第37話 悪魔の所業
星空の下、マンションのバルコニーに立つ菫色の髪の少年。彼の視線は街の夜景に釘付けだった。
高層ビルや街灯の明かりが街を照らし、車のライトが流れる光跡が幻想的な光景を作り出している。
しかし、その美しい光景の裏には何か不穏な空気が漂っていた。
「ひぃっ!?」
室内では、血だらけの男性が倒れ、その隣にはもう一人、金と黒が交差するように織りなされた髪の少年が、包丁を手に立っている。彼の目は焦点を失ってしまったように宙を彷徨っていた。
その目が部屋の片隅で震える母娘に向けられると、今にも叫びだしてしまいそうな恐怖が二人を襲う。
「旦那、あんたは最高だよぉ! どんなにキマってたって、こんなに高揚感で満たされることなんて一度もなかった! 旦那は自分にとっての神っす!」
少年は舞台役者のように両手を広げ、身を翻した。焦点の合わない目は、菫色の髪の少年を神として崇めている。
「ちゅーさせてくれ旦那! 自分は旦那に愛情表現がしたいんだ!」
「鬱陶しい」
「い゛ぃっ……」
蛸のように唇を突き出した少年が窓ガラスに激突するのにも目もくれず、メフィストフェレスはテーブルに置かれたテレビのリモコンを手に取った。
『本日のダンジョン進捗ニュースのお時間です。ダンジョン協会の発表によると、今最も注目を集める【墳墓の迷宮】に、あの剣聖率いるチーム、
静まり返った部屋で、メフィストフェレスは興味深そうにテレビを凝視していた。
「おい、てめぇはセルティアの森を知っているか?」
「……?」
「バルタイル王国は? ……さっさと答えろッ!」
怒りとイラ立ちに満ちた声が響いた。
「何かのゲームの話しっすかねぇ? 自分、昔からゲームとか買ってもらえなかったんで、その手の話題に疎いんっすよね」
「……そうか」
呟くように言い残し、メフィストフェレスは部屋を去った。
「――あっ、ちょっと旦那ッ!」
少年は包丁を投げ捨て、母娘には一切目を向けず、メフィストフェレスを追いかけて部屋から飛び出した。
「待ってくれよ、旦那! 自分は旦那に会えてすっごく幸せなんだ。だから、愛情表現としてちゅーさせてくれないかい?」
「死にたくなければ黙れ」
「ああーもう最高だよっ! 自分は旦那のそういうクールなところが大好きなんだ!」
ドンッ!
「いてぇ……」
夜の街を散策するメフィストフェレスが、突然足を止めた。
彼の視線が向けられた先には、【KADOKAWA】が発行する人気ライトノベルの広告看板が立っていた。
その看板には、【正しい異世界への行き方〜異世界でのんびりライフ】という文字が躍っていた。
「旦那もラノベ好きなんっすか? 自分も無双系なら好きっすよ。自分のオススメは【異世界行って最強のチート持ちになった俺は、手始めにクラスの糞どもを殺してみた!】とかっすかね。スカッとして最高なんだよなー」
「書物か……。で、どこで見られる?」
「そこの本屋にもあると思うっすよ? あっ、でももう夜中なんで、さすがに閉まっちゃってるっすね」
「問題ない」
そう言いながら、メフィストフェレスは少年が指し示した本屋へと向かい、
「邪魔だぁ」
シャッターに巨大なシャドーボールを放つ。轟音と共に、シャッターは押し潰され、断片が辺りに散らばった。
「うひょぉおっ! こりゃすげぇやぁ! やっぱり旦那は最高にクールだぜ」
けたたましい警報器の音が鳴り響く中、メフィストフェレスは店内に足を踏み入れた。
「例の書物はどこだぁ?」
「ライトノベルコーナーはこっちっすよ! おっ、旦那ツイてるぅ! どうやら昨日が発売日だったみたいっすよ」
メフィストフェレスは平積みにされていたライトノベルを手に取り、包装ビニールを剥がしてから、パラパラと中身を確認した。
――日本文字、だったかぁ? ……まだ少し読みづらいな。
「読むのがめんどうだったら聴くこともできるっすよ? 最近の電子書籍は読み上げ機能も充実してるんだよなー。自分も、読むのだるいときなんかは、よく聴いてるっすよ」
少年は素早くスマホを操作し、ボディーバッグからワイヤレスイヤホンを取り出した。
「なんだ、これはぁ?」
「ワイヤレスイヤホンっすよ(パクリ物っすけど)。こうやって耳に装着するんすよ」
少年は自分に片方のイヤホンを装着し、もう片方のイヤホンをメフィストフェレスに差し出した。
「!?」
僅かに驚いた表情で眉を持ち上げたメフィストフェレスは、イヤホンから聴こえてくる音声と、自身が手にしている書物の内容が一致しているかを確かめてから、書物を床に放り投げた。
「てめぇの名前は?」
「
メフィストフェレスは改めて、拝村の全身を注視した。
――こいつは完全に
「あっ、まずいっすよ旦那! 旦那のズドーンが凄すぎたせいで、マッポが来ちまった」
街中に響き渡るサイレンの音が耳を震わせる。拝村は店から顔を出し、外の様子を確かめると、真っ赤な回転灯の光がこちらに向かって迫っているのが見えた。
「マッポ……? なんだそれは?」
「警察っすよ。……わかんないっすか? この世界で一番悪い連中っすよ。旦那や自分のような
――バルタイル王国にいた憲兵団のようなものか……。
「くだらねぇ」
メフィストフェレスが吐き捨て、店を出ると、
「あっ、旦那!?」
驚きの声が上がった。
その時、
「こらぁっ、何やってんだお前らァッ!」
警察官が雷のような声で怒鳴りつけながら、激しい剣幕で駆け寄ってきた。
「え……?」
彼が手を伸ばすと、警察官の腕が、手首のあたりから――ぼとっ! 地面に落ちた。
「いぎゃぁああああああああぁぁあ」
「おおっ!」
苦悶の表情で顔を歪め、悲鳴を上げる警察官を、恍惚とした表情で見つめる拝村。
「――失せろッ」
メフィストフェレスが警察官の頭を吹き飛ばすと、
「くぅ〜〜〜〜〜っ! やっぱり旦那は最高だぜぇ!」
戦隊ショーで悪者を倒すシーンを見て興奮する子供のように、拝村は興奮を爆発させていた。
「躊躇することなくマッポの腕を切り落としちまうなんて、マジはんぱねぇよっ! 旦那、ちゅーさせてくれぇー」
バシッ!
拝村の顔面を掴んだメフィストフェレスに、もう一人の警察官が拳銃を発砲した。
「……?」
「なっ、馬鹿なッ!? 何なんだ
しかし、メフィストフェレスに銃弾は通用せず、悪魔の目で睨まれた警察官は、恐怖で腰が抜けてしまった。
「ヒッヒヒ、旦那。こいつは自分に殺らせてほしいっす」
「……」
拝村は、メフィストフェレスが殺した警察官から拳銃を奪い取り、法悦の笑みを浮かべながら、もう一人の警察官に銃口を向けた。
「や、やめッ――――」
バンッ! バンッバンッ!
拝村は警察官の頭部に一発、さらに胴体にニ発、銃弾を撃ち込んだ。
血しぶきが空に舞い、その身体は無力に地面に崩れ落ちた。頭部と胴体に受けた銃弾の傷口からは鮮血が流れ出し、闇の中で静寂が広がった。
「ヒッヒッヒッ、ギャハハハハハハハッ!」
静寂を貫くように、拝村の笑い声が夜空に響き渡った。
「あー笑ったぁ! 今夜はマジで最高だ! 自分、こんなに愉快でハッピーなことは生まれて初めてっす! 占いに書いてあったんっすよ、自分は近々運命の出会いを果たすって。生まれ変われるって! 旦那、自分にとって旦那は運命のサタンなんっすよ!」
興奮して大はしゃぎしていた矢先、突如としてパトカーのサイレンがあちこちから鳴り響き、まるで波のように押し寄せてきた。周囲からは、日本中のパトカーが集結しているかのような、凄まじいサイレンの音が夜空に響き渡った。
「この量はさすがに手間がかかるっすね。どうしますか、旦那?」
拝村が尋ねると、メフィストフェレスは答えることなく、右手を横薙ぎに振った。
すると、何もないはずの空間に裂け目が現れた。
「うひょぉっ!? やっぱり旦那はクレイジーだぜ! まさかワープゲートまで出せるなんて、Sランク探索者にだってこんな芸当はできやしねぇ」
「……」
メフィストフェレスが無言で裂け目に入っていくと、それに続くように、拝村も闇へと足を踏み入れた。
「こりゃすげぇやぁ!」
裂け目に足を踏み入れ、一歩進むと、そこは豪華なホテルの一室だった。
「な、な、何者だ、お前らっ!」
「え、ちょっと、どこから入ってきたのよ!?」
キングサイズのベッドには、白髪混じりで、優に百キロは超えそうな巨漢の男と、若い女が裸で重なり合っていた。
「パパ活っすか? 決定的瞬間ってやつっすね」
けたけたと肩を揺らしながら、拝村はスマホを二人に向けると、パパラッチのようにカシャッカシャッと連続でシャッターを切っていた。
「や、やめんかっ!」
「ちょっ、ちょっと撮らないでよ!」
「今すぐフロントに連絡して、お前らを追い出し――――」
――――ザッ!
巨漢の男が言葉を終える前に、メフィストフェレスの手刀が振り下ろされ、男の顔面を一刀両断した。
「いやぁああああああああああああッ!?」
血しぶきが飛び散り、肉片が床にばら撒かれる様子に、若い女が絶叫し、その悲鳴が血の音と混ざり合った。
「もーっ、最高っ!!」
拝村が腹を抱えて大笑いすると、メフィストフェレスは何もない空間から取り出した短剣を投げつけた。
「受け取れ、てめぇにくれてやる」
「マジっすか!? 旦那が自分なんかのためにっ! 一生大事にします!」
床に転がる剣を手に取った拝村は、涙を浮かべながら鞘に頬を寄せていた。
「この剣って、名前とかあるんっすか?」
満面の笑みで尋ねた。
「贖罪の
「うひょぉっ! そいつは最高じゃねぇっすか! ありがとうございます、旦那!」
メフィストフェレスが隣の部屋に移動すると、その背後から女性の絶叫と、生物を切り裂くような不気味な音が聞こえてきた。
月明かりで照らされたスイートルームの一室で、拝村一翔は玩具を与えられた子供のようにはしゃぎながら、すでに息の絶えた二人に対し、何度も刃を振り続けていた。
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