第24話

 奈直を見送ろうとする橘子を、皆で全力で止め、橘子に先に部屋で休んでもらうことにする。

 史人を含めた警備課の面々は、明日の打ち合わせだ。史人は、多希と奈直を部屋まで送ろうとしたが、多希も奈直も断った。

「部屋番号を教えてもらいましたし、カードキーも受け取りましたから、大丈夫です」

「子どもじゃないんで」

 多希は、断った理由をなるべく丁寧に説明し、最年少の奈直は大人ぶる。

 エレベーター前で史人と別れ、ふたりはエレベーターに乗った。扉を閉めようとしたとき、ゆるりと入ってくる人に気づき、扉を開ける。閉めれば良かった、と多希は後悔したが、遅かった。

 エレベーターに優雅に乗り込んできたのは、あの男だった。昔から多希に執心し、事あるごとに口説こうとする男。こんな場所にまでやってきた。

 男は最上階のボタンを押し、扉を閉める。エレベーターが上昇を始める。

 多希は、ボタンの近くに立つ奈直にさり気なく寄った。そんな多希を、あの男は腰を抱いて自分のところに引き寄せる。

 多希は寒気を感じたが、声は出さず恥辱に耐える。こんな姿を奈直に見せるわけにはゆかない。見られたくない。

 エレベーターが止まり、奈直が振り返った。

「俺は上の階なので、まだ乗ります。今日はおつかれさまでした。明日もよろしくお願いします」

 多希は奈直の肩を押し、エレベーターから出した。奈直は痛がる素振りは見せず、呆気にとられていた。

荻野おぎの保希やすき……議員? ……あ! ショッピングモールで――」

 多希がボタンを押して扉を閉めると、エレベーターは上の階へ向かう。多希は壁にもたれ、力が抜けてしまった。

 奈直に見られてしまった。気づかれてしまった。この男が、昼間のイベント会場にサプライズで登場した、国会議員の荻野保希氏だと。ショッピングモールにいた者だと。

「多希」

 男、保希は鳥肌が立つほど甘い声で多希を呼び、多希は抗う術も無く保希に身を寄せた。保希は多希の腰を抱き、形を確かめるように腸骨の辺りを撫でる。ぞわぞわと沸き立つのは悪寒か快感か考える暇もなく、エレベーターが止まった。

 誰にも見られていないのが不幸中の幸いというのか。腰を抱かれたまま、ある部屋に促される。多希の給料では到底止まることのできない高価な部屋だ。

 背後で重いドアが閉まる音が聞こえると、多希は力が抜けて膝から崩れた。寸でのところで保希が背後から腰に腕をまわして抱き上げ、おおいかぶさるように抱きすくめる。

「大好きな多希が無事で、本当に良かった」

 耳朶を這う唇も、熱を帯びた吐息も、言葉も、心の底から多希を心配しているものだと、長年の付き合いから解釈できる。だが、受け入れたくないと本能が警鐘を鳴らす。心配以上の感情がだだ漏れなのだ。

「会場の結界維持装置に、異常は無かった。あのハナミネコは結界をいとも容易たやすくすり抜け、麻酔銃にも耐性があり、厄介な個体だったんだ。ハナミネコのせいで多希に何かあったら、僕は、僕は……っ!」

 背後から抱きしめる力が強くなる。同じ身長なのに、細身なのに、逃げることができない。突きとばして逃げたら、その後の報復が怖い。何より、昔もらった恩を仇で返すことになってしまうと、親にも迷惑がかかる。

「僕はもう、多希を手放したくない」

 抱きしめられながら、引きずられ、ベッドに倒れ込む。うなじにかかる熱い吐息に、一生この男に逆らえないという現実を突きつけられる。

「……ごめん。せっかくのスーツが台無しだね。こんなに似合っているのに」

 保希はベッド上で体を起こし、多希を仰向けにしてうっとりと鑑賞を始める。

「きみに触れたい。でも、触れたら壊れてしまいそう。こんなに儚げな眼差しをして、きみは僕を殺す気なのか?」

 保希の恍惚な表情が、ぼやけて見え始めた。泣くものか。この男の前で、これ以上の恥をさらしたくないのに。

「多希、おいで」

 保希は多希の肩を抱いて体を起こさせ、手のひらより大きい箱を手渡した。開けるよう促されて従うと、箱の中にシルバーのバングルが鎮座していた。

「こちらも」

 次に手渡されたのは、連絡先が書かれた名刺である。

「明日は蒼右森そうもりにいる。気が向いたら、おいで。いつでも待っているから」

 蒼右森。明日の訪問予定の場所だ。また付き纏われる。逃げられない。自分は、この男から一生。

「このままずっと一緒にいたいけど、僕が多希を独占していたら、橘子先生に怒られてしまうね。そろそろ帰さなくちゃ」

 保希はバングルを箱から出し、愛おしそうに多希の手首につける。細い革紐のブレスレットを注視し、眉根を寄せる。

 多希はなけなしの力を振り絞り、保希から剥がれるよう一度は逃げた。ドアを開ける前に捕まり、落とした箱と名刺を掴まされる。

「多希、お誕生日おめでとう」

 刹那、多希の中で何かが崩れ落ちた。

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