第35話 価値観
「おお! これはまた大きな建物だな」
ソフトクリームを食べ終えたエルミアは、初めて見る病院の大きさに感嘆の声を上げていた。
「ここは病院だよ。エルミアの世界にはなかったの?」
「私の村にはなかったが、バルタイル王国の王都にはあったと記憶している。最後に見たのは数十年前だったから、あまり覚えてはいないが、私の記憶が正しければ、このように立派な建物ではなかったはずだ」
魔法が一般的な異世界では、医療の進歩が遅れているのかもしれない。
というか、エルミアって何歳なんだ?
やはりエルフということは、相当長生きなのだろうか。気になるな。
「気味が悪いくらいに白一色なのだな」
「壁が真っ白だと、ほこりや汚れが目立つから、定期的に掃除して衛生面に気を配ることができるんだよ。だから病院は白を基調としているんだ」
「なるほど。……おお! 中はまるで城のようなのだな」
お城か……異世界人からみたらそう見えるのか。
「受付してくるから、エルミアはそこに座って待っていて。何度も言うようだけど、くれぐれも動かないように」
「貴様もしつこいやつだな。おとなしく座っておるから、さっさと行ってこい」
イマイチ信用ができないんだよな。
振り返って確認すると、エルミアは静かに椅子に座っていた。
「なんだ、ちゃんと約束守れるんじゃん」
安心して受付で支払いをしていると、
「すげぇええ!? マジで治った!」
待合フロアから騒がしい声が聞こえてくる。
嫌な予感がして振り返ると、左脚にギプスをつけた少年が、松葉杖を投げ捨てて走り回っていた。
「何やってんだよ!?」
支払いを終えた俺は、エルミアのもとに競歩選手のように駆けつけ、その場を逃げるように後にした。
「血相化えてどうしたのだ?」
「おとなしくするって約束はどうしたんだよ!」
「私は貴様に言われた通り、あの場を動いていないぞ」
「騒ぎを起こしただろ!」
「騒ぎ……? 子供の怪我を治療してやっただけだ」
「それがダメなんだよ!」
ダンジョン法に基づき、
この規則を破った者は、10年以下の懲役または1000万円以下の罰金が科される。
犯罪を未然に防ぐため、この法律は厳格に守られなければならない。特に、スキルや魔法の力を使って無断で怪我や病気を治療する行為は厳しく禁止されている。
その理由はさまざま。
過去には法外な治療費を請求する者がいたり、治療費として女性に性的な行為を強要する者もいた。
しかし、最も悲惨だったのは、善意からの回復魔法が多くの人々の命を奪ってしまったことだ。
世の中には、細胞が活性化することで病状が悪化してしまう病気もある。
癌はその最たる例だ。
細胞が活性化することで、むしろ癌の進行が早まってしまう可能性がある。
医師の診察を受けずに、魔法で病気を治すことは危険な行為とされている。
魔法は便利なものだが、絶対的な解決策ではない。
「こちらの世界にはそのようなルールがあるのだな。理解した。以後、気をつけよう」
「本当に頼むからな」
彼女にお説教した後、俺は雪菜が待つ病室に向かった。
「お兄ちゃん……うわぁー、きれいな人」
エルミアを伴って病室に足を踏み入れると、雪菜は長いまつげを鳴らしながらエルミアを見つめていた。その様子はまるで、幼稚園児が憧れのお姫様に出会ったかのようだった。
「お兄ちゃんの彼女!」
雪菜は、まるでフリスビーに飛びつく犬のように、前のめりになって声を響かせた。
「そんなわけないだろ。今日外国からこっちに来たばかりらしくて、街を案内してやってくれって知り合いに頼まれたんだよ」
「なーんだ。お兄ちゃんの彼女だったら良かったのにね」
「なんでそうなるんだよ」
「だって、そうしたら一人になってもさみしくないでしょ?」
俺は、にししと笑う妹のようには笑えなかった。
「雪菜っていいます。お兄ちゃんが迷惑かけていませんか?」
「私はエルミアだ。お前の兄、宗介は口うるさい男だ」
「おまっ――」
「あはっ、ははははは」
この野郎と思ったが、久しぶりに楽しそうに笑う雪菜を見ることができたので、妹に免じて大目に見ることにした。
「エルミアさん、日本語上手ですね! それにとっても面白い! 彼氏とかいるんですか?」
「伴侶か? それならいない。私はまだ86歳だからな」
「86………?」
なんちゅうギャクをぶちかましてくれているのだ。
雪菜が口をあんぐり開けて固まってしまったじゃないか。
「いやー、本当に参ったな。エルミアは冗談が好きなんだよ。はは、ははは……」
「なんだ冗談か」
「そ、そりゃそうだろ。エルミアが86歳だったら、世の中の86歳はどうなるんだよ」
「そうだよね」
俺は、これ以上余計なことを口にするなという意味を込めて、エルミアを睨みつけた。
「雪菜は病気なのか?」
「うん。もうずーっと入院してるんだ。嫌になっちゃうよ」
「……少しいいか?」
「?」
「おい!」
妹の首筋に触れようとするエルミアを制止しようとしたが、逆に妹に制止されてしまった。
「これは酷い。邪気が体中を蝕んでいる。もう長くはないだろう」
「――お前ッ!」
反射的にエルミアの胸元に手をかけると、
「お兄ちゃんやめてっ!」
雪菜の悲鳴が病室に響き渡った。
「どうかされましたか!」
騒ぎを聞きつけてやって来た看護師さんに、ここは病院だと厳しく叱責された。
その後、俺は雪菜にまた来るとだけ告げ、病室をあとにした。
「おい、待て! 貴様、さっきから何を怒っているのだ」
「わからないのかよっ!」
振り向きざまに怒鳴りつけると、彼女は少し困ったように眉を寄せて、
「わからない」
と言った。
何だか怒るのもばからしく感じ、冷静になるために、一度深呼吸して肺の中の空気をすべて吐き出した。
「妹は、長い間病気と闘っているんだ。その妹にあんな言い方はないだろ! 妹は必死に生きようと頑張っているんだぞ」
「……我らエルフは、病魔に冒され冥府に旅立つことを、悲しんだりはしない。それはその者が正しく生きた証なのだ。だから、死と、病魔と向き合う。それがその者に対する最大限の礼儀だと教わった」
「……そ、そうか」
エルミアは人間ではなく、異世界出身のエルフ族だ。
人間側の気持ちを一方的に押しつけるのは、適切ではなかったのかもしれない。
何より、彼女に悪気はないのだ。
「さっきは怒鳴って悪かった」
「気にするな。人間とエルフは考え方が異なる。ここは私の故郷ではない。そのことを考慮すべきだった。……先ほどの軽率な言動、心から謝罪する。申し訳なかった」
俺たちはまだ出会ったばかりで、これからお互いについて知っていく必要がある。
「おい、宗介! あれは何だ!」
何かと思えば、エルミアは屋台で売られているたこ焼きに興味津々だった。
「食べてみるか?」
「いいのか!」
「ああ」
先ほどのお詫びに、俺はエルミアにたこ焼きを買ってあげることにした。
「何だこの食欲をそそる甘い香りは! こんなのこれまで一度も嗅いだことがないぞ!」
「異世界にはソースないのか?」
「ない! たぶん!」
たぶんて……ずいぶんと曖昧な答えだなと笑ってしまった。
「我らエルフは、基本的にセルティアの森から外に出ない。食事は主に狩猟で得たものだけだ。しかし、もしかすると人間の街にはソースがあるかもしれない」
エルフ族は、外界との接触を極力避けているのか。
「熱いから気をつけて食べろよ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
言った直後に一口で頬張り、エルミアはあっふあっふと口から煙を吐き出していた。
「だから言わんこっちゃない」
「あ、熱すぎる! だか、うまいっ! 外はカリカリ、中はふわふわ。甘じょっぱいこのソースが何とも食欲をそそる! この世界の人族たちは、こんなにおいしい食事を毎日楽しんでいるのか!」
少し大げさな気もするが、シンプルな味付けの食事しかしてこなかったエルフにとって、濃い味付けのたこ焼きは、三つ星レストラン顔負けの絶品料理だったようだ。
「んん〜〜〜っ、うまい! 宗介は食べないのか?」
「俺はグールだからな」
「……そうか。こんなにうまいものを食えないというのも酷な話だな」
「まったくだ」
「うっ!?」
急いで食べるから、たこ焼きが喉に詰まってしまったようだ。
「飲み物買ってくるから、ちょっと待ってろ」
どうせなら、異世界らしいものがいいのではないかと考え、俺は自動販売機でコーラを購入した。
「ほら」
缶のプルタブを開けてから、エルミアに差し出した。
「――――!?」
コーラを一口飲んだ瞬間、エルミアの目が大きく見開いた。
そして、猫のように体をぶるりと震わせて、
「くぅ〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
風呂上がりにビールを飲む羽川さんみたいな声を出していた。
「宗介! これは何だ!? 口に含んだ途端、シュワシュワと、初めて感じる感覚が口中に広がったぞ。何より甘くてうまいっ!」
やっぱりコーラは種族に関係なく、みんな大好きなんだな。
「この不思議な飲み物がコーラというのか。気に入った! 私はこれからずっとコーラしか飲まない!」
エルミアは、余程コーラが気に入ったのか、その後もさらに二本も飲んでいた。
家に着いた時には、エルミアはコーラの飲みすぎで尿意を催しており、そのままトイレに駆け込んだ。
実際に大変だったのは、その後のウォシュレット事件だったが、これについては彼女のプライバシーを尊重し、秘密にしておくことにしよう。
その後、羽川さんが帰宅するまでの間、俺たちはお互いをより理解するために、異世界系アニメの鑑賞会をサブスクで行った。
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