第36話 衝突
「これからどうするつもり?」
三人での食事が終わり、エルミアがお風呂に入ったことを確認した後、羽川さんがあきれたように尋ねてきた。
「彼女が元の世界に帰れる方法を探そうと思います」
「そんな方法あるの?」
こちらの世界に来れたということは、帰る方法だってきっとあるはずだ。
アメリカの研究者も、イレギュラーダンジョンは異世界と繋がっていると言っていたし、可能性は十分にあると思う。
エルミアによれば、空に次元の裂け目が現れて、それに巻き込まれたらこちらの世界に来ていたそうだ。
もしその話が事実なら、次元の裂け目を見つけ出し、再び飛び込めば、もしかしたら異世界に戻れるのではないだろうか。
試してみる価値はあると思う。
「それはそうと、
「ギルド長には報告したけど、人と大差ない見た目で、人語を話すモンスターでしょ? 信じろという方が無理な話よ」
「では……」
やはり信じてもらえなかったのかと、俺が肩を落とすと、
「アンデッドマンからの報告だと言ったら、まあ一応は信じてもらえたわ」
「本当ですか!」
「ただし、ウチのギルド長が信じてくれても、ダンジョン協会が信じてくれるかは別。上に報告してみるとは言っていたけど、どうなるかはわからないわね」
「そうですか」
こればかりは、俺や羽川さんにはどうすることもできない。
しかしまあ、ギルド長が信じてくれただけでも上出来ではないだろうか。
というか、ギルド長のアンデッドマンに対する信頼度はどうなっているのだろう。
以前は昇級試験を受けることなく、探索者ランクの見直しを提案されたし……。
「異世界の湯浴みは最高だな♪」
「「!?」」
突然、バスタオル姿のエルミアが視界に飛び込んできて、俺は眼球が飛び出るくらいの衝撃を受けた。
「ちょっとエルミア! あなたなんて恰好で出てきているのよ!」
「ん……何がだ?」
「ここには年頃の男の子がいるのよっ!」
羽川さんにバシッと指を差され、俺は恥ずかしさのあまり両手で顔を覆った。きっと、頭からは機関車のような煙が立ち上っていたに違いない。
「スッポンポンというわけではないのだから、別にいいだろ」
「いいわけあるかっ! つーかさっさと着替えてくるッ!」
今日ほど、羽川さんと同居していて良かったと感じたことはない。
「これでいいのか? ……ったく、めんどくさい」
「服を着るのは当然でしょ!」
「宗介といい千尋といい、この世界の人族は本当に口うるさい者ばかりだな」
羽川さんのTシャツと短パンに着替えたエルミアは、そのスタイルの良さも相まって、とても色っぽいというか、青少年にはかなり刺激が強かった。
「あ、そうだ、千尋。貴様から付けるように言われたコレだが、私には少し小さいようだ」
エルミアは黄色いレースが付いた大きなブラジャーを、ポイと食卓に放り投げた。
「ぶぅううううううううッ!?」
予期せぬ突然の出来事に、俺は飲んでいた紅茶を吹き出してしまった。
「あ、あんたねぇッ!」
羽川さんは素早くブラジャーを拾い上げ、顔を赤らめながら激怒していた。
「ちょっと来なさい!」
「な、何をするのだ!? あっ、耳を引っ張るでないわ!」
「うるさいっ!」
その後、通販サイトでエルミアの下着を買うことになり、二人は別の部屋でバストのサイズを計測していた。
「Hカップ!? あんた何食べたらこんな凶悪な胸になるのよ!?」
「わっはっはっは、私は村でも一二を争うほど胸が大きかったのだ! 女の魅力は胸とお尻の大きさで決まると、婆婆がよく言っていたからな!」
「エルフって言えばペチャパイでしょ! なんで大きいのよ!」
「くだらん偏見をエルフに持つなッ! しかし、千尋も中々の巨乳だな」
「一応こう見えてもGカップはあるのよ。日本人だとかなり大きい方なんだからっ!」
二人は声が大きくて、会話の内容がリビングまで丸聞こえだった。二人が部屋から戻ってきたときには、俺は茹でたタコのように机に突っ伏していた。
「そうだ、これ……エルミアに返さなきゃ」
俺はエルミアが気を失っている間に中身を確認してしまった手紙を返すことにした。
「勝手に開封しちゃってごめん……。エルミアの事が少しでも分かるかなと思ったんだけど……本当に申し訳ない! でも、俺には何が書かれてあるのかさっぱり分からなかったから、内容は……」
「気にするな。あの状況ならば仕方のないことだ」
怒られるだろうと覚悟していたが、意外にもエルミアは寛容だった。
「変わった文字ね。なんて書いてあるの?」
羽川さんが手紙を覗き込んで尋ねると、エルミアの表情が一段と暗くなった。
「セルティアの森で瘴気が広がり始めたことを、人族の王に報告するためのものだ」
彼女は、この手紙を届ける任務を与えられていたようだ。
「エルミアの住む森が襲われたってこと?」
「詳しいことは私にもわからない。ただ、突然森に瘴気が発生し、あの男が現れたのだっ!」
あの男とは、恐らくメフィストフェレスのことだろう。
「やつは、私の友人をッ……イシリオンをッ」
メフィストフェレスは、彼女の目の前で、幼馴染を殺害したという。
彼女の怒りや憎しみ、そして悲しみは、想像を絶するほどのものだろう。
「戻らなければっ!」
「少し落ち着きなさい」
エルミアが我に返ったように立ち上がると、羽川さんが優しく座らせた。
「気持ちは分かるけど、エルミアの世界に行く方法がわからないのよ。……何か心当たりはない?」
「わからない……」
次元の裂け目に吸い込まれたということしか、彼女にもわからないという。
「宗介、千尋……頼む! 私はセルティアの森に帰りたい! 力を貸してくれないか」
「そりゃもちろん協力するけど……ね?」
「ええ、そうね」
とは言ったものの、肝心の異世界への行き方がわからない。
「もしも世界樹が無事なら、宗介! 貴様にはエルフの秘宝、【女神のなみだ】を分けてやる。それで雪菜を治してやれ」
「え」
「エルフと違い、人族の病であれば、たとえ体中を邪気に蝕まれていたとしても、必ず完治することができるエルフ族の秘薬だ」
俺の聞き間違いだろうか。
いま……エルミアが【女神のなみだ】と口にしたような。
「エ、エルミアッ!」
俺は対面に座るエルミアの肩を掴んでいた。
「あるのか……本当に【女神のなみだ】がセルティアの森にはあるのかっ!」
「宗介は、【女神のなみだ】を知っているのか?」
「ああ」
知っているもなにも、俺が二年間探し続けていたレアアイテム――それこそが【女神のなみだ】なのだ。
「エルミア、宗ちゃんはね、妹の雪菜ちゃんの病気を治すために、二年間ものあいだ【女神のなみだ】を探し続けているのよ」
「そうだったのか……」
この二年間、手がかり一つ見つけられなかった。
強がってはいたけれど、本当はそんな奇跡みたいなアイテムなんて存在しないのではないか……そんな風に考えることさえあった。
だけど今、ようやく【女神のなみだ】に関する情報が得られた。
あるんだ。
雪菜を助けられる唯一の方法――【女神のなみだ】は実在する。
異世界に行くことさえできれば、確実に【女神のなみだ】を手に入れることができる。
この二年間の努力は、決して無駄ではなかったんだ。
「宗介……?」
「宗ちゃん……」
両親が事故で亡くなった日、妹が難病だと告げられた日、悲しみで涙を流した日は、今まで数えきれないほどあった。
しかし、喜びで涙が溢れたのは、これが初めてだった。
「約束する! エルミア、俺は必ずお前を異世界に送り届ける。そして、必ず【女神のなみだ】を手に入れるんだ!」
何ひとつ手がかりがなかった今までとは異なり、ダンジョン。次元の裂け目。メフィストフェレス。異世界に行く手がかりなら幾つもある。
「問題は、どうやって異世界に渡るかよね」
という羽川さんに対して、
「
「正気か!?」
「本気なの?」
エルミアが友人をメフィストフェレスに殺されたことを考えると、これはかなり酷な話かもしれないが、恐らく彼も異世界に帰る手段を探しているはずだ。
うまくいけば、情報交換ができるかもしれない。
「奴は危険なのだぞ!」
「わかってる。だけど、今は少しでも手がかりが必要だ。そのためには、メフィストフェレスに会ってみる必要がある」
「何も知らない可能性だってあるだろ!」
エルミアは両手をテーブルに叩きつけながら、メフィストフェレスを探すべきでないと主張し続けた。
「なら聞くけど、メフィストフェレスはなぜセルティアの森に攻めてきたんだ?」
「そんなの私が知るわけないだろ!」
「だったらなぜ、セルティアの襲撃と、次元の裂け目の出現が無関係だと言い切れるんだよ」
「それは……」
「もしかしたら、次元の裂け目だってメフィストフェレスの仕業かもしれないだろ?」
と、エルミアには言ったが、たぶん次元の裂け目とメフィストフェレスは無関係だ。
もし彼が関与していたとすれば、あの時の彼の混乱の理由が説明できない。
おそらく、異世界に飛ばされたことは、彼にとっても予想外の事故だったんだと思う。
その場合、エルミアには申し訳ないが、彼との共闘も考慮すべきだろう。
また、悪魔の知識を駆使すれば、異世界に行くことも可能かもしれない。
とにかく、メフィストフェレスと会ってみるべきだ。
「もし奴が目の前に現れたら、私は何をするかわからないぞ」
「大丈夫、俺がそんなことはさせないから」
「ずいぶんな自信だな。私はこう見えてもエルフの長の娘だぞ」
「わかってる」
しかし、これは【女神のなみだ】を手に入れられるかもしれない千載一遇のチャンスだ。逃すわけにはいかない。たとえどんな手段を使っても、俺は異世界に行かねばならない。
「――でも、異世界に行くためだ。エルミアには我慢してもらうしかない」
「我慢しろだと!? 私は友を殺されているのだぞッ!」
「……」
「黙っていないで何とか言ったらどうなんだっ!」
「エルミア! ちょっと落ち着いて」
羽川さんは必死に声をかけながら、テーブルに身を乗り出して胸ぐらを掴もうとするエルミアを制止しようとしていた。
「だったら、二度と故郷の土を踏めなくてもいいって言うのか?」
「……っ」
エルミアは、まるでお前が憎き友の仇だとでも言わんばかりに、睨みつけるような目つきで俺を見据えていた。その眼差しは、まるで猛火のように燃え盛っていた。
「構わない! イシリオンを殺したあいつだけは、何があっても許すことはできない!」
「……そうか」
俺の胸元を掴んでいた手が、ゆっくりと離れていく。
「今日はもう、宗介とは話したくない。……寝る」
「ああ」
エルミアは妹の部屋へと姿を消し、俺は気づいたら膝の上で両手を握りしめていた。彼女と話していた間ずっとそうだった。手を開くと、爪の赤い痕が幾つも手のひらについていた。再び握る。強く、痛いほどに。
その俺の様子に、羽川さんは困った顔のまま愛想笑いを浮かべていた。
「宗ちゃん、エルミアの気持ちも少しは考えてあげないと」
「……はい」
しかし、この機会を逃すわけにはいかない。
【女神のなみだ】を手に入れるためなら、俺はきっと悪魔にだって助けを乞うだろう。
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