第27話

 史人は部屋を後にしたが、奈直は動かない。

「俺もここなんです」

 同じ部屋だった。シングルベッドふたつの部屋だが、気まずい。

「じゃあ、俺はシャワーを浴びてきて……良いですか? 良いですよね?」

 また変な反応をされると思ったが、奈直の反応は違った。浴室まで入ってこようとする。

「なんで来るんですか! 見るな! 来るな! 今から服を脱ぐんですから!」

 ドアを閉めようとしたが、奈直が足を挟んで拒む。

「また変な気を起こされたら、こっちが迷惑なんです!」

「もう起こしません! 大丈夫です! 安心して下さい、ちゃんと出てきますから!」

 安心されなかった。浴室の薄いドアの前、洗面台の辺に待機しているのが、明らかにわかる。多希はシャワーを浴びながら、バングルを着けたまま来てしまったことに気づいた。洗面台に置きたいが、奈直が待ち構えているためドアを開けるのをためらってしまう。バングルを着けたまま洗髪洗体するしかなかった。

 浴室を出ようとした瞬間、一番の失態に気づいた。バスタオルも着替えも持ってきていない。ドアを隔てた先には、奈直がいる。

「奈直くん」

 ドアを閉めたまま、あっち行け、と言うつもりだったが、奈直が開けひらいてしまった。

「きゃー」

 明らかな棒読みで、視界を手のひらで隠しているようでありながら指の隙間はしっかりキープしている。

「お嫁に行けない!」

「いつの時代の言葉だよ! バスタオルと服を取りたいので、ちょっとどいてくれます?」

「きゃー、恥ずかしい」

 奈直は、洗面台の下の籠に入っていたアメニティのバスタオルを2枚とも奪取して逃げた。

「おい!」

 仕方ないので、フェイスタオルで体を拭いてバスタオルを追いかける。トイレの前でバスタオルを投げつけられ、その隙に奈直が浴室に向かった。

「……小学生かよ」

 奈直の乗りが、小学校の修学旅行のようだ。悪質ではあるが。

 多希はバスタオルでしっかり体を拭き、今まで着けていた革紐のブレスレットを破壊したまま片付けていないことに気づいた。カーペットは箒で掃けないので、破片を手で拾うことにする。今までお守り代わりだったブレスレットは、使い物にならなくなってしまった。しばらくブレスレットの破片を集めていたが、一番探したい部分が見つからない。

「服も着ないで何してるんすか」

 暖房は効いているが冷えてしまった背中に声をかけられ、多希は自分がバスタオルを巻いただけの格好で居たことに気づいた。

 奈直の問いかけには答えず、多希はアメニティの室内着を着る。

「ドライヤー、使います?」

「どうしようかな。もう乾いてしまいました」

「じゃあ、俺が使わせてもらいますね」

 奈直は洗面台に引っ込み、やがてドライヤーの音が聞こえてきた。多希は再び、ブレスレットの破片を回収する。相変わらず、一番探している部分は見つからない。ドライヤーの音が止み、多希は慌ててベッドにのぼってスマートフォンをチェックするふりをした。

「あ、奈直くん、おかえりなさい。ベッド、こちらを使っても良いですか?」

「構いませんよ」

 奈直は空いている方のベッドに跳び乗り、うつ伏せになってスマートフォンを見始めた。

「大丈夫でしょうか?」

「俺はもう、大丈夫ですよ」

「あなたじゃなくて、あの畠野はたのと言われていた女の子です。自作自演を疑われていた」

「いましたね。大丈夫でしょうか」

 麻酔銃がなかなか効かないハナミネコに苦戦していた奈直に援護射撃をした女性のことだ。

「あの子は介護士ですよね?」

「ですね。保健所の職員ではありませんでした」

 保健所の関係者も、ハナミネコを捕獲するために、術式で構築された用具を用いるが、介護士が携帯する麻酔銃とは異なる。

「あの子が気になりますか?」

 多希が訊ねると、奈直は乾いた目チベスナアイを多希に向けた。

「おい、おっさん」

「男女の仲のことを言っているんじゃないです。酷い扱いをされているみたいだから、俺以外の人は……奈直くんにはどう見えたのかな、と」

 目が泳いでしまった。誤解されたかもしれない。

「彼女、化け物です」

「あなたが言いますか」

 多希は思わず突っ込みを入れてしまった。虎のようなハナミネコを空中に放り投げる筋肉量の持ち主も充分「化け物」だ。

「彼女は、あの距離で麻酔銃を全て命中させていました。なかなかできることじゃないです。俺は、走って近づいてくるハナミネコでさえも外しましたから」

 奈直が若干落ち込んでいるように見えた。多希は介護士の試験と対策でしか麻酔銃を、それもモデルガンを使ったことしかないが、麻酔銃の光線は必ず命中するものではない。距離があれば、尚更だ。

「あんな才能の持ち主に介護士を辞められたら、世間が困ります」

「ですよね」

 SNSでは、今日の式典の最中にハナミネコが乱入してきた事件で持ちきりだった。動画をアップした人はいなかったが、初めてハナミネコを見た人や、奈直がハナミネコをぶん投げたことが話題になっていた。

「あの畠野、ありました」

 奈直が誰かの投稿を見つけた。

「この事件」

 多希も知っている事件だった。

 ハナミネコウイルスの感染症が確認されて間もない時期に、蒼右森そうもり県で40代の夫婦が発症から半月で亡くなったという例があった。認知機能の低下がわずかに疑われた期間が12日間。残り2日間で認知機能と身体機能、心肺機能が一気に低下し、心不全で亡くなったという。その2日間、両親の介護の手が離せず、心停止した親の隣で過労で倒れていた一人娘が、病院に搬送された。夫婦の名は、畠野治樹はるき海帆みほ。一人娘は、畠野あぐり。

 事件の後、あぐりが両親を死に至らしめるためにわざと治療させないようにした、という噂が立った。その畠野あぐりが介護士になり、今回は結界維持装置を解除してハナミネコを侵入させたと噂されている。

「結界維持装置は解除されていなかったと聞きましたが」

「俺も病院の人が話しているのを聞きました。結界も麻酔銃も効かない。ハナミネコが進化しているんじゃないかと」

「じゃあ、やっぱり自作自演ではないと」

「世知辛いです。事実がどうであれ、言った者勝ちみたいで」

 奈直はスマートフォンを充電器に差し、多希のベッドに跳び乗った。

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