第26話
「多希さん」
愛美が心配そうに見てくる。史人は「くっ、かわ」と言いかけ、口をつぐんだ。
「愛美さん、俺、ふたりに話します。黙っているのは難しいです」
「……わかりました。私は構いません。でも、多希さんはご自分の心身を第一に考えて下さい。あと2日、乗り切って頂きたいので」
「大丈夫です。もう平気です」
電話越しで亜依子の賑やかな声を聞いたのが効いたようだ。根拠はないが、冷静に話せる気がする。
「では、私は少し仕事があるので、失礼します。少々惜しいですが、この後は男子水入らずで……少々惜しいですが」
愛美は、多希と奈直を交互に見やり、尊い、と呟いて部屋を出た。
男子水入らず。多希は、未だにひっついて離れない奈直を離し、ふたりに話すことにした。自分のこと、あの男のこと。
「もうご存知の通り、昼間のイベント会場にサプライズで来た人と、以前ショッピングモールにいた人は、同一人物です。国会議員の荻野保希。彼の父親は、内閣総理大臣の荻野
奈直も史人も、「ああ、やっぱり」と言いたげな顔で聞いている。
「俺も、昔の苗字は荻野でした。昔は、荻野の一族は地方議員の家系で、政治家にならない者が細々と呪術を継承してきました。俺が小学校に入学した頃は、平和なものでした。今のように注目されませんでしたから、俺なんかピアノを習っていました。親戚同士も仲が良かったと思います。俺は保希のことを、実の兄のように慕っていました」
荻野の一族を取り巻く環境が大きく変わったのは、20年前だ。約300年前に国学者だった先祖が書き記した書物が発見され、それが未知の生物による感染症の爆発的感染増加を予言していた。
荻野の一族は、先祖の予言を信じ、声高にメディアに発表した。誰も予言を信じず、荻野の一族は反感を買った。国学者である先祖が視覚障害者だったと伝えられていたこともあり、盲目の先祖を神様に仕立て上げる危ない宗教だと非難された。荻野の一族と関係ない、苗字が荻野の人や、字面が似ている「
「先祖の予言のせいで、学校で居場所を失いました。子どもだったから、余計に騒ぎたかったのでしょう。当時は傷つきましたが、今はあまり気にしていません。同窓生は苦手ですが、まあ、亜依子みたいな人達なので、距離を置いていれば問題はなかったです。それよりも、親達が大変でした。理工学系でエンジニアだった親父は会社を辞めるかどうかの瀬戸際に立たされ、近所からも中傷のビラを貼られたり撒かれたりしました。他の親族も似たような感じで、荻野の一族が集まって会議をしたことも何度かあります。ある日、俺は保希のところに預けられ、一晩泊まらせてもらったことがあります」
それを聞いた奈直も史人も、無言で殺気立った。
「怪しい意味じゃないです、当時は。俺は9歳か10歳で、保希は中学生。食事の作り置きが無くて、保希が夕飯に焼きそばをつくってくれました。近所の人に見張られていて、数日前から両親が買い物に行けない状態で、給食以外何も食べられなかったから、あの日の焼きそばは美味しく感じられました。思えばあれが……あいつを
奈直も史人も、首がもげそうなほど頷いた。ですよね。多希は苦笑するしかない。
「うちの親は俺のためにと思って、一度は離婚しました。俺は母ちゃん……母の扶養に入り、母の旧姓である
荻野の一族の言葉が受け入れられたのは、5年前のハナミネコウイルス感染症の爆発的増加であった。これが先祖による予言だと信じられるようになり、荻野の一族は人々に受け入れられるようになった。
国会の議会解散後の選挙で、荻野の一族が何人も立候補し、軒並み当選した。それまでも国会議員として冷遇されてきた荻野氏は、内閣の一員にまでなった。
「荻野と縁を切ったと思いたかったです。ハナミネコの侵入を防ぐ結界を保つ維持装置の開発が急務になり、呪術を継ぎながらも理工学系の大学出身だった親父に白羽の矢が立ちました。親父あんなに苦労して働き続けた会社を辞め、荻野の本家から資金援助を受けて仕方なく会社を立ち上げ、結界維持装置の開発に勤しみました。今は孫請けの町工場になって、ゆるっとやっています。まあ、そんなわけです」
「だぎぐん゛……!」
もう史人が泣いている。
「俺の胸で泣け!」
「わーん!」
奈直が史人に、とびついた。
「奈直じゃない! 多希くんの方!」
「俺はもう、大丈夫です」
「でも、多希くん」
「史人くん、今日はおつかれさまでした。明日また、よろしくお願いします」
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