が振るった一撃は、予想以上の強さで、骨の髄までジンジンと痺れさせた。
「お、落ち着け剣聖! 今は暴れている場合じゃない! 周りをよく見てみろ!」
アンデッドマンは少女と鍔迫り合いをしながら、冷静になるよう呼びかけている。
地下鉄はすでに空襲を受けたようなひどい状態で、エルミアたちが向かった西口もすでに落石で道が塞がれていた。
「このままだと死ぬぞ!」
「ア、アンデッドマン!?」
ようやく我に返った少女は、ずっと探していた人物が目の前にいることに驚き、慌てて後ろに飛び退いた。そして周囲を見回している。
「なんかこりゃ!?」
少女が状況を正しく理解したことに安心したアンデッドマンは、かろうじて通れそうな東口から外に出る提案をしたが、そこには行く手を阻むようにメフィストフェレスが立ちはだかっていた。
メフィストフェレスとアンデッドマンを交互に見た少女は、何かを思いついたように咳払いをしてから、不敵な笑みを浮かべた。
「クックックッ――この感じ、幾千年ぶりじゃの、アンデッドマン」
「……」
「久しぶりじゃの! アンデッドマンッ!」
アンデッドマンがすごく嫌そうな様子でなんか始まってしまったなと思っていると、少女は不満そうに眉を寄せた。
「……え、ああ……はい」
アンデッドマンが仕方なく返事をすると、少女は満足したのか、大剣をメフィストフェレスに向けて突きつけた。
「アマテラスの時代に我らが封印したはずのあやつが、またこうして現れたのも――」
「あの、早くしないと本当に命に関わるんだけど……」
「わ、わかっとーと! ばってん……少しくらい付き合うてくれたっちゃよかやろ」
「はぁ……」
少女はわかりやすく拗ね、アンデッドマンはめんどくさそうに肩をすくめた。
「か、嘗てのように……その、ふ、二人で倒そう、か?」
「おおっ!」
片言の台詞だったが、少女は瞳をキラキラさせていた。
「束になってかかってこようが、てめぇらはここで終わりだぁ」
少女はメフィストフェレスの嘲りを鼻で笑い飛ばした。
「数億万年ぶりに我とアンデッドマンが手を組んだのじゃ。貴様などに負けるわけあるまい」
「さっきは幾千年ぶりって……」
「相変わらず貴様は細かいやつじゃな」
初対面なんですけどと思ったが、この状況で拗ねられても困るので、話を合わせることにした。
「生き埋めになる前に始末してしまうのじゃ! 援護せい!」
「なっ、勝手なッ!」
エルミアも剣聖も、人のことを何だと思っているんだと思いながらも、アンデッドマンは残りわずかなMPを使って少女を援護していた。
「くっ……」
「貴様だけは我の手で葬ってくれるわァッ!」
鞭状の剣が邪魔をしているため、メフィストフェレスは少女に決定的な一撃を当てることができないでいた。
「ぐぅぁわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ――――ッ!!」
メフィストフェレスのフラストレーションが爆発し、全身から強力な魔力の波動が放たれた。
転瞬、
「剣聖!」
「!?」
地下鉄の天井が崩れ落ち、二人は瓦礫の下敷きになってしまった。
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