第42話

「あ!」

 多希は、看護師の話とは全く関係ないことを思い出し、自分の単純さに頭を抱えた。保希と看護師みたいに、インターホンを押して玄関から入れば良かったのだ。

「多希、格好良かったよ。アクション映画のように、開いた窓から颯爽と入っていったね」

「それ、言わないで……」

 保希に暴露され、恥ずかしくて仕方ない。

「あらあら、格好良かったのね」

 看護師は、責める風もなくけろっとしている。そのとき固定電話が鳴り、看護師が出てくれた。

「施設長、どうしたのこんな時間に……畠野さん? もしかして、結界維持装置のこと? あれは畠野さんじゃないわ。目撃者もいるし、動画も撮られてるのよ。畠野さんを信じてあげて……え」

 電話の相手は施設長のようだ。あぐりは電話を替わろうとしたが、すぐにセンサーマットの対応に行かざるを得ない。施設長の話は長く、看護師は途中からメモを取っていた。

「え、ええ。わかった。今は、お家のことに専念して。こういうときは、お互い様じゃない。でも、畠野さんのことはもっと優しくしてあげてよ。少しだけなら、あたしもコール対応するから。じゃあ」

 看護師は電話を切った。

「看護師さん、ごめんなさい」

「平気よ。施設長に電話してくれたんですって? 折り返しだったの。結界維持装置のことだって、すぐにわかってくれたわ。施設長から保健所にも電話してくれたみたいだけど、結界維持装置のことは設置業者しかわからないって言われてしまったんだって」

 看護師から、施設長からの伝言を聞きながらメモを取ろうとするあぐりに、看護師はメモを渡した。

「その設置業者だけど、本社で管理しているから、本社が営業している昼間しか対応できないの。明日の朝になるのを待つしかないって。それと、施設長は、同居する義理のご両親と旦那さんがハナミネコウイルスに感染した疑いで病院に検査を受けに行っていて、施設長もまだ病院にいるって。もしかしたら、施設長も自宅待機の可能性もあるって。今夜は耐えてくれって言われたわ」

 看護師は、溜息をついた。

「……お家の事情には同情するけど、だからといってこれはやり過ぎだと思う。このコールの多さも、施設長からご利用者様に、畠野さんを鍛えるためにわざと呼び出してくれ、と言っていったんだって。施設長、反省もしていなかったわ」

 話を聞いているあぐりの方が、申し訳なさそうに頷く。

「畠野さん、少し寝なさい。あたしは、1時までならここに居られるわ。3時間くらいしか休む時間をあげられないけど」

「そんな……申し訳ないです。お家に息子さんがいるんでしょう?」

「あたしの息子、もう高校生よ。旦那もいるし、うちは大丈夫。夜通しだと、あたしが明日の勤務に支障を出してしまうから、1時までしか居られないけど……」

「充分過ぎます。本当に申し訳ないです」

「何か食べて、寝なさい。ほら、ご飯あるじゃない」

「うう……すみません」

 あぐりは、いがめんちといちご煮の炊き込みご飯握りを食べ、仮眠スペースで横になった。

「さてさて、あたしは巡視してくるわ。畠野さんを甘く見て賑やかしていた人も、少しは静かになるでしょう。奈直くん、だっけ? うちの職員じゃないのに、手伝ってくれて本当にありがとう。こんな施設で、ごめんなさい」

「本当です。でも、やりますよ。守らなくちゃいけない人が、近くにいますから」

「こういう人に働いてもらいたいわ」

 看護師は各居室の巡視を始めた。

「そうだ、多希のお父さんは結界維持装置の開発に関わったのだよね」

 保希が思い出して訊ねる。

「そうです。今は、孫請けの町工場ですが」

「こんな時間だが、今から連絡は取れるか? 結界維持装置の操作のことを訊きたい。素人でも扱って良いのなら、また結界を張らないと危ないだろう」

「そうですね。電話してみます」

 スマートフォンから父親に電話をかけ、スピーカーモードにしてテーブルに置いた。

『あ! 多希ちゃん! 久しぶり!』

「母ちゃん⁉」

 電話に出たのは、多希の母親だった。独特のハスキーボイスが弾む。ホールに戻ってきた奈直が、何事かとスマートフォンを覗き込み、多希にくっついた。

「親父にかけたつもりだったんですが」

『お父さんのスマホよ。今、お風呂に入ってる。最近、腹筋割れたんですって。見る?』

「見ません」

『つまんなーい。ねえねえ、多希ちゃん、最近お友だちできた? お母さんに紹介してよ』

「いませんよ、そんなもの。3次元をおかずに腐る気でしょう」

『わかっちゃった? だって、アイデアが降って来ないんだもん』

 相変わらずの母親に、多希は頭を抱えたくなった。それと同時に、元気そうで安堵した。

「おばさん、ご無沙汰しています。篁一郎こういちろうのところの、保希です」

 保希が口を挟むと、多希の母親のテンションが上がった。

『え⁉ やっちゃん⁉ 嘘⁉ 久しぶり! え? え? 多希と一緒にいるの?』

「ええ。多希に呼び出されて、ほいほい来ちゃいました」

『やっちゃんは昔から、多希のことが大好きだもんね。もしかして、多希から取り引きを持ちかけられた? 僕を好きにして良い代わりに誰々さんを助けて上げて下さい、とか?』

 なぜそんな細かいところまで勘づくんだ。

「まじ? お兄ちゃん最低」

 奈直が、多希を見つめて頬を膨らませる。

『もうひとりいる!』

 多希の母親が勝手に盛り上がる。

「お母様ですか? お兄ちゃんがお世話になっています」

『多希、義兄弟の契りを交わしたの?』

「しました。お兄ちゃんとは、死ぬまで一緒です」

 奈直が勝手に答える。

『ちょっと多希! その話、詳しく聞かせて……あ、お父さん! 多希から電話!』

 母親の声が遠くなる。

「おばさん、相変わらずだな」

 保希が、ちょっと引いていた。

「お母さんは、何してる人なんですか?」

「……BL漫画描いてます」

 多希は正直に答えた。多希が高校生のとき、自殺未遂で母親が心を壊してしまい、一時は筆を置いてしまった。10年以上経った今は、完全復活している。

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