第40話
助手席から夜空を見ていると、運転席の保希に話しかけられた。
「結界が薄いだろう」
多希は言葉が出ず、保希の表情を伺う。保希はただ、前を向いてハンドルを握っているだけだ。
「僕は、高校生のときにこっそり父さんに打ち明けて、そのとき初めて知った。荻野の連中は大体の人が、修行をしていなくても結界が見えるらしい。多希のお父さんだって、結界が見えて術式の技術がないと結界維持装置の開発は難しいだろう?」
「……確かに」
多希は親父とそのような話をしたことがなかった。荻野の呪術について話さないことが、暗黙の了解になっていたからだ。
「荻野とは関係ない人でも、たまに結界が見える人もいるらしい。酒の席で自慢しているのを聞いたことがある」
多希は、四万津を思い出してしまった。術式が解けるかも、と言われてしまったのだ。担当弁護士の柘植からは、その話を聞いたことはない。殺人未遂の疑いで逮捕されてからは、言わなかったようだ。
「でも、麻酔銃を携帯して仕事をする介護士や、ハナミネコを捕獲する道具を扱う保健所の人は、別だよ。あれは、荻野の術式が道具の使用者を認識して、見えるようにしているから、本人の才能だとか感性ではない」
「介護士も結界や術式が見えるんですか?」
「らしいよ。昨日の彼や、遠距離で照射した彼女には、業務中は見えているんじゃないかな」
昨日、イベント会場にハナミネコが乱入したとき、奈直の麻酔銃に魔法陣のような術式が見えた。荻野の血筋である多希はには見え、史人には見えていなかった。あれは奈直やあぐり、四万津など、介護士本人には見えているのか。見る余裕もないだろうけど。でも、それを聞いたら、四万津は結界が見える人だと言うことが怪しくなってきた。
「多希とこんな風に盛り上がれる日が来るとは、夢にも思わなかった。多希はいつも、奥ゆかしいから」
嫌なタイミングで、赤信号に引っかかった。保希は多希の手元に視線を落とす。
「無理して着けなくて良い。僕の一方的な我が儘だから」
保希は、多希が着けているバングルに手を伸ばそうとする。多希はその手を
「今まで着けていたブレスレットが、壊れてしまったんです。何も着けていないと寂しいから、丁度良いです。それに、俺の名前と誕生日が刻印されているでしょう。いつかの国民服みたいで、死んだときに身元確認ができます」
「いつかの国民服って……多希は生まれていないだろう」
「お兄ちゃんも、生まれていないでしょう」
冗談を交わして、笑みがこぼれる。後続車にクラクションを鳴らされ、青信号になっていたことに気づいた。
「こんな時間まで付き合わせてしまって、申し訳ありません」
「構わないよ。明日も蒼右森で予定があるんだ。2日間の勉強会」
しばらくして、カーナビが「いらせ村」の到着を知らせた。敷地の出入り口がわからないが、とりあえずここで降りる。
「送って下さって、ありがとうご……」
「多希、ちょっと待て」
保希は車を路肩に停め、近くの平屋を指差す。暗く沈んだ草むらに、ちらちらと明かりが見える。多希は違和感をおぼえた。
「僕が行ってみる」
「俺も行きます」
「やばいと思ったら、すぐに逃げるんだぞ」
「あなたもね」
保希はスマートフォンで何かの操作をしてから、車を降りた。多希も車を降りる。車はハザードランプを点滅させ、エンジンはかけたままだ。
「いらせ村」の敷地は、アコーディオン式の門があるが、開いたままだ。敷地に入り、多希はスマートフォンのライトをつけて明かりが見えた平屋を勘で目指す。敷地に入ると、結界が1枚厚くなった感じがした。
「ボランティアもちょろいよね。畠野と電話してるって、思い込んでいたから」
あぐりの声かと思い、多希は驚いて足を止めてしまった。
「畠野がボランティアを断ったことになったんでしょう? それで良いじゃん」
その声は、今日出勤していた職員だ。
「うんうん。電話をかけたのは、あたしだけど、畠野が電話をかけたって認識されたのは事実だもん」
あぐりに似た声の、若い女性だった。姿はよく見えないが、今日出勤していた職員ではない。
「なんで畠野なんかが介護士になれて、あたしがなれないのかな。あたしの方が仕事ができるし、大卒で介護福祉士持ってるし、我ながらコミュ
「そうだよ。畠野が悪いんだよ。畠野なんか存在ごと消えていなくなってくれないかな。死んでくれなんて酷いことは言ってないよ」
ふたりは、草むらにしゃがみ込んで何かをいじり始める。
多希は振り返り、保希を見た。保希は、人差し指を立て、静かに、と身振りする。保希はスーツの胸ポケットにスマートフォンを入れ、器用にカメラの部分を出していた。録画か録音をしているようだ。車を降りる前に操作していたのは、これだったのだ。
「それにしても、畠野は本当に悪人だよね。結界維持装置を解除して、ハナミネコをシニアに入れさせようとするなんて。空き部屋の窓、開けっ放しだったよ」
あぐりに似た声の女性が、芝居がかった大きな声を出す。わざとだと多希は思った。自分がやっていることを、あぐりがやっていると自分に言い聞かせている。
「よし!」
もうひとりが声を弾ませた。次の瞬間、結界が消える感覚がした。多希の中で、怒りが一気に沸点に達した。こいつらを警察に突き出したい。四万津を陥れた老人と同じことを、この人達はやっているのだ。
「すみません、ちょっとよろしいですか?」
保希が爽やかに、ふたりに声をかける。ふたりは余裕たっぷりに立ち上がり、スマートフォンのライトを向けてくる。
「何ですか?」
「通りかかったら、見えたものですから」
保希は前髪を搔き上げた。ふたりとも、やば、と声を揃える。
「政治家の……総理の息子!」
「ごきげんよう。少し、お話を伺えますか?」
今度は、保希が余裕たっぷりに微笑む。
多希は、職員ふたりがいじっていたものにライトを当てる。結界維持装置だ。操作の仕方がわからない。
「お兄ちゃん、後は任せた!」
「多希、どうする気だ」
「中の人達に知らせてくる!」
職員の話が本当なら、ハナミネコを侵入させるために空き部屋の窓を開けているはずだ。平屋だから、窓から建物に入れるかもしれない。シニア、とも言っていた。多希が過去に勤めていたところは、デイサービスをデイ、寝泊まりする施設をシニアと呼び分けていた。ここも同じ呼び方なら、この平屋はシニアで、ご利用者様が寝泊まりし、あぐりと奈直が夜勤をしている。
多希は、空いた窓を探し、手を伸ばして網戸を開け、窓をよじ登って中に入った。
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