第28話

「何? 何ですか?」

 動揺する多希に、奈直が距離を詰めてくる。

「先程から探していたものは何ですか? 見つけにくいものですか?」

「……何のことですか?」

「カーペットをずっと気にされていたから」

 気づかれている。ベッドに乗ってからも、カーペットを目で追っていたことを。

「探していたのは、これですよね」

 奈直が細い指でつまんでいるのは、多希が飲もうとした錠剤だった。

「返して下さい」

「駄目です」

 奈直は錠剤を握りしめてから多希に抱きつき、上目遣いで多希を見つめる。

「飲もうとしてしましたよね。中身は何ですか」

「……言うつもりはありません」

「じゃあ、このまま肋骨をへし折ります」

 奈直なら、やりかねない。肋骨が折れたら、肺に刺さって体内で出血するだろうか。運が良ければ心臓にも。

「……どうか、ひと思いにやって下さい」

「きも!」

 奈直は、きっぱりと言い切った。

「訂正します。話してくれないのなら、先程の錠剤を飲みます」

「駄目です! わかりました! 話します!」

 多希は奈直を引き剥がそうとしたが、離れてくれない。仕方ないので、抱きしめたまま話す。

「呼吸困難や意識障害を引き起こす茸類を乾燥、粉砕させて詰めました」

「それを飲むことでどうなるのか、あなたはわかっていますよね」

「わかっています。以前にも話しましたよね」

 それを聞いて、びくり、と奈直の小さな体が跳ねた。

「特にきっかけは、無いです。物心ついたときから、俺は希死念慮を抱いていました。事を起こしてしまったのは、高校生のときです」

 忘れもしない、高校生2年生の誕生日の日。

 あの日は体育倉庫の掃除が行われていて、教室のベランダの真下に棒高跳びで使用するマットレスが置かれていた。

 当時、高校生の狭い世間では「スクールカースト」というランク付けが行われており、あの日は一軍のクラスメイトに名指しされた三軍のクラスメイトがベランダからマットレスに跳び下りる、という遊びをしていた。教室は2階だったから、怪我はしないとわかっていて、三軍のクラスメイトも乗り気で跳び下りていた。

 多希も、スクールカーストの三軍だった。多希と荻野の一族のことは皆知っていたが、それとは関係なく、多希が人付き合いが苦手で友だちがいないというだけのことだった。

 多希は指名され、ベランダの手すりに上った。そのとき、これまで影のように漠然と寄り添っていた念慮が、明瞭に輪郭を描いて湧いてきた。

 いけるかも。

 多希は5階の教室に入り、突然の他クラスの生徒の乱入に動揺する人々をよそに、多希はベランダから跳び下りた。途中で木の枝に引っかかって軽傷は負ったものの、ほぼ無傷でマットレスの上に落ちた。

 なんだ。これだけか。

 物足りない多希をよそに、学校は大騒ぎになった。当然、多希の両親にも連絡が行った。多希は病院を受診させられた。母親は泣いていた。父親からは、初めて大声で怒られた。両親の様子を、多希はどこか冷めて俯瞰して見ていた。どこからか嗅ぎつけてきた保希に、監禁されそうになった。そのときは気づかなかったが、自分の中の感覚の一部がぷつりと切れていることに、後で気づいた。両親の目を盗んで、茸類から錠剤をつくっていて、昔からの夢である薬剤師になってしまったら、薬学で人を殺してしまうのではないかと。死ぬのなら、人の役に立ってから死のう、と。

 月日は流れ、今現在は介護士になることが目標になっている。ハナミネコとハナミネコウイルス感染症から自衛の術が無い高齢者を守って世の中の役に立って死ぬのが一番だ、と。

「俺は最低な人間なんですよ。そもそも、人間でいる価値すら無い。だから、俺に構わないで下さい」

 介護士になって無謀にも人を守っている奈直に、多希じぶんは要らない。だから、距離を置いた方が良い。無言で綺麗な涙をこぼす健気な奈直に、よしよしと頭を撫でてあげる。

「だから、錠剤を返して下さい」

「嫌だ」

「奈直くん」

「没収です」

 奈直は多希から離れ、錠剤はどこかに隠してしまった。多希も奈直に何か話すことはなく、明日のために就寝することにした。ベッドに横になって布団をかけて途端、奈直が小動物のように入り込んできた。

「お兄ちゃん」

 小動物のように目が潤んでいる。

「お兄ちゃんは独りじゃないです。俺も同じです。大丈夫です。俺がいます。だから、大丈夫です。だから」

 奈直は、すがるように多希を見つめ、手を握ってくる。

「あなたの生殺与奪の権は、俺が握りました。独りで死なないで下さい。死ぬときは一緒です」

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