第12話 不死川雪菜と羽川さん
「お兄ちゃん!」
妹の雪菜が入院する大部屋の扉をあけると、愛らしい声が春風のようにそよいだ。その瞬間、俺の心には春の花々が咲き乱れた。
「よく俺だってわかったな」
「顔なんて見なくたって、わかって当然でしょ。兄妹だもん」
なるほど。
それもそうだな。
ベッド脇の椅子に座り、買ってきた林檎の皮をむいていた。雪菜は小さい頃から果物が好きだった。普段なら「早く早く」と急かされるが、今日はなぜか彼女は大人しく、窓の外をじっと見つめていた。その視線には哀愁が漂っているようだ。
「その恰好、へんだよ」
「巷では流行ってたりするんだぞ」
「ダンジョンで怪我、したの?」
「しないよ。兄ちゃん強いからな」
「………」
「そこはさすがお兄ちゃん! って兄を褒め称えるところだぞ」
「そうだね」
今日の雪菜はいつもに増して元気がなかった。医師が薬の量を増やしたと言っていたので、それが原因かもしれない。
「しばらく来てくれないから、わたし、本当にすっごく心配してたんだから」
「心配かけて悪かったな」
「……お兄ちゃん」
「ん?」
「もう、ダンジョン……潜らなくてもいいよ?」
ガタンッ!
「――――!?」
カッと全身に熱が走り、俺は思わず立ち上がっていた。
「兄ちゃん、怒るぞ」
「わたし……少しでも長く、お兄ちゃんと一緒にいたい。もっとたくさんお喋りがしたいの。……ダメ?」
「……っ」
痩せ細った骨と皮の体、青白い顔には覇気がない。わかっていたことだ。長くてあと1年。早ければ明日かもしれない。そのことを誰よりも理解しているのは、間違いなく雪菜自身だ。
闘病生活は大人でも辛いと聞く。
ましてや妹はまだ14歳だ。本来ならば手を握り、支えになれる家族がずっと側にいるべきなんだ。
けれど、俺たちに両親はもういない。
今ここで彼女の願いを受け入れてしまうということは、すべてを、妹の運命を受け入れるということでもある。
嫌だ!
そんな運命は絶対に認めない。
認めてなるものか。
たとえそれが俺のわがままだったとしても、最後の1秒まで、希望は捨てたくない。
大好きな妹と、家族をこれ以上失いたくない。
だから、俺は今日も嘘をつく。
「兄ちゃん、もうすぐ雪菜の病気を治せる薬を手に入れられそうなんだ」
「……」
「うそじゃないぞ。受付の羽川さんには、いつもこんなに優秀な
「……うん」
「ここだけの話、実は兄ちゃん探索者ランクがSなんだ。知ってるか? Sクラスは日本に数えるだけしかいないんだ。そんな最強の
だから……もう少しだけ待っていてくれ。兄ちゃんが絶対に、お前を助けてやるから」
「………うん」
◆◆◆
「あら、もう帰るの? 来たばっかりじゃない。雪菜ちゃん、寂しがっていたわよ」
ナースステーションの前を横切ったところで、顔なじみの看護師さんに声をかけられた。
「今は1秒でも惜しいんです」
「またダンジョン? 君、弱いんでしょ? こんなこと言いたくないけど、雪菜ちゃん、もう長くないと思うの。もう少し一緒にいてあげられない?」
「――――」
俺は折り目正しく、看護師さんに頭を下げた。
「妹を、よろしくお願いします!」
「宗介くん、気持ちはわかるけどね、今は雪菜ちゃんもすごく心細い時期なの」
「わかっています! そんなこと、ずっと前からわかっています!」
だけど、だからって……すべて諦めてそばで死ぬのを待ち続けるだけなんて、そんなの俺には無理だ。とても耐えられない。
「これが俺の我儘だってこともわかっているんです。でも、わかっていても止められないんです。そこに彼女の命がある限り、俺は最後まで足掻きたい。みっともなく足掻いて、少しでも妹と一緒に戦いたいんだ! そのためなら、誰に何を言われてもいい。最弱王と馬鹿にされても構わない! 俺は雪菜の兄ちゃんだから、あいつより先に諦めるわけにはいかないんだ!」
病院をあとにした俺は、家には帰らず、【墳墓の迷宮】があるギルドにやって来ていた。
「で、あたしに何の報告もなしに帰った言い訳を聞かせてもらえる?」
腕を組んで憤慨する羽川さん。
担当者への報告を怠った俺は、羽川さんに怒られても文句は言えなかった。
「ご、ごめんなさい!」
俺にできることは誠心誠意頭を下げることだけだった。
「まあ、宗ちゃんが帰還したことは、例の騒ぎを見ていたから知っていたけど、にしたって、何なのよその恰好は。初心者装備はどうしたの? まさかとは思うけど、そんな変質者みたいな恰好でダンジョンに潜るとか言わないわよね」
羽川さんはむっと唇を尖らせ、まだ怒っている様子だった。
「……結構、耐久性あるんですよ」
「だめ」
「動きやすいんですよ」
「だめ」
「とっても軽いんです」
「だめ! というか、全然そんな風には見えないわよ」
「……」
「意地悪で言っているわけじゃないの。宗ちゃんに何かあったら、妹さんが悲しむでしょ? それに明日は平日。学校もあるでしょ?」
「もう、行きません」
「馬鹿なこと言わないの。それにもう18時よ。ご飯は食べた? 寝る時間だってあるでしょ?」
スケルトンとなった俺には、食事も睡眠も必要なかった。しかし、そんなことを羽川さんに報告できるはずもない。
「食事なら済ませましたし、さっき仮眠もとったので心配ありません」
ある意味、俺はスケルトンになれて良かったのかもしれない。疲れ知らずのこの体なら、何時間だって、何十時間だってダンジョン内を探索可能なのだ。
「止めても無駄みたいね」
「ごめんなさい」
「なら一つ約束して、学校にはちゃんと行くこと。自分のことを大事にすること。無茶はしないこと。ちゃんと帰ってくること。羽川お姉さんと約束できる?」
「一つじゃないんですね」
俺が笑うと、羽川さんにうるさいと指で額を弾かれた。
「約束します。朝までには必ず戻ります」
「なら、行ってよし!」
羽川さんは本当に不思議な人だ。彼女と話しているだけで、海の底から心が浮上しているような感覚になる。同時に、息苦しさも消え去り、鉛のように重かった体もすっかり軽く感じられた。
「行ってきます!」
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