第30話 鍵の行方
「はい、お弁当。と言っても、生肉を詰めただけだけどね」
「ありがとうございます!」
羽川さんのおかげで、生肉が食べられることがわかった後、次は何が飲めるのかを調べることになった。その結果、紅茶が飲めることが判明した。濃いめのストレートティーならば飲めるということだ。
ただし、コーヒーは飲めない。
その後、羽川さんに手伝ってもらいながら髪を黒く染めた。全眼カラコンをつけるのには苦戦したが、幸いにも、羽川さんが学生時代に趣味でコスプレをしていた経験からアドバイスをくれたおかげで、何とか付けられるようになった。
夜も遅かったため、羽川さんには妹の部屋で寝てもらった。
言っておくけど一緒には寝ていない! 嘘じゃない。
まあ、その……一緒に寝るかと聞かれはしたが、きっと俺をからかっていたんだと思う。
ちなみに、俺の方が羽川さんよりも先に自宅を出るので、鍵を渡している。家を出る際にはポストに鍵を入れておいてくださいと伝えてあるので、あとで家に入れないという心配はない。
オートロックに関しては、まあ何とかなるだろう。
何はともあれ、こうして普通に学校に通えることが嬉しかった。
「不死川くん!?」
下駄箱で靴を履き替えていると、背後から驚きに満ちた声が聞こえた。振り返ると、黒井アンゲル美咲さんが目を丸くして立っていた。
「おはよう、黒井さん」
「おはようございます。それより、もう体は平気なんですか?」
「……?」
一体何のことだろう?
「えっ、不死みん!? めっちゃ普通に戻ってるじゃん! 怪我の方はもう大丈夫なのか?」
と、クラスメイトで陸上部の夏目灯士くんが声をかけてきた。
この二人は、いつも何かと俺に声をかけてくれる数少ないクラスメイトだったりする。
「風邪ならもう治ったよ」
「か……いや、そ、そうなんだ」
夏目くんがぎこちない笑顔を浮かべている間、黒井さんが何かを耳打ちしている。
どうやら二人は仲直りしたようだ。
「火傷の痕も一切ありませんね」
「一体何がどうなってんだよ」
「スライムカプセルを使用したのかもしれません」
「ああ、あれか! 瀕死のみみちゃむも治していたもんな」
邪魔するのもあれなので、俺は先に教室に向かうことにした。
「不死川!? お、お前大丈夫なのか!」
廊下を歩いていると、担任の宮下先生が声をかけてきた。
先生も先ほどのふたりと同様、俺の顔を見て目を丸くしていた。
この間の服装があまりにも大袈裟だったため、重病だと思われたのかもしれない。
「ご心配をおかけしました。もうこの通り完全復活です」
「そ、そうか。元気になったのなら良かった」
ありがとうございますと頭を下げてから、俺は教室に入った。
昼休み。
羽川さんに持たせてもらったお弁当を食べるため、俺は一人屋上にやって来ていた。
「まさか教室で堂々と生肉を食べるわけにはいかないもんな」
誰もいない屋上でお弁当を広げると、鶏肉や豚肉などの生肉がぎっしりと詰められていた。美味しそうとは言えないが、食べてみると確かに美味しい。不思議なものだ。
「ここが本来の五層なのか」
昼食をとりながら、スマホで【NEWS7】を視聴していた。このニュースチャンネルは、個人で活動する報道系の元局アナが運営しており、謎の信頼感がある。さらに、この配信者自身がBランクの探索者であるという。
『ご覧の通り、現在の【墳墓の迷宮】五層は、以前のような鉱山地帯ではありません。専門家の方の話によると、ダンジョンの歪みが消えたことにより、本来の五層が出現したということのようです』
本来の五層は、広々とした草原のようなエリアだったみたいだ。
『現在、【墳墓の迷宮】の最高到達層は七層に達しています。しかし、【墳墓の迷宮】に挑む
アメリカのネバダにあるダンジョン調査チームの報告によれば、時折、別の層と接続してしまう危険なダンジョンが存在するという。これらのダンジョンはイレギュラーダンジョンと呼ばれている。
幸運なことに、うちのリスナーにはアメリカのダンジョン調査チームに所属する研究者がいた。配信終了後に彼女から直接DMをもらい、イレギュラーダンジョンに関するやり取りをした。その中で、イレギュラーダンジョンでは毎年レアアイテムが見つかるという話も聞いた。また、彼女によれば、以前、アメリカの
その話を聞いた俺は、【女神のなみだ】が【墳墓の迷宮】にあると確信していた。
『ここで、本日のゲストを紹介いたします。【黄昏の空】のリーダー、響鏡夜さんです!』
「おっ!」
あの【NEWS7】にゲスト出演するとは、さすが【黄昏の空】だな。
『先日、あのような事があったばかりですが、早くも探索を再開したと伺っております、そのモチベーションはどこからくるのでしょう?』
『正直言うと、僕は仲間を失った時点で引退も考えていたんだ』
『本当ですか!? でも、響さんは今も、現役
『友人が【女神のなみだ】を探しているんだ。僕は彼に命を助けられた借りがあるからね』
『なるほど、そういうことでしたか』
初めてギルドで会ったときは嫌なやつだと思ったけど、響は意外といいやつだな。
食後は、口内に残った生臭さを消すために紅茶を飲んだ。
この水筒も羽川さんが持たせてくれていた。
羽川さんはきっといい奥さんになるだろうな。
放課後。
――――どこにもない!
張り込みをする刑事のようにマンションの前でオートロックが開閉される瞬間を待ち、マンション内に足を踏み入れた。
その後、ただちにポストを調べたが、
「うそだろ……」
今朝、家を出る際にはポストに鍵を入れておいてほしいと羽川さんにお願いしていたのだが、何度ポストを調べても鍵が見当たらなかった。
「ポストに入れるのを忘れて帰っちゃったのかな……」
羽川さんはしっかりしているように見えるけれど、意外にも抜けている一面があるのかもしれない。
「にしても、困ったな」
最悪、このままギルドに向かうしかない。
この時間なら、羽川さんはまだ受付にいるはずだ。もしもいない場合は、病院の方に行き、雪菜に鍵を借りれば問題ない。
念のため、鍵を閉め忘れている可能性も考えられるので、一度確認しておこう。
エレベーターで3階に移動し、部屋のドアに手をかけてみると、
――カチャッ!
「え?」
ドアが開いた。
本当に鍵をかけ忘れているとは思わなかった。羽川さんも、案外抜けているんだな。
「はぁ……」
ため息をつきながら家の中に入ると、
「!?」
土間に、見覚えのあるパンプスが整然と並べられていた。
「なっ、なんだこれ!?」
パンプスだけではなく、部屋の中を見渡すと、廊下には段ボールが整然と置かれていた。
「あっ、おかえり。早かったわね」
部屋の奥から、Tシャツにショートパンツというラフな格好の羽川さんが現れた。
キャリアウーマンのようなスーツ姿の羽川さんしかしらなかった俺は、彼女の部屋着姿に思わず驚いてしまった。
いや、そんなことより、
「なっ、何なんですかこれ!」
この段ボールの山について羽川さんに尋ねると、
「何って……あたしの荷物だけど?」と、彼女は当然のように答えた。
「何で羽川さんの荷物がこんなにウチにあるんですか!」
「なんでって……これからあたしもこの家に住むからに決まっているじゃない」
「は? ええええええええええ!?」
俺は予想外の返答に驚きを隠せなかった。
「この家に住むって、どうしてですかっ!?」
「君、自分の置かれている状況を正しく理解している?」
「俺の置かれている状況……ですか?」
不運なことに、人間を卒業をしてしまい、今では生肉しか食べられないグールだということだ。
「もしも君の状況が第三者に知られてしまったら、君……どうなるかわからないわよ」
「どういう意味、ですか?」
「わからないわけじゃないでしょ? 君は危険な存在として、政府や特殊な機関に身柄を拘束されてしまう可能性があるってことよ」
羽川さんが言うような事態を予想していなかったわけではない。しかし、これに関してはどうしようもない。
俺にできることは、自分の正体がバレないように、最大限の注意を払うことだけだ。
「そこであたしの出番というわけよ」
「羽川さんの……?」
どういうことだ?
「万が一、君の正体が露見してしまった場合を考えて、君はあたしと一緒に生活をしてもらうわ」
「な、ななな、何でですか!?」
「君が危険な存在ではないことを証明するために、手っ取り早いからよ。モンスターが人間に害をなさない存在だと証明するのは難しい。でも、あたしと暮らしていたという実績があれば、そういった機関から少しは配慮してもらえるかもしれないじゃない」
彼女の提案には確かに一理あると、俺は納得してしまった。
「でも、どうして羽川さんなんですか!」
「なら聞くけど、あたし以外に君の正体を知っている大人はいる?」
「……いえ、いません」
羽川さん以外に正体を明かしてはいない。
「あたしはギルド職員として社会的信頼を得ている立場にある。そのあたしが、君は無害だと証言する。その重要性が君にも理解できるわよね?」
(本当は好みの若い男の子と一緒に住みたいだけとか、うまく行けば既成事実を作り、なし崩し的に
もしもそのような状況に陥った場合、羽川さんのギルド職員としての証言は、事態を好転させるのに十分なのかもしれない。逆に言えば、ギルド職員でない者の証言では意味がないだろう。
他人と同居することには抵抗がある。
しかし、その点は羽川さんも同じだろう。
それでも彼女は俺のことを心配して、このような決断をしてくれた。
その行為に甘えてもいいのだろうか。彼女にとって迷惑ではないだろうか。
俺と羽川さんは姉弟でも親戚でもない。
ただの
甘えすぎてはいないだろうか。
「あの……本当にいいんですか? 羽川さんの迷惑になるんじゃ……?」
「迷惑だなんて思っていないわ。あたしと君との仲じゃない」
もしもの事態に備えて、羽川さんの好意を頼りにすることに決めた。
「昔、両親が使っていた部屋があるので、そちらを使ってください」
「そうさせてもらうわ」
こうして、俺とギルド職員の羽川さんとの、不思議な共同生活が始まった。
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