第19話

玄田げんだ先輩、違います! その人、佐々木くんじゃないです!」

 ボランティアスタッフのウィンドブレーカーを着た、眼鏡をかけた痩身の青年が、割り込んだ。玄田と呼ばれたのは、奈直に食ってかかった方だ。

青野あおのさ、奈直のつらを忘れたわけじゃねえよな? 百瀬ももせを殺した奴だぞ。俺達は運が良い。奈直のやらかしたことを全国に知ってもらう良い機会だ。俺達の苦しかった7年が、ここで報われるんだよ!」

「玄田先輩、落ち着いて下さい。何度も言ってるでしょう。あのとき悪かったのは佐々木くんじゃなくて先輩達だって。そもそも、この人は別人……」

「奈直って言ってたじゃねえか!お前、加害者の味方なのかよ! 信じて損した!」

 玄田と青野というらしい20歳そこそこの青年が言い争いを始めたのを良いことに、史人が目で合図をくれた。逃げよう、と。

 奈直はベンチから腰を浮かせたが、玄田に腕を掴まれた。

「その人を離して下さい」

 史人が毅然と言ったが、玄田は史人を見据えて挑発的に顎を上げた。

「あんた、こいつのボディーガードか?」

「ええ。警視庁警備部警備課の近衛このえと申します」

 一瞬、玄田の表情が固まった。

「ね、玄田先輩、そろそろ持ち場に戻りましょう」

 青野に言われ、玄田は「お、おう」と流されそうになったが、首を横に振った。

「こいつに吐かせる。こいつが百瀬にしたことを」

「先輩!」

「玄田さん、落ち着きましょう。多希くん、を連れて皆さんのところまで……」

「わかりました」

 未だに状況が読み込めない奈直と多希は、救護用テントを出て、挨拶を終えた橘子の元へ向かおうとした。

 人の波をかき分けているうちに、誰かが叫んだ。

「ハナミネコだ!」

 直後、ステージを見ていた人達が騒ぎ始めた。どこかに逃げようとして、パニックになっている。

「多希くん! 奈直!」

 史人が駆けつけた。

「お兄ちゃん達も逃げて!」

「奈直ひとりにさせられないって!」

「もー……逃げろって、俺ちゃんと言ったからな!」

 奈直は利き手をホルスターにかけた。刹那、利き手にアニメの魔法陣のようなものが浮かび上がる。

「すご……」

「え、何が」

 多希は感嘆したが、史人はぴんときていない。

「いえ、何でもないです」

 口は災いの元だ。魔法陣のようなものが見えたことは、史人には言わないでおく。あの魔法陣は、荻野の術式だ。多希が、空をおおう結界を見つめていると見えそうになるものが、これである。

 奈直はホルスターから対ハナミネコ用の麻酔銃を抜いた。逃げ惑う人々が気づき、驚く。ただびっくりするだけの人もいれば、非現実的な状況に面白がる人もいる。

 麻酔銃は、警察官が携帯する拳銃と同じ大きさに見える。奈直が両手で麻酔銃を構えると、利き手に現れた術式の魔法陣が照準に重なる。だが、奈直は引き金を引かない。周りに人が多過ぎるせいもあるが、何かを探っているように見える。

「皆さん! どいて下さい!」

 奈直が声を張った。近く人から、麻酔銃に撃たれないように道を開けてゆく。

 奈直は麻酔銃の引き金を引いた。弾丸は、無い。術式で構築された光線が矢のように放たれた。

「当たった!」

 多希が小さくこぶしを握りしめると、奈直がびくつき、振り返ろうとした。

「多希くん、目が良いな。俺は裸眼でニイテンゼロあるけど、見えなかった」

 史人が感心する。多希は見えたわけではない。遠くの何かに当たり、術式が反応した感覚があったのだ。

 人がすっかり引き、動物が突進してくる。

「ふたりとも、本当に早く逃げろ!」

 奈直は麻酔銃を構えたまま、多希と史人に呼びかける。

「多希くん、行こう」

「え……はい」

 そうこうしているうちに、テレビで見る外国の虎のような動物が迫っていた。

「ハナミネコって、猫じゃないのか⁉」

「三毛猫を想像しちゃ駄目です!」

 多希も、始めて目の当たりにするハナミネコは、茶トラ柄で体長1mはある。

 多希は史人に引っ張られながらステージ脇に身を隠す。

 奈直は麻酔銃を何度も撃つ。光線は当たっている、と多希は感じる。だが、ハナミネコに効いていない。

 奈直は深呼吸してから、あろうことかハナミネコに突っ込んでいった。ハナミネコが、奈直の利き手と逆の腕に噛みつく。

 距離はあるがしっかり視界に入ってしまい、多希はぞっとした。

 奈直は、しっかり噛みついたハナミネコを、あろうことか円盤投げのように宙に放り投げた。空を舞うハナミネコに麻酔銃を何度も撃つ。それと同時に、別の方向からも光線が放たれ、ハナミネコは脱力して地面に落ちた。

 奈直が麻酔銃をホルスターに収めると、術式は消えた。

「奈直くん!」

「近づいちゃ駄目! 感染するかもしれない! 保健所とかに通報が行っているはずだから、その人達を待って!」

 奈直に鋭く止められ、多希は「だるまさんが転んだ」みたいに制止してしまった。そのとき、多希の裸眼で両目1.2の視力でも、見えた。離れた場所から麻酔銃を撃った、女の子の姿が。

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