第2話

◇◇◇



 リュド様は隣に私以外の女性を侍らせ、多くの者が集うこの場で完全なる婚約破棄を告げた。もはやここから先は、私も彼も後には退けない。


「フランチェスカ───稀代の悪女であるフランチェスカよ! こそこそと隠れてないで皆の前へと早く出てこい!」


 別に隠れてはいない。

 淑女たるもの、急いでいるからとそれを表に出すわけにはいかない。ましてや、バタバタと走るなんて以ての外だ。

 彼の言葉は、あまりにも短慮だ。


「リュド王太子殿下よりお呼びいただきました───フランチェスカ・イズ・フォン・フリーデンでございます」


 気圧されては駄目。

 動揺を悟られても駄目。

 必要なのは最大限の優雅さだ。


「リュド王太子殿下、先ほどは婚約を破棄すると仰ってましたが、それはどういった理由からでしょうか?」


 私の質問に対し、リュド様が侮蔑の表情を浮かべた。

 ここ一年の間、何度となく見てきた表情だ。


 ───全く、卑しい女だ


 ───低級貴族のくせにどうしてお前なんかと


 ───顔も見たくないから、疾く散れ


「悪女フランチェスカよ。惚けるのもいい加減にしろ。

 貴様は、彼女───クラリッサを不当に貶めて、そして迫害したのだ。報告は全て上がっている」


 クラリッサ───先程からずっとリュド様の隣にいる女性だ。

 私は彼女のことなら何でも・・・知っている。

 クラリッサ・アルム・ド・グランジュ。


 グランジュ男爵家の一人娘であり、元々病弱な体質より、これまで社交界に顔を出さないどころか、その存在すらも知られていなかった。けれど学園に入学する前年頃に、ようやく快癒したことで、社交界へと姿を現したとされている。


 クラリッサ嬢は、深窓の令嬢を思わせる大人しげな佇まいや振る舞いとは別に、男性を惹きつける肉感的な身体の持ち主でもある。


 多くの上級貴族家出身の男子生徒が彼女と少し親しくなったころに、意図せぬ肉体的な接触をし、それがきっかけで彼女に好意を抱いたという話だ。


 実際に今でもそうだ。

 クラリッサは今この場でもリュド様の腕にしなだれかかっている。彼女はそれと同じことを、恥じることもなく、慮ることもなく、まるで当たり前のことかのようにいつもしていた。


 深窓の令嬢? 聞いて呆れる。

 私は全て知っている。


「貴様は、日常的にクラリッサを虐めていたそうじゃないか?」



 彼はそう言うと、続けて、私のしたとされる悪事を次々とぶち撒けた。


 彼曰く、私はクラリッサ嬢の着替えを破り、教科書を捨て、彼女の顔を見る度に悪態をつき、多くの者を先導し彼女を辱め、彼女の頬を打ち、水をぶっ掛け、噴水に突き落とし、下を歩く彼女に向けて上階から花瓶を投げつけたのだと。

 これらが全て事実なら、確かにやり過ぎだ。

 彼らはこの話をしてておかしいと思わないのでしょうか?


 しかも、それだけではない、とリュド様は続けました。


「先日、クラリッサは三階の階段から転がり落ちるという事故にあった───否、これは事故ではない」


「事故でないのなら、一体何があったのでしょうか?」


 茶番に乗るようで癪であるが私は尋ねた。


「惚けるのもいい加減にしろ!! クラリッサは突き落とされたのだ! 悪女である貴様にな!!」


「リュド王太子殿下、落ち着いてくださいまし。

 私は天地神明に誓って、これまで貴方の仰ったような悪事を働いたことはございません」


「悪女フランチェスカよ、あくまでもしらを切り通すか」


 彼が声を張り上げたと同時に、クラリッサ嬢が「私、フランチェスカ様がこわい……」と涙を流し、リュド様の腕に顔を埋めた。


「しらと言われましても……」


「はんっ! 品性の下劣なお前のことだ! やはり貴様は自らの罪を認めやしない! 良いだろう! 私達には証拠がある」


 証拠───そんなものがあるわけがない。

 だってやってないもの。


 それなのに、出てくるんだろうなぁ。

 みんな、本当に馬鹿よね。


「出てこいお前達!!」


 リュド様の合図に従った十人の生徒が前に姿を見せた。

 男女混合の十人の彼らは、私の予想の範囲から外れることなく、前に現れ、彼ら側に立ちました。


 リュド様は、証人とされる生徒一人一人に、何を目撃したか順に尋ねました。すると彼らは、


「はい、私はフランチェスカ様がクラリッサ様の頬を打ったのを見ました。はい、間違いありません」


 だとか、


「怖くて止めることが出来ませんでした。ごめんなさい。私はフランチェスカ様が、クラリッサ様の教科書をゴミ箱に捨てたのを見ました」


 だとか、


「放課後四階から降りようとしたとき、偶然見てしまいました。フランチェスカ様が、クラリッサ様の背中を押す場面を……私、怖くなってその場から逃げてしまいました……」


 だなんて、彼らは、私が一つも身に覚えのないことをつらつらと語り出しました。彼らの話の中の私があまりにも悪女なので、思わず噴き出しそうになってしまいましたが、何とか堪えることに成功しました。


「これだけの者が貴様の悪事を目にしたのだ!! 何か申し開きはあるか!!」


 リュド様が鼻の穴を広げて、キメ顔をされました。

 彼の世界の中の彼は、今まさに悪女を追い詰める正義の王子様なのでしょう。


「もっと具体的な日付や時間を仰っていただけませんと、それだけでは、証拠にはなり得ません。

 ただ、そうですね。少し考えてみても、そもそも、誰かしらとご一緒している私がいつ教科書を捨てられるのでしょうか?

 それに放課後と仰っていらっしゃったけど、私は授業の終わりと同時に、王宮から用意された馬車に乗車しております」


 疑うのなら、確認してみてくださいませと締めくくると、リュド様が見たことのない形相で私を睨みつけた。


「ここまで追い詰められても。なおしらばっくれるか、悪女フランチェスカよ……!!」


「ですから……詳しい日時を仰ってもらえましたら、その全てに反論してみせましょう」


「詳しい日時……? そんなものは詭弁だ!!

 白状しろ! お前がやったんだろ!!」


 リュド様も、クラリッサ嬢も、私の冤罪に加担した者も、今この場で私の反目に立った者を、私は絶対に許さない。


「リュド様、お話になりません……そんな理屈が通るのは、子供の間だけですわ」


 議論をするなら、議論に乗る。

 議論をかなぐり捨てるのなら、こっちも議論をかなぐり捨てる。

 その結果、貴方達がどうなろうと私は知らない。

 ため息をつくと私は、首のネックレスに手を伸ば───


「待てよ!!」


 野性味を感じさせる声が聞こえ、私達の間に男性が飛び込んだ。

 それは声から窺えるワイルドなイメージそのままの人物だった。

 彼の正体は、この国の第三王子。




 この国には三人の王子がいる。

 まずは第一王子は私の婚約者であるリュド様。

 彼は第一王妃の息子であり、次期国王と目されている。


 次に第二妃の息子たる第二王子エドガー様。

 

 そして第三王子のライノ様。

 彼はリュド様と同じく正妃様を母に持つ。


 今回、私とリュド様の間に飛び込んだのは、その第三王子であるライノ様でした。



 



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